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mixiユーザー(id:43480829)

2017年10月12日10:05

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魂の磨き/魂の原則 因果応報(目には目を、歯には歯を)の解消法

http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=474

仏教ではこの世に起きる出来事は全て偶然ではなくて、必然性があって起きるとします。そこに【縁】起が説かれます。

もう一つとして、仏教では【因果応報】が説かれます。で、この「因果応報」がどれだけ理解されているかとなりますと、ほとんど理解されていないと見られます。この因果応報とは別に、仏教では【輪廻転生】が説かれますが、【因果応報】はその「輪廻転生」と連動している為に、仏教における宗派に見られます【我が宗派に入れば極楽往生】の言葉に欺されてしまいますと、死後は極楽に往生だからでは「因果応報」の意味がなさなくなって来るのです。

因果応報(カルマ)は輪廻転生と連動して現れる
今の世だけを見て因果応報を論ずるのは無意味

イスラム教におけます【目には目を、歯には歯を】も、イスラム教徒は死ねばアラーの神の名の下に天国だと、その意味を間違えてしまいました。為に現世の罪を現世で償わせようとする過ちに入ったと言えます。 泥棒をする者は手が悪いで手を切断するなどは目には目、歯には歯をではないのです。
この「目には目を、歯には歯を」は、輪廻転生において起きる魂の原則【因果応報】を指したものだからです。


私が高校生の頃、府県単位で高校生による【同和問題の討論会】があり、一クラスに一名が代表としてその討論会に参加が命じられました。その当時、全国的に「同和問題」で大きな運動があり、全国で吊し上げと言う糾弾会が催されて、その糾弾会の名の元で何名かの自殺者も出ました。当時は、同和の糾弾会は暴力団より恐ろしいとまでされたのです。現在はさすがに行き過ぎの反省からそうしたことはありません。
当然にそんな討論会に誰も手を上げてまで参加しません。それで、クラスで代表を一名選べとなった時、何故かクラスメイトの一人が真っ先に私がよいと言ったら、誰も行きたくないから賛成賛成で私がクラス代表で行くことになりました。
その討論会、分科会ごとの教室で同和地区出身の高校生が熱く語ります。差別をなくする為には【暴力】を是とする意見です。単に差別は行けないと言っているのは差別の容認であり、差別と戦って差別が間違いであることを相手に認識させるです。その高校生は常に糾弾会の先頭に立っている感じでした。

その頃から、日本では中革派の革マルとか左翼が暴力を持って改革を言い。ゲバ(学生による武力闘争)が盛んになって来た頃です。そうした流れは大学生のみならず高校生まで及んでいました。やがてそれは赤軍の日航旅客機のハイジャック。東京の丸の内でビルの爆破。そうした暴力は浅間山荘事件にと進みました。

その討論会の時、私に霊の声が臨みました。【差別と戦うことは大事なことなれども、だからとと言って暴力に訴えてはいけない。人を差別する者は、次は人から差別される立場で生まれる。それは人を差別することはいけないことだと、身をもって差別される体験を魂に積む為である】と言われるのです。
その霊の声はさらに言います。【私はこの世を変える。その時には人を差別するような者は一掃する。今は何事も我慢の時である。】です。
​それは、この世は【魂の修学の場】であることからの個別事項の話です。

その当時、その霊の言葉と同じようにことを言ったお坊さんがありました。仏教の【因果応報】で前世で人を差別したから、今生は人から差別される方に回った。その言葉は同和で大問題となり、そのお坊さんは同和の糾弾会で吊し上げに遭われたのです。そして、その言葉は無理矢理に撤回させられたのです。

仏教では、この世に起きる出来事で「偶然」などはない。全て【必然性】を持っていると説きます。全て【因】があって【果】が生じているからです。仏教的に言えば、前世で人を差別したから、今度は差別される方に回ったは仏教の教えとしては正しいのです。
しかしながら、人は自分が前世で何をしたのか?。そうした記憶は持たないのです。いくら仏教には【輪廻転生論】があったとしても、日本の仏教界はそうした教えをしていないからです。誰がそうしたことをきちんと学んでいるのかとなります。そうしたことを教えられるだけの僧侶も居なくなったなのです。仏教では今の世は末法なのです。

現実界に現れる出来事だけを見ているのと、「輪廻転生」の中での出来事だと見ているのとでは、まったく違ったものとなります。その被害者の【過去世】に何があったのかです。つまり、被害者は被害者ではないことが解って来たりするのです。前世では加害者であったりするなのです。
私は現世で霊能力を持っておられる幾人かの女性で、今の人生としてはさほど幸せでは無い数名の方の前世を神から見させられました。その女性達の前世は古代シャーマンでした。そのシャーマンであった時のカルマを背負って苦しんでおられるです。どうしてもシャーマンは役目柄カルマを背負ってしまうのです。シャーマンとしての定めです。為に今生では苦しんでおられるです。

