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2018年01月12日11:05

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多様な三千世界故に【霊界保険】を掛けておく

http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=489

日本の心霊科学の分野で著名なある方は、その霊界研究に霊媒者を通じて霊界と通信をされていました。その霊媒者の前世とされる霊を通じて霊界を学ぶです。その方が帰幽された後、その方の志を継がれた方達が霊媒者を通じてその方が行かれた霊界の様子を聞いたところ、その方が生前に霊媒者を通じて霊から聞いていた世界とはまるで違う世界であったと言われたとされます。

何故にそうしたことになるのかと言いますと、霊界は非常に多様であり、日本神話を持ち出して来て語れるような狭い世界ではないからです。
私達は地球という一つの星で暮らしています。その地球にも多様な民族が有り、多様な言葉が存在しています。その中で【神の言葉】を使っている民族が唯一つだけあり、それが「日本語」であり日本民族だとされます。
だが、地球のそれらの国に入り、その国や民族を見ることによって、まったく異質の世界を見るではないのです。私達日本人も地球では一つの星の共通基盤の上に住んでいます。国境と呼ばれるものがあっても、その国が鎖国でもしていない限り、私達は他国を知ることが出来ます。だが、霊界はそうは行かないのです。

個々の霊的世界が隔離されていて、かってに他の霊的世界を見るなどの自由が存在しないのです。ただ、天使とも呼ばれる一部の霊だけが他の世界も見るがあるのです。こうしたことはスウェーデンボルグの霊界探訪記に第二天国天使でも、第一天国のことが解らないとあるように、神々(神司)でもその階級に応じていて、霊界の全てが解るではないのです。

私が伏見稲荷大社講に所属している時、【霊界の壁】と【腐汁地獄】と【白骨街道】を見まして、豊受姫のお代としては日本一とされていた師匠にそれらの世界のことを聞いたところ、そんな世界は無いと言われます。
私はそれを聞いて、その世界は存在するはずなのに無いとはおかしいで、そうした世界が無いかと調べました。無論、インターネットや書物にそんな世界は語られてはいません。霊能力を持つ方の中で探したのです。
その中で、5〜6名の方が「霊界の壁」の存在を知り、「腐汁地獄」を知る方にも「白骨街道」を見た方にも出会いました。その「霊界の壁」を知る何人かは豊受姫の分霊を貰っておられる方でした。最初の師匠は豊受姫のお代であっても、その魂は豊受姫の分魂ではなかったので、知らされてはいなかったようです。
自分には霊能力があるから何もかも解るではないのです。誰しも霊界の部分しか解ってはいないのです。

私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨み、【人はその一生において何もかも知る立場ではない。自分が見ていない知らないことも見ている者が居る。自分が見ていないからと、他の人の見た物を否定に走るのは愚かな行為である。自分は見ていなくても、その人は見たのである。】と告げられました。
私は霊的世界の見聞に入って、その人が見たという霊的世界は確かにその人は見ているですが、高級霊の名乗りをしていても本当の高級霊ではなくて低級霊だとか、グループでマッチポンプで見せるニセ者霊達であるとかで、霊が見えるのは実にやっかいな問題だと認識しました。自分が見えた世界の物しか信用しょうとしない。だから、その人が見たという霊的なことは否定はしませんが、サニワ(審神)をしなさいと口酸っぱく言うのです。

明治25年に発祥して【三千世界一度に開く梅の花】と大宣伝したのは大本教と呼ばれる宗教でした。そして、その神は【ウシトラ金神・国常立尊】でした。

この【三千世界】とは仏教用語で、私達が住む世界を一つの世界として、そうした世界が千個あって小千界として、その小千世界が千個集まって中千世界と言い、その中千世界が千個集まって大千世界とします。これらを総合して【三千世界】と言います。数が三千個の世界のことではありません。
すなわち、1000×1000×1000で、10億個の世界を指します。全宇宙を示した言葉とされています。

