mixiユーザー(id:4963758)

2018年07月17日13:58

240 view

運動会の思い出

 わが子の運動会を見ていると、走り方が自分と似ていると感じました。だからという訳ではないですが、わが子の姿を見ていると、自分の子供の頃の姿を思い出してしまいます。

 重度の近眼、そして上半身が非力だった私は、球技がほとんどダメでした。しかしながら、上半身に筋肉が少ない分、とても身軽だったので、走るのだけは得意でした。そのためか、子供の頃から運動会は好きでしたし、特別な思い入れがありました。特に思い出に残っているのは、中学3年の時の運動会です。この時は大活躍できたので、「高校に入ったら陸上部でやっていこう」という決意につながった、すなわち、私にとっては人生の分岐点になった出来事でもありました。(私はもともと消極的な少年でした。走るのは割と得意だったのに、どうせ陸上部では通用しないだろうと思い、中学の時は陸上部に入ろうとはしませんでした。いや、陸上部の門をたたく勇気がなかったというべきかもしれません。)

 中学校の運動会では、例年、4×100mリレーにエントリーしていた私でしたが、3年生の時は初めて200m×6人のクラス対抗リレーのメンバーになりました。トラック1週が200mで、1人1週ずつ、6人で走るリレーでした。私以外の5人は、テニス部仲良し5人組。私は彼ら5人組に誘われてチームに入り、アンカーを努めることになりました。
 私は100mも200mも変わらない、ただ全力で突っ走るだけの距離だ、と思っていました。しかし、それは大きな間違いであったと後で気付くことになるのですが・・・。100mは、中学生ならほとんど誰でも全力で走りきれる距離ですが、200mは、よほどトレーニングを積んでないと、全力では走りきれない距離です。しかも3年生の秋となれば、運動部の生徒達のほとんどは引退していて、体力はやや落ちていた時期でした。私はというと、友達と一緒に、坂道や階段などでこっそりトレーニングをしていたので、他の連中よりは優位に立っている、という自負はありましたが。
 リレーの本番、学年は9クラスあったので、スタートは揉みくちゃになり、私のクラス、C組はやや出遅れました。その後は抜きつ抜かれつで、私は6位でバトンを受けました。バトンを受けた私は、最初から突っ走り、60mも走らない内に、しかもコーナーで、あっさりと1人抜きました。「何だこいつ?!アンカーなのに、まるでやる気のない走りだな。」と思いながら・・・。そして私はバックストレートでも快調に飛ばし、もう1人抜き去りました。「俺ってメチャクチャ速いかも?!それにしても、みんなやる気無さ過ぎだなぁ。」と思いながら・・・。
 第3コーナーを過ぎ、第4コーナーに入って少しのところ、200mの中の160m付近だったでしょう、前を行くもう1人のランナーの背中が近付いてきました。ところが、急に私の両脚は棒のようになり、膝がガクガクし始めました。ここからの私は、走っているというよりは、脚を引きずっているという感覚でした。それにも関わらず、前を行くランナーの背中は近付いてきて、最後の15mくらいで私はとうとう並びました。残るは根性や意地だけでしたが、重たくなった脚をなんとか引きずりながら、わずかにリードを奪いました。「ここまできたら、絶対に負けるもんか!!」と思いながら、必死でもがき、そして、私は僅差で逃げ切りました。私は3人抜きを達成し、チームを6位から3位へと押し上げたのです!!
 走り終えた直後は、3人抜きを成し遂げた嬉しさでハイになってしまいましたが、後からドッと疲れが出てきて、しんどかったのを覚えています。今にして思いますが、私が抜いた、アンカーのくせにやる気の無さそうに走っていた連中、むしろ彼らの方が正解だったと言えましょう。200mを最初から全力で走れば、後半で必ずバテます。後半に余力を残すため、彼らは前半を抑えていたのでしょう。当時の私はそうとも知らずに、最初から全力で走り、「こいつらやる気ないなぁ」と思っていたのですから、何ともおめでたいヤツだったのです(笑)ただ、こっそりトレーニングしていた成果は十分に発揮できたようで、それは何よりでした。

1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する