私が霊界修業時代、ある女性と少し付き合っておりました。その本人から自分は殺人者ですと告げられて、何事かと詳しく話を聞きますと、ミニバイクで交通事故を起こして相手の車を運転していた男性を死なせて、交通刑務所に一年間入ったと言います。私は罪を償ったのだからと、その女性を慰めました。
ところが、私が教えを受けていた当時の2番目の師匠が、私に、【お前、付き合っている女性がいるだろう。その女性は人を殺している。神に仕える者がそうした殺人者と付き合ってはいけない】と言います。 私はそれは単なる交通事故で罪を償ったのですからと言葉を返すと、その師匠は言います。【そうではない。その女性は過去世でその交通事故で死なせた相手の男から強姦されて殺されている。無論、今の肉体はその出来事を覚えてはいない。しかし、その魂は過去世の出来事を覚えていて、その時の相手の男の魂を見つけて、今生で交通事故の形で相手を殺した。それは過失ではなくて復讐の殺人を犯したのだ】と言います。
私はその女性と直接出会っていてもその過去世を見るなどは出来ませんでしたが、その時の2番目の師匠は私がその女性と付き合っていていて、その女性の過去世まで見ていたなのです。

それはイスラム法典にある【目には目を、歯には歯を】が時代を超えて吹き出したなのです。相手の男性も若かったそうですが、自分が過去世で強姦で殺した相手に殺されたことで、本人の【カルマの消滅】には繋がったと言えます。
今生においてのその事件は、両方の魂の【カルマ】を解消させたのです。それをどう取るかは、個々の人の考えが感情的に溺れた目で見るのか、それとも輪廻転生の中で起きた出来事と冷静に判断出来るのかで違います。個々の人の取り方です。
私はそうした事例を幾つも見て来ましたので、スピリチュアル的な考え方はしません。

この世に起きる出来事は、単に【気の毒だ。可哀想だ】の論理では解らないのです

因果応報(目には目を、歯には歯を)を悪い意味で捉えてはいけないのです。自分が過去世で犯した罪(カルマ)の罪状が消えて行く姿だからです。

因果応報は過去世のカルマ(罪)の解消の側面を持つ
自分は今生でどうしてこんな目に遭うのか!

そうした嘆きは誰しもに起きます。しかしその多くは、自分の魂が過去世で犯した罪(カルマ)が消えて行く過程なのです。
このことをどれだけ理解出来ているかなのです。今の自分の不運ばかりを嘆いて、どこに神や仏がいるのか?。そうした文句ばかり言っているならば、そのカルマは解消して行きません。
これらの現象は自分の魂が過去世で犯したカルマの解消かと受け止めることによって、カルマが未来に向かわずに今生で消えて行くとなるのです。

人の魂は、何故にこの世に甦(更生)るのか?
魂の【更生】の為に、甦る

私は何度もこの甦(更生)を説いて来ました。どうして、自分はこの世に出て来たのかなのです。
そうしたカルマの解消のことを説かれた宗教家としては、【世界人類が平和でありますように】のスローガンで知られます【白光真宏会】の教祖であった【五井昌久】師がおられます。

因果応報(目には目を、歯には歯を)、カルマ、輪廻転生は、全て同一線上から起きることが理解出来れば、自分の身に起きる出来事も【縁起】からだと解って来るのです。
​仏教における「縁起」とは、一切の事物は固定的な実体をもたず、さまざまな原因(因)や条件(縁)が寄り集まって成立しているということ、仏教の根本思想。因縁。因果。

スピリチュアルのように因果応報の意味を間違えている間は、いくら霊能力かあってもダメであり、また霊能者だから人の前世が見えると豪語していても、その人のカルマの【因】となった行為そのものが見えなければ、その霊能者に見えていると言う前世など無意味な話なのです。

今、救いを求めている人の原因となっている【カルマ】が解った時、本人には可哀想であるけれども、今生で【カルマ】を消そうとしなければ、その【カルマ】は来世に持ち越される。来世で、また文句たらたら言うことになってしまうのです。こうしたことは曹洞宗の修証義の【三時(過去・現世・未来)】の教えとしてありますが、カルマと連動していることの認識としては薄かったのかも知れません。