では、全宇宙は10億個の世界で構成されているのかとなりますが、実際のところは創造神と呼ばれる段階の神以外には誰にも解らないでしょう。
しかし、あることが言えます。それは霊的には【多様な世界が展開されている】なのです。その数は10億個以上の世界かも知れません。私達が所属する銀河系だけでも二千億個以上の太陽(恒星)があるとされるからです。私達の魂は死後に、この地球の太陽系たる一つの世界に展開される霊界に行くだけとは限りません。他の星の霊界に行く人も出ます。実に奥深いと言えます。
霊界はあまりにも多様であり、自分が見た世界だけがあるのではなくて、他の方が見ている霊的世界とは違うは当然にあり得るなのです。

私がそうした中で気がついたのは【霊界保険】なのです

この世は多くの違った思考を持つ人達が集まっています。あの人は神様のようだ。仏様のようだと言われている人もあれば、あれは社会の癌だとか屑だとかどうしょうもない者だと言われている人達もあります。
霊界はスピリチュアルでも語られるように、【類が類を呼ぶ世界】であり、また【引き寄せの世界】とも言います。

天人のような人達は天人のような人ばかりが引き寄せられて集まって天国界を為します。一方、自分勝手な自己中の人はそうした人達ばかりが集まって、自分が中心に成る為に争うのでどうしても地獄と呼ばれるような争いの世界を創って行きます。仏教で語られる【修羅】もそうした世界の一つと言えます。
天国とか地獄は創造神が創られたではなくて、【類が類を呼ぶ】とか【引き寄せ】の原理が働いて出来上がった世界とも言えます。この世で自分勝手で自己中でいながら、自分は死ねば天国だと思っても、自分の意識や思想や行動によって行けないのです。
善良な人達を【子羊】と言いますが、もし、その中に【狼(良心を獣とした)】を放り込んだら、天国界などは一変に崩壊してしまいます。為に、次元層とか霊界の壁が存在しており、勝手に他の霊世界には行けないのです。

霊界にはその為に【関所(ゲート)】があり、違う霊的世界に行くことを阻止しているとされています。私はある霊能者の方から、その方が帰幽した後にはそうした宇宙の関所の責任者にして欲しいと頼まれたことがあります。私にそんな権限があるとは思えませんが、もし私にそうした権限があるとしたならばその役に就くことが出来るように取りはからいますと告げました。

自分が天国界を望むならば、自分が天人として相応しい行動をする。誰に対しても親切や謙虚で他人とは無益なことは争わない。それは、そうした人ばかりが集まる世界に行くからです。
スピリチュアルのように、死後の霊界では自分の好きな世界に行けるなど、霊界ゲートの存在を知っていれば出せる話ではないのです。

私達はこの世で生きて行くにあたって、【生命保険】を掛けています。自分が死んだ後に家族が困らないようにとか、せめて自分の葬式代だけでもと掛けるがあります。
しかし、自分が死後に行く世界に対しての【保険】が掛けられていなかったり、掛けたつもりの保険が三千世界に対して何の効力もないがあるのです。

一般的な霊界保険とは、我が宗教の教えを信じれば天国への【空手形】の保険です

私達日本人は大多数が仏教徒です。その仏教では、死んだ時に仏としての名前である【戒名】が授けられます。院殿とか軒号とか居士とか信士です。
これらの戒名の号は、昔はお寺に功績があった人に授けられた階級です。だが、今はお寺に大金を払えば誰でも院殿などがもらえます。金次第が仏教に蔓延したのです。だいたいその戒名をつける僧侶に何の権限があるのですか?。なのです。形ばかりの仏弟子では、死者に極楽を約束出来るのではなくて、大本教の出口王仁三郎聖師が述べられた【地獄を覗けば牧師や僧侶でいっぱいだ】となるのです。

某信徒組織の大宗教で、その教団幹部が信徒を集めた講演で、【金を出せ。金を出せ。教団が金を出せと言っているのだから、金を出せ。地獄に行きたくないならば教団に寄進しろ】と流されたテープが出回っていました。
その金とは一本が100万円単位でした。貧しい人が多いとされるその組織の信徒さんは、どうやってそうした大金を工面するのかと心配でした。また、そうした言葉を平気で出す者が幹部とは驚いた宗教と言えます。

