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2018年07月17日21:56

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50年前の7月のこのあたりには、、8の付く年の想い出

先月の終わりからゴタゴタしていて日記を書けなかった。
(まぁ暑さとネタ切れもあったが(^^:)
実は98歳の母、高齢の割には元気だったのだが、
(ボケてもいないし、トイレも風呂も自分で行けるし、
料理も後片付けもできる、外には出歩けなかったけれど)
さすがに、暑くなってダウン、病院に入院させ、
その後、有料の老人ホームに行かせることにした。
先週の12日に入所。やっと区切りがついた。

起こせばちょうど50年前、
1968年7月夏休みの直前、私は小学6年だったが、
私達一家は砧町から、同じ世田谷区だけれど環状八号線を越えた
(感覚からすれば、区が違う)上用賀の町に転居した。
バス停で5,6個の距離だが、それまで行ったことがない町(地域)
だったので、見るモノが新鮮だったなぁ。
馬事公苑の付近とか、、世田谷(地域)のオークラランドとか。
↓は、世田谷通りから馬事公苑正門に続く並木道。
フォト
当時は、こんなに舗装はされていなかったけれど。

学校は転向せずに、2,3学期はバスで元の学校に通った。
るんるんその時流行った曲、
恋の季節、ピンキーとキラーズ。7月20日作詞:岩谷時子 作曲:いずみたく
https://www.youtube.com/watch?v=KB_O_GrVVIM


ペン少年ジャンプの創刊号は、
同年の7月11日発売だったのか!?
クラスのM君が買ってきて見せてもらった記憶がある。
彼は、同じ集英社の「月刊少年ブック」を毎月購読していて、
同社から新しい週刊誌が出る!と前から言っていた。
その後、少年週刊誌のトップを独走している同誌であるが、
創刊号は、本当にショボかった。

その頃、100万部を突破して少年雑誌NO1だったは少年マガジン
「巨人の星」、「無用の介」「天才バカボン」、その年の新年号から
始まった「あしたのジョー」で大人気。
↓その当時の少年マガジン。
フォト
ちばてつやが書いた飛雄馬と川崎のぼるが描いたジョー

さらに、この夏、貸本作家の影丸譲也が少年雑誌に登場。
「白鯨」を2週で描いた。その迫力に肝を潰した(左画像)。
影丸は、その後、同誌で「ワル」や「空手バカ一代」を
つのだの跡を継いで作画を担当した。

手(パー)この68年7月あたりに生まれた有名人は、
杉本 彩(中央画像)1968年7月19日
彼女とは、赤坂で同じ宴会に出たことがあった。
↓のコメ(1)に書いた。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=348310740&owner_id=4597260
会話は交わさなかったけれど、、
真夏の暑い日、私は半袖のシャツ、彼女もノースリーブで
狭い和室で、上腕が触れた(^^:

目なぜか、1968年とか末尾8の年は
環境が変わったり、出会いがあって世界が広がった。
1988年の夏も、1998年の夏も。まぁ他の年もそうだけれど。

今日、7月17日は、ブルーザーブロディ(右画像)の命日、
ちょうど30年前の1988年。
亡くなる前にスタン・ハンセンとのシングルマッチが見たかった。
生きていれば、8月30日の武道館で実現したらしい。
あの時代、実現しても両者リングアウトとかいう不透明決着になったと思うが。

98年はアントニオ猪木とジャイアント馬場が最後に試合をした
インターネットのBBSを始めたのもこの年だな。

リサイクルお袋の話に戻ると、女優の森光子さん(故人)より
3日早く生まれて来た。
私から見て長寿だな!と思った森繁久弥(享年96)や
北野武のお母さん(享年95)をいつの間にか追い越したあせあせ

今回、病院に入院して、診察を受け、そりゃ高齢なので
完全に問題がないことはないけれど、余命宣告はなかった。
これで老人ホームで良いフォローを受けていれば、
また長生きするのでは(^^:。
まぁ時々、テレビの健康番組を見ると、100歳くらいでも
元気なお年寄りが多いね!

しかし、久々の日記で、まだ「日記感」が戻っていない。
稀勢の里みたいなものだ。
7月場所、横綱、大関、休みすぎだろ!?
では、次回7月20日より
毎週、火曜日、金曜日に日記アップの平常運転に戻ります。
(あくまで予定だけれど)

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