どこかの人生で【カルマの膿】を出さなければならないのです

今の時を同情するのが神ではないのです。そこに【神の非情】さはあるのです。

過去世のカルマの解消は、この世で【世の為人の為】に役立つ行為をする
それが世根としての【米】の実りであり
それは【損】と思わずに、魂の【徳】と考えよなのです

どこに、スピリチュアルの何をしても神の愛で赦されるがあると言うのでしょうか?。

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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月12日 21:51
    神之公園様、こんばんは。
    御質問を御願いします。
    現世御利益信仰や霊能者の病気治しなどはカルマを増やす事になるのかと思ったのですが、いかがでしょうか?
    艱難を避けて通れば違う形で追いかけてくる。
    そんな感じがしました。
    都合のいい悔い改める、都合のいい省みる。
    自分自身を厳しさの中に置く事の難しさを感じています。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月12日 23:30
    > mixiユーザー 大本教神諭に「この神は病気治しの神ではなく、心の立替立直しの神とあります」。大本教が説く牛虎金神国常立尊とは魂の御祖たる神のことです。この神に病気治しとか現世御利益はありません。

    病気治しなどは蛇霊が強く、現世御利益は狐霊が強いのです。ですから、自分がどちらを望むかです。霊界で高い地位に行こうと心がけるならば、当然に創造神信仰にと向かえばいいわけです。

    大本教を信仰していても現世御利益はありますが、こうしたことは狐霊(白狐)が担当しています。創造神ではないのです。大本教神典、白狐は下郎の役で奉仕するです。用は本人の信仰が創造神に向かっているのか。最初から蛇霊神や狐霊神に行っているかの違いです。

    蛇霊を信仰すれば蛇霊を神と仰ぐ世界に進み。狐霊を神と仰げば狐霊の世界にと進む。創造神を信仰するなら創造神にと向かう。すなわちこれ【因果応報】なのです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月13日 09:11
    はじめまして。便乗質問させてください。

    第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか? その1には

    ある時、私はその旧約聖書の神と名乗る霊声に、【あなた様はイエスの上に臨まれたことがありますか?】と問いかけました。するとその霊声は、【私はナザレのイエスの上に一度たりとも臨んだことがない。ナザレのイエスは私の子ではなくて他の神の御子である】と告げられます。意外な言葉です。いったいイエスは誰を指して「父なる神」を語ったのか?。私は子供心にも大いなる疑問を持ったのです。

    とありますが、イエスにとっての「父なる神」を仮に新約聖書の神とするならば、これまで説かれてきた新地球=弥勒の世をどう理解すればよろしいですか?

    この場合、ナザレのイエスを「主なる神」として純粋に信仰している世界中のキリスト教徒たちは、死後どのような世界に進むこととなるのでしょう?

    創造神たる旧約聖書の神ではなく、「他の神の御子」である「ナザレのイエス」を信仰した者たちの【因果応報】について御教示いただければ幸いです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月13日 13:20
    > mixiユーザー 新地球に関してはかなりの霊能者の方達も語られています。これまでの地上神界の主宰神はゼウス(木星神・盤古大神)ですが、そのことをご存じないではないはずなのです。ただ、国常立尊(旧約聖書の神)とは別の神にはなるのです。創造神と創造神ではない神の違いです。木星神は創造神ではないのです。新地球は国常立尊が隠しておかれた世界です。

    霊界にはある鉄則があります。いくら現世御利益があるからと言って蛇霊神を拝んでいれば蛇霊界に、狐霊を拝んでいれば狐霊神の世界に入ります。イエスを主の神と拝んでいれば、イエスが頭となる段階が限界となるのです。

    これまで霊能者の間で謎とされて来た出来事に、キリスト教徒は第二天国界が限界で第一天国界には進めていないです。

    お釈迦様の教えとは現代の仏教とは違います。現代の仏教は大乗で、お釈迦様が説かれた世界は小乗です。小乗とは自分がお釈迦様の様に仏陀(如来)の世界に行くことです。自力信仰です。それに対して大乗は他力信仰です。大乗では第一天国界には行けません。自力信仰でなく他力信仰になるからです。

    私が出した「米」とは、創造神の存在を認めても創造神には成れませんが、その段階に準じる自力信仰の道です。真理の悟りに近づくことで第一天国界(如来界)を目指すものです。

    それに対してキリスト教の「パン(麦)」の教えとは、イエスの段階より下の段階が限界となるのです。つまり第二天国界が限度なのです。キリスト教徒でも愛の実践で多くの人を助けて、世の為、人の為に役立った方は第二天国界まではいけます。ただ、キリスト教徒ではなく、キリスト教には凄いカルマが生じています。