こうしたことは別に仏教の信徒団体だけではなく、キリスト教会においても【贖罪】の名で行われています。西洋の某著名な文豪は地獄に落ちたくないと全財産をキリスト教会に寄進して、最後は何の財産もなく野垂れ死にをしたと記録が残されています。
こうした大金で【院殿】の戒名の号を取得するとか、信徒団体の組織に大金を寄進する。キリスト教会では【贖罪】の名の下に全財産を差し出すは一種の【霊界保険】ではあるのです。

かって、オーム真理教に入信して全財産を寄進して職場を去って出家した職場の同僚がいました。麻原彰晃をお釈迦様の再来だとか、変則蛙跳びを空中浮揚だと信じてしまったことから、自らが「破滅」の道にと入ったと言えます。
本当の空中浮揚とか、トンボ(正座して宙に浮いて百八十度転回して着地)。ホッピング(正座したままで、宙に飛ぶを繰り返す)などを見ていないから簡単に騙されてしまいます。私は霊界見聞の中でそうした現象も見て来ました。
単に自分には霊感があり、自分には高級神が出て来るではなくて、本当の神霊が見せる【奇跡】とされる現象を見て来た者なのです。

問題は、今日の宗教の教えは【空手形】に等しいなのです
霊界保険としての機能が限定されているのです

もしも、今日の宗教の教えが事実だとすると、【金持ちは天国に、貧乏人は地獄】にとなってしまいます。

本当の霊能力者からすると、一般の人が正神とか邪神とかを判断するのは難しいと言います。それは、なまじ霊能力がある為に【邪神の罠】に引っかかっている方が多いからです。
確かに、本人はその霊能力において〇〇大神と名乗る霊を見ている。同じレベルの霊能力者に見て貰うと太鼓判が出る。しかし、それ以上に優れた霊能者がその霊をさらに透視して行くと、蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊の姿で見えて来るなのです。
霊能者と称していても、本物は数少ないと言われているのはそこにあります。

されど、たとえそれが邪神だと解らずに信仰したとしても、その人が差し出した【真心】からの金ならば、本当の神様の元に行くと言います。 だが、その差し出された【浄財】を宗教家が自分の欲望の為に使っていれば、その宗教家は地獄界に行くとなるのです。ですから、こうしたことを罪の売り買いの【贖罪】と言います。贖の貝は財の意味です。

日本の仏教では、人は死ねば皆仏だから死者に鞭を打つなと言います。確かに、この世を去った人に鞭を打っても意味はありません。過ぎたことを元には戻せません。だが、どんな悪人でも死ねば仏様で極楽往生は、あまりにも間違った観念だと言わざるおえません。ならば、【地獄は存在しない】になるからです。


つい最近、東京深川の富岡八幡宮の社家の弟である前の宮司が、今の姉の宮司を殺して自殺するがありました。有名神社の社家であったので宮司職でしたが、裕福な社家の宮司であることから姉も弟も金にだらしない生活態度をしていたとされます。どちらも、死後は神の世界に行くのではなく地獄界でしょう。

そんな宮司が奉仕する神社にまともな神霊など鎮座していない
そこに本来の神霊が鎮座しているかいないかは、宮司しだい
まともな神霊が鎮座していれば、そうした宮司は既に追放されている

人は誰しもこの世で永遠に生きたいと願っても、必ず【肉体には死】が訪れます。その時にはあの世とやらの【霊界】に行かなければなりません。それは誰一人として免れない道なのです。
その時、【霊界保険】を掛けていた者と掛けていなかった者とでは違って来ます。それは神社や仏閣や宗教団体に寄進するではないのです。神社や仏閣や自分が信仰する集団に寄進するのであれば、欲得ではなくてお世話になった【感謝】からでないと有効ではないのです。