    大本教の出口王仁三郎聖師は、地獄を覗けば牧師や僧侶でいっぱいだと述べておられますが、今の世界の紛争を多発させているイスラエル建国問題。クルド族の問題などはキリスト教国家の西欧が犯した過ちです。民族を考えず勝手に国境線引きをしたなのです。

    日本はキリスト教が入って来た時に、鎖国制度を用いてキリスト教を入れさせませんでした。最近、ブラジルで日本に来た宣教師によって日本人が奴隷として売られていた記録が発見されましたが、もしそのままであれば、日本はアジア各国の様にキリスト教宣教師が先兵となって植民地化されたように植民地にされていたでしょう。

    神の名を語りながら、アフリカの奴隷売買の肩担ぎをしたキリスト教宣伝使達。インカ帝国を滅ぼした影にもキリスト教宣伝使達。彼らに神を説く資格があったかです。

    キリスト教そのものは立替で滅びます。しかし、個々の人の判別は信仰していた宗教ではなく、個々の人の良心神の点数なのです。キリスト教徒だからと言って罰せられるではありません。

    巷には、自分が創造神だとか救世主だとか、自分の前世は釈迦であったイエスであった。そうした名乗りをしている方達は多数あります。で、それが嘘なのか本当なのか判定出来ないでしょう。例えそれが邪神であって信仰していても、そのことによって判断はなされません。どこまでもその人の魂に内在する良心神が判定されるのであって、宗派は意味をなさないのです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月13日 16:06
    > 神之公園様。

    とても丁寧に御説明くださり、誠にありがとうございます。

    ナザレのイエスは木星神ゼウスの御子であり、ゼウスは創造神にあらず。
    イエスを主の神と拝んでいれば、イエスが頭となる段階(第二天国界)が限界となる。
    個々の人の判別は信仰していた宗教ではなく、その人の魂に内在する良心神の点数で判定される。例え邪神を信仰したとしても、そのことによって判断はされない。

    長年の疑問が氷解すると同時に、ある種のトラウマからも解放された気がします。

    本当に有り難うございました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月13日 20:19
    > 神之 公園 様
    御返事有難うございました。
    国常立之尊様を信仰する神社や宗教は他にも見受けられます。
    ですが、仰せの通り現世御利益を求めた時点で、自分自身が狐霊や蛇霊の信仰を
    選択した事になる。
    現代の神社仏閣から現世御利益を取り除いたら宗教が無くなってしまう気がしました。
    人間の心理は損得勘定が主となっている。
    ユダヤの悪鬼に成果主義で泥海にされても、それを選択したのは多くの国民。
    私に出来る事は多くを求めず謙虚に、できる限り社会に奉仕で献身的に。
    現実は厳しいですが心が折れない様に頑張っていこうと思います。
    いつも丁寧な御解答を有難うございました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月13日 21:25
    神之 公園さん

    こんばんは。

    毎回、記事の執筆ご苦労様です。

    ぶしつけなのは重々承知しているのですが、今回の記事を読んで一つお願いがあります。

    前世以前のカルマについては、私には何の記憶もないけれど、下記火水伝文には同じような主旨のことが書かれてあるし、それについては自分の責任らしいので、何も文句を言わないけれど、その返済(?)が終わったら、私の魂は粉々に砕いてくれるように、国常立尊様に頼んでくれませんかね?

    私としてはもう二度と、人間はもとより、動物にも植物にも、その他何物にも生まれ変わろうとは思わないので。

    火水伝文参照。(メグリ=カルマのことです)

    『 自らの運不運を嘆き悲しみ辛く思いあるは、酷き申し様に思われ様が、それだけの真釣りを外し来られた証鳴るを、どうあられても解かり取られて下されよ。こが解かり取られねば、マコトの改心が出来ぬ由、マコトの感謝の響きも鳴り鳴らいで、真釣るマコトに至るは万古末代適わぬ夢と鳴り果てしもうぞ。辛き思いのままに減ぶは汝もご無念にござろうが、宇宙創りし初発より、どんな事にも堪え忍び、至慈至愛の産着を与え、これまで汝を支え育み参りたこの方にとりては、口惜しき血涙の極みにてござるのぞ。元つ神様方の成し来たご苦労を少しは省みてござれよ。汝等に何をされてもじっと堪え、マコト一筋に参り来たであろうがな。マコト、マコト大神の至誠至愛のお仕組みの、情けと花を護持し参りたからであるよ。汝等ハラの底から大神の、至誠至愛のお仕組みを、知りて解かりて来たなれば、嘆くも身欲と思うがマコトぞ。その方が早う気付くを待ちて居るぞ。
     この世に被害者申す者は一人とて居らぬのぞ。加害者しか居らぬのじゃ。神々も汝等もお一人も余す事無く、加害者にてござるよ。なれどそは、ご自身がご自身への、唯一の加害者でありた申して居るのじゃぞ。こは解かるか。汝ご自身以外、汝を害する者は唯の一人も居らなんだ申す事にてあるのじゃ。マコトの事ぞ。なれど汝等、世を挙げて真釣りを外し参り来たが由、相互に関わる汝以外の他人を使いモノを使いて現るる、メグリの綾なす因縁が解からず、自ら蒔いた種とも気付けず、あたかも外から害を受けたかの如くに思いなし、またまた《我善し》我欲で真釣りを外し参り来たのでござるよ。【メグル情け】のお仕組みに毛程の狂いもありはせんのぞ。どんなカタチで訪れ様と汝の外した分だけを、間違い無うキチリお渡し致すのでござるから、殺されあろう、何あろう、この世に被害者は唯のお一人も居らん申す事、ハキリ、ハラに据えて下されよ。この方は、何がありても善いなぞ申して居るので無いぞ。取り違え致すなよ。悪き響きが訪れるは【メグル情け】のお仕組みにござるから、ご自身以外のせいになされてはならぬ申して居るのじゃ。そは悪き響きに対しイサカウは、ちいともメグリが真釣ろえぬばかりか、新たな悪きメグル響きを産むばかりでござるからぞ。メグル悪き響きには、真釣る響きで和し添わねば鳴らんのじゃ。汝等が少しでも三真釣り持ち行きて、真釣るマコトのご苦労をして居りて下されば、死ぬところを大怪我で済ませる事も、大怪我のところを小怪我で済ませる事も、小怪我のところをかすり傷ぐらいで済ませる事も、全く何事も無く済ませる事も、出くる申して居るのじゃ。保身の身欲を捨てなされて、スミキリあれば見え来るマコトにござるよ。』

    また日月神示にはこんな箇所があります。

    『要らんもの灰にするのざぞ。』(松の巻 第二十一帖)

    『何も彼も皆救はれるのぢゃ、生かすことが救ふこととなる場合と、小呂すことが救ふことになる場合はあるなれど。』(紫金の巻 第四帖)

    火水伝文にもこんな箇所がありましたか。

    『 未だにハラにマコトの無き者は、アタマの毒に侵され居るから、自ら選んで成りた訳でもないに迷惑じゃ等、申す者も居られ様が何度も申し伝えある様に、そが者どもは、この方一人も要らんから、お邪魔せぬ様下がって見て居れ申し居ろうがな。』

    国常立尊様は、捻じれた魂や腐った魂は一人も要らないのでしょう?

    水晶に成れる魂だけで、世界を創り直せば、それでいいんじゃないんですか?
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月13日 21:25
    よく「生かされているから感謝しろ」みたいなことが巷で言われているけれど、さっぱり意味がわかりません。別に生かさなくていいですよ。

    あと「食」は良心に傘をしている、でしたっけ。私そのものが居なくなれば、もう他の命も奪わなくて済むので、それでいいんじゃないんですか?

    昔はよく親に「誰のおかげでメシを食わせてもらってるんだ」という主旨のことを言われていたんですが、今でもその意味がわからないんですよ。そんなに邪魔なら、食費が惜しいのなら、産まなければ良かったのに、と思います。

    たまに外食に行っても、こっちは気を使って、一番安いものを頼まなくちゃならない。と言うとまた「外食行けるだけでもありがたいと思え」と言われますかね?

    こっちはそんな思いをするぐらいなら、外食行かなくてもよかったですよ。でも、親が外食行く、と言ったらそれは絶対だから従わなくちゃならない。

    それで、何だかそんな時は、自分は親らしいことをしている、みたいに上機嫌になっているから、こっちはその機嫌を損なわないように、感謝しなくちゃならないらしく、さらに親の苦労もわからなくちゃいけないらしいので、一番安いものを頼む。

    もし仮に、行きたくない、とでも言おうものなら、きっと、外食できる有難味を全然わかっていない、だとか、家族全員でこれから行くのに一人だけ駄々こねてわがままだ、等々言われるのがオチですからね。

    あと、うちは兄貴が二人いるんですが、家はお金がなくて、私までお金が回らなかったんですよ。上二人は国公立、及び、有名私立大学に行ったけれど、私が親に言われたのは「お金がないから大学はあきらめてくれ」でした。それも、今から進路どうするかっていう高3の後半あたりで。