この世の貧しい人達。恵まれていない人達に対して「寄進」するのが一番有効なのです。

自分が信仰する教団が【貧しい人達の為に慈善事業に力を入れている】であれば、それは霊界保険としては効いて来ます。だが、そんな教団ばかりではありません。
イエスの有名な教えに【金持ちが天国に行くなどは、針の穴をラクダが通るようなものだ。幸いなるかな貧乏人】がありますが、貧乏人であれば誰でも幸いではないのです。貧乏人でも欲が無く、清貧であればの話です。逆に、貧乏であるが故に犯罪を犯してしまうがあるのは、この世を見ていれば誰の目にも歴然としているのです。
逆に、とんでもない大金持ちとなって、そのお礼にと言って慈善団体や社会福祉の為に多大な寄付をされる金持ちがあります。そうした人達が地獄に行くでしょうか?。自分は金持ちとなれたからこそ、誰よりも世に恩返しが出来るなのです。しかし、そうではない自分は金持ちだ式で、人を人とも思っていない方が目につくなのです。こうした方達は間違いなく地獄行きなのです。

お釈迦様の教えに【貧者の一灯】があります。これはことわざの【長者の万灯より貧者の一灯】で、意味することは「金持ちの見栄をはったり、儀礼的な多くの寄進よりも、貧しい人の真心が籠もった寄進のほうが尊いという」ことわざです。
お釈迦様が説法されていた時、招待した王がお釈迦様の歩かれる道筋を灯火で明るくした。それを見た貧しい老婆が、自分もなんとかして布施をしたいとお金のやりくりをして、たった一つの灯火を燃すことが出来た。
王がともした灯火は消えても、その老婆がともした灯火は朝になっても消えなかった。お釈迦様はその貧者の老婆の真心の布施に対して、来世はよき世界への生まれ変わりを約束されたという故事から来た話です。これが本当の【幸いなるかな貧乏人】です。

こうした行為が【三千世界に対しての保険】ともなるのです。

神に対する真心は、【金銭の大小の額ではなく】て、その人の行為が何によってなされたのかです。
天国に行きたい。天国に行きたいで大金を宗教に寄進するではないのです。いくら宗教に大金を寄進しても、【天国キップ】は買えません。金にだらしない宗教家はゴロゴロしています。その寄進する人の【真心】がどこにあったかです。

物事は宗教の教えを【鵜呑み】にするのではなく、【道理】をわきまえるが必要なのです。

私はインターネットで日本語という限定はありますが、【言葉の仕組み】を解説しています。その意味では私は教えの主です。しかし、人を集めて組織化する宗教家ではありません。明らかに既存の宗教の教祖型ではありません。
私はHPでもブログでも邪魔な広告が入らない有料版で費用の持ち出しをしています。私は宗教を起こそうとしているのではありません。自分が「蛇霊」を帰らせることによって【真理】の学びをして来て、より一人でもそうした「真理」に近づいて欲しいと願っている者なのです。
私が説いているのは宗教の為ではありません。スピリチュアルと称して金儲けをしている者でもありません。

一人一人が、その存在は解らないけれども、創造神の分魂(直霊)を授かっている者であり、それに目覚めてくださいです。

日本語という言葉に限定されますが、私達日本人が使っている言葉には、言葉を創った神の存在が読み取れます。その存在とは、神社仏閣に鎮まっている神霊の段階などではないことぐらい、奇魂を働かせれば誰でも理解出来ることなのです。
自分の前には神霊達が現れる。では、その神霊達は【言葉の仕組み】を解き明かしたでしょうか?。また、言葉で仕組みを組み立てられるほどの力があるでしょうか?。

誰でも掛けられる霊界保険は、創造神の存在を信じて
世の為人の為にと世根(米)として働き実ること

世根の意味を理解せず
【米】と【稲荷】の違いも分からぬでは
狐霊を使うのではなくて、狐霊に使われてしまうだけ
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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年01月14日 22:46
    > mixiユーザー 稲荷そのものは「曲津神」と言うことではありません。それは大本教で「世の立替に当たっては、白狐は下郎の役で奉仕する」としました。そうしたことから、国常立尊は白狐の総帥ではないかという説があります。

    白狐の総帥は国常立尊様その方ではないのですが、深い関連があります。総帥が何神様かと知りますと驚くことになります。記紀神話など持ち出して解ることではないのです。豊受姫様でもないのです。それを暗示したのは大本教霊界物語だけなのです