    小中いじめられて、それでもなんとか頑張ろうと思って、高校は学年2番になるぐらいまでがんばったけれど、まあ、ある程度予想はしていたけれど、やっぱり、そう言って来るか、と思いましたよ。

    あと、こんなこともありました。

    小さい頃田舎に帰省する際、行き帰りはフェリーで行くんですよ。でもお金がないから、まだ身体が小さかった私は、船に乗るときは必ず、車の荷台に隠れさせられてたんですよ。いわゆる無賃乗船というやつです。

    当時は、うちは貧乏だからそれでお金が浮くなら、と思って、おぼろげにいけないことだとは知りつつも、我慢してやってたんですよ。むしろ、それで親が喜んでいるので、自分も喜んでやっていたんです。親の役に立っていると思っていたから。

    でも今思うと、そんなことまでして連れていってもらわなくても良かったのに、と思っています。

    といっても、親は親で大変な苦労もしてきたから、それはそれでしょうがない部分はあるだろうし、それも全部ひっくるめて私のカルマなのでしょうから、それはいいとしても、もうめんどくさいんですよね。そういうのが全部。

    まあ人並みに親には感謝しているけれど、その思いとは別に、ちょっと本当に、お金も無いのに、どうして私まで産んだのかと思います。上二人だけで、やめておけばよかったのに。

    翻って、霊界物語では「人は神の子 神の宮」という記述があって、日月神示でも「神は親であるから」というような記述があります。どうも肉体の親とは別に、魂の親は神様らしいということはわかるんですが、しかし、どうしてわざわざ、私という魂をお創りになったのかが全く理解できません。

    何か気付いたらここに生まれていて、まあいろいろ表現は違うけれども、神様の言うことは「天国に行くためには身魂を磨け」みたいなことを言う。進んで地獄に行きたいとは思わないけれども、でも、どうして天国に行くことが至上命題みたいになっているのか、ちょっと本当に意味がわからないんです。

    また、こんな歌があるそうですね。

    「たなつ物、ももの木草も 天照らす 日の大神の めぐみ得てこそ」
    「朝宵に 物喰ふごとに 豊受の 神の恵みを 思へ世の人」

    これって「誰のおかげでメシを食わせてもらってるんだ」という主旨と同じですよね? でも人のある身としては「頂きます」「御馳走さま」と言って、ご飯を食べないと生きていけない。

    と言うと、また文句を言うなと怒られそうだけれど、だからこそです。

    だからこそ、カルマのことは何も文句を言わないけれど、その返済(?)が終わったら、私の魂は粉々に砕いてくれるように、国常立尊様に頼んでくれませんかね?

    上記の歌を崇めて感謝できる人だけ、水晶級の魂の人だけ、もう(あの世を含めた)この世に残ればいいんじゃないかな、と切実に思います。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月13日 23:50
    > mixiユーザー まず基本として「肉体=魂」ではありません。スピリチュアルの無知さは論外ですが、人は「霊止」と言いまして、霊魂の乗り物なのです。ただ、霊主体従と呼ばれる霊魂の意思に従っている肉体の方と逆に霊の言うことを聞かない肉体中心の体主霊従の二種類あるのです。一般的には霊主体従が正しいとされるのですが、それが正しいとは言い切れません。

    何故かと言いますと、本守護神・正守護神・副守護神がありまして、ほとんどの場合、副守護神格に肉体が支配されている方が多いのです。副守護神だと、誤った感覚。誤った道に導かれてしまいます。それならば、霊など解らない従わない体主霊従の方がましなのです。肉体は理性が効くので、理性が効かない霊に支配されるよりも善悪の判断が効くのです。

    この世で犯罪を犯す人の大多数は副守護神がなせるものです。だが、副守護神は自分の魂ではないのです。副守護神に懸かられて本来の自分の魂を見失っているのです。そこで、その悪しきことをする副守護神を交代させると、その人は劇的に変化します。悪しき導きをしていた副守護神が居なくなるので、それまでの自分が消えてしまいます。その時、今までの自分はどこに行ったのだとなります。自分が犯していた行為すら覚えていないのです。

    この副守護神を追い出して、割と正しい行為の副守護神に交代させる力を持たれた霊能者の方が世には存在します。スピリチュアルではそんな力を持った方はいません。そうした霊能者に出会えれば、自分が変わった(代わった)ともなるのです。しかし、そうしたことを既存の神に願っても叶えてくれるような御神霊には見当たらないかも知れません。

    本当にその人が困った時、神社に願ったから聞き届けられるは少ないのです。しかし、神霊との仲立ちが出来る霊能者に頼むと、神霊は動いたりします。

    こうしたことを神霊に頼まないとすれば、スピリチュアルで言う「マイナス思考」に陥らないことです。全て「ブラス思考」に変えて行くと、そうした副守護神が離れていくがあるのです。そこに来るのが「恨み辛み」になるのではなく、何事も「感謝。感謝」に切り替えることなのです。

    人に文句を言う前に、「ありがとう」「ありがとう」で通すことです。良寛和尚の精神で、泥棒に出会って丸裸にされても「ありがとう」です。泥棒が自分の身ぐるみを剥いても、それは自分の罪を取ってくれたのだ。
    私は自分のミスですが単独事故で自動車を破損した時、ああ、車が自分の罪となる物を払ってくれたです。損をしたとは思いません。自分の罪が消えて行くのだです。

    まず、自分の心の持ち方を変えて見ることです。書物に何か書かれていても、それを学んだからでは変わりません。

    文句ばかり言っているのは逃げているのと同じで、それを神が助けるなどまずないと思っておくことです。神は自らを助ける者を助けるなのです。自分の辛さを理解してくださいと言って、可哀想ですねと傷口をなめてくれるのは動物霊の類いなのです。

    獅子は我が子を千尋の谷に落とす。非情です。泣いたからと言って助けてはくれません。自らの足で崖を上がってこいです。

    今般、清水良太郎さんが逮捕されましたが、父親の清水アキラさんは家族だから崖下から自分で這い上がって来いと泣いておられました。そうしたものが本当の愛なのです。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月14日 12:57
    > mixiユーザー それは申し訳ありませんでした。言い訳にはなりませんが、私は曹洞宗門下ではありますが、大本教に片寄っていて、曹洞宗にさほど詳しいわけではありません。はっきり言って葬儀のみのお付き合いです。その曹洞宗の縁なのかどうかは解りませんが、私の指導神として曹洞宗妙厳寺の豊川稲荷さんが居られます。

    ただ、私が人に内在する良心神の原動力になったのは、30年以上前に曹洞宗の小冊の機関誌に書かれていたお釈迦様の菩提樹の下での悟りは、人には良心と呼ばれる神が内在しているでした。それが大本教神諭と結びついたなのです。だが、それ以後にそうした内容が書かれた小冊がないようです。

    私の枝葉の解説に間違いあるとしても、根元は人には良心と呼ばれる神が内在するなのです。私は一つの宗派の教えに固執していませんので、その宗派の信徒さんからすれば文句もあろうかと思います。出来るだけ正しく引用するように心がけておりますが、何分にもこうした文章一つ書くにも多大な時間を費やしており、至らぬところがあったことはお詫びしておきます。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月14日 14:29
    > mixiユーザー 大変申し訳ございませんが、何分にも大量の長文のブログを書いており、その内容がどのブログ文であったのか解りません。調べるにも膨大すぎます。申し訳ありませんが、お解りになっておられるようなので、そのブログが何番の記事か教えていただければ幸甚です。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月14日 15:37
    > mixiユーザー 貴方はあれだけの文章がさらさらと書けると思っておられるのですか?。私は文豪ではありません。一つのブログ記事を書くのに丸四日ほどかけています。文筆家ではないからです。一つの記事を読むだけでも少々時間はかかります。まして470からの長文を全て調べる余力は今の私にはありません。


    貴方ならばあれだけの文章の内容が、1時間ほどで簡単に書ける能力をお持ちなのかも知れませんが私にはそんな能力はありません。ですから、教えていただければ幸甚だと言っているのです。



  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月14日 15:58
    皆さん、こんにちは。
    三世=過去・現代・未来(来世)と言うのはよく聞くのですが、
    三時は良く知らないので調べてみたら「善悪の報に三時あり」と言うことなんですね。

    「三時=順現報受・順次生受・順後次受」との事ですが、現代語訳が「順次生受=『死後』と『次に生まれた来世』」と二通あって一定していないのはさすが霊魂を認めない僧侶が多い禅宗と言う所ですね。

    私は門徒(浄土真宗)の家系なのですが浄土真宗も一部を除いて霊魂を認めないし(西も東も公式に霊魂は存在しないと見解を出しています)先祖供養の概念が無いので、生前に如来に対しての「信」を得た人意外は事実上放置プレイですね・・・。

    大乗仏教では死んでから次の生を受けるまでの状態を「中有」と言うのですが、この中有についての見解が人によってばらばらと言うのが僧侶でも霊魂が「ある」と言う人と「ない」という人が存在する原因なんですよね。

    だけど大乗仏教の位牌は儒教(道教)由来で故人の魂魄(こんぱく)が子孫に取り付かないようにするための取り付く島な訳で霊魂を否定すると位牌の存在が教義上矛盾があるので浄土真宗では位牌は要らないと戦後言い出したたそうです。<=因みに私の勝手な説ではなく真言宗の博識な僧侶から教えてもらいました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月14日 21:21
    > mixiユーザー 500近いブログを30分で読めるなど超人も超人でなければ不可能です。そうしたことを平気で言える貴方は神に等しい方なのでしょうね。

    貴方はとんでもない素晴らしい能力を持たれた方なので、私の様な凡人では貴方の様には行きません。ですからお願いしているのです。

    私の様な凡人で無く、貴方のような素晴らしい能力を持たれた方が霊界に関して具体的に解りやすく解説していただければ、全ての人が助かります。私には文才がありませんので、私の文を優しく翻訳してくだされば嬉しいのですが、是非にお願いします。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月14日 21:52
    > mixiユーザー どうぞどうぞお笑いください。私はその程度の者でしかありません。

    私はあなた様の様に立派な者ではなく、実にいたらない者なのです。実にお恥ずかしいしだいです。どうか笑ってください。

    もしもあなたが誠を知る方であれば、間違った場所を教えてくださったでしょうが、教えようとはされない。どうやら誠の方ではなかったようですね。残念なことです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月14日 23:52
    > mixiユーザー あなたはhifumin36さんとのことを言っておられるのでしょうが、この記事の投稿版の最初の方にhifumin36さんは投稿されており、それに対しても答えています。おそらく次からの記事の内容にも質問されて来られるでしょう。門前払いなどしておりません。

    もし、ifumin36さんが私と話したくないのであれば、この先質問をされて来ないでしょう。

    必要がある内容にはきちんと答えており、必要が無いことまで答える必要はないのです。

    まして、どうして差し上げることが出来ないことまで、同じことを繰り返すのでは意味がありません。これから先の記事によってhifumin36さんにも徐々に解って来られるでしょう。

    今日言えば片付く問題ではありません。長期に渡る事柄です。

    また、私とのやりとりではなく、他の方と投稿に私が一々出ることを求める貴方はかなり非常識の方ですね。

    貴方に誠があるならば、もったいぶっていなくて、その私が間違ったブログが何番の記事か教えてくださるのが貴方の持つ誠なのですよ。

    私は貴方に誠の心があると望みたいのです。

    お願いしますよ。


  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月15日 07:32
    > mixiユーザー あなたのは融通無碍ではありません。また自在でもありません。単に自分は賢いと思っているだけ。確かに賢い人でしょうが、賢明ではないですね。単に頭がいい利口でしょうね。学校の点数は良かったのでしょうが、バカになるのは出来ないでしょう。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月15日 10:33
    米の教えで救ってもらえるではないけれども、
    世の為、人の為に他を救う者となれと説いた。
    これが犠牲心。
    艮の金神から魂である良心神、言霊の神を導く。
    良心とは自らを省みて改める心。
    言霊の神は二線に分けると警告する。
    直霊である神、我々に内在する神。
    我々の内にも善悪と言う二線が存在する。
    誠とは何か?全ての人類が気づく時は終焉の時になってしまうのか?。
    大禊で祓い浄められ誠・真実に気づく。
    ですが全人類が救う者となれば地上天国は夢では無くなる。
    里の行の要はここにあり。

    神之公園様、いつも有難うございます。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月15日 10:52
    > mixiユーザー どういたしまして。そうして気づきを得られたことに感謝します。これから先のことは「国常立尊」にお任せすれば大丈夫です。閻魔大王様でもあるので「来世門」をくぐらしてくださいます。その後は、麗しき神人と成った自分を見るだけです。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月15日 15:32
    > mixiユーザー 別に教えて貰わなくてもかまいませんよ。ただ、あなたに誠の心があるかを見たかっただけです。私にいくら罵詈雑言を浴びせられてもいいのですよ。別に私は創造神でも閻魔大王でもありませんから。ただの一介のでくの坊。

    ただ、言成るの意味が理解できてはおられない以上、それだけの方に過ぎない。それだけなのですよ。言成るの神が存在している。そのことにあなたは気づくことなく終わる。永遠にです。それだけです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月15日 20:25
    藍原延珠@三千院なぎさん。

    あんた器が小さすぎとちゃいますか?
    私もただのオッサンですが貴方を見ていると高速道路であおり運転を行っていた「