    国常立尊様の下郎の役の白狐とは、教えを説く役ではありません。国常立尊様を信じる者達を守る守護役です。これらの白狐は現世御利益には関係して来ません。どこまでもそうした人の身辺警護です。


    出口王仁三郎聖師さんは「言霊」を表に出されたのですが、この「言霊」とは伏見稲荷大社の社家の子であった「荷田春丸」からとされています。つまり、言霊を隠し秘めていたのは誰かとなりますと、【稲成り】なのです。稲が実れば何になる?。

    私は伏見稲荷大社の楼門前の狐が「巻物」と「鍵」を銜えている。あの「巻物」には何が書いてある?。あの「鍵」は何を開けるのか?。そこからも始まったのです。

    稲荷神に関しては、霊能者の方でも正神と言われる方も邪神と言われる方もあります。確かに、狐霊の中には霊感のある人達を欺いている存在も多々あります。大きな古狐とかは、かなり騙しています。また、龍神と呼ばれる存在の配下となっている白狐達もいます。それらは邪神界です。

    私が師事した豊受姫は豊受姫派は白狐の半分と思いなさいと告げられましたが、豊受姫と名乗っている多くの部下を従えた大きな古狐すら居ます。そんな大きな古狐に取り込まれたら、コロリと欺されてしまいます。

    稲荷行者にも正しい人もあれば、金の亡者のような方も居ます。そうした金の亡者の方に憑いている稲荷とは、正神界ではありません。そうした霊能者に従っている信徒の方は現世御利益一本です。そうした霊能者を使っている稲荷神そのものが、信徒に人としてあるべき道を説こうとはされません。如何に現世御利益を願うかです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年01月16日 16:44
    神之公園様
    富岡八幡宮に、まともな御神霊がいないということですが
    わたくし、事件後1週間位たった頃、神様も神社の方々も気の毒だと思い
    お役に立てばと思って、少しだけですが、奉納しました。
    まともな御神霊がいない神社に
    このような行為は、よろしくなかったでしょうか。

    富岡八幡宮が、また元の活気を取り戻せれば良いなあ
    と思ってのことでしたが、良かれと思ったことが
    そうではなかった、ということの、見本のようなことだったかも
    知れないです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年01月16日 22:05
    > mixiユーザー そうではありません。私のブログに何回か書いていますが、人はその神が正神なのか邪神なのか判断するのは難しいのです。

    かなり大きな有名教団ですが、多くの霊能者が邪神だとする教団があります。だが、その教団にも多くの霊能者や霊感者が入信して、教師や取り次ぎをされています。それらの霊能者や霊感者はその教団の祭神の本当の姿が見えていないなのです。正神界と邪神界はバランスを取り合っているので、邪神が存在しても当たり前なのです。

    人はそこに鎮座する神霊が正神界なのか邪神界なのか解らずに行きます。ですから、神社に行っても願い事はするな。感謝だけをしなさいと言われているわけです。願い事をして叶えられれば自分が【負の遺産】を背負うことになります。

    それが正神であろうと邪神であろうと、願い事をして叶えられたならば必ずお礼をする必要があります。そうしたないと自分が【負の遺産】を抱えてしまいます。

    それが邪神と知らずに奉納しても、その人の奉納の心が「真心」からのものであれば、それは天の神の元に行くとされています。欲からする願い事と、真からする報謝では百八十度違うなのです。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年01月17日 21:40
    > 神之公園様
    ご教示いただきまして、ありがとうございました。

    神之公園様のブログは大好きで
    何度も繰り返し、拝読させていただいたはずなのですが…。
    恥ずかしながら
    人は正神か邪神の判断は難しいということが
    頭に入っていませんでした。(T_T)

    ですが、お忙しい中を、わかりやすく
    ご教授をいただき、感謝感謝です。
    ほんとうに、ありがとうございました!!

    大切なことが、これでしっかり、頭に焼き付きました。

    『邪神と知らずに奉納しても
    「真心」からのものなら、天の神の元に行く』
    だなんて
    人間同士なら、渡した相手が良くなければ
    有り得ないことですよね。

    とてもとても、ありがたいことだと思いました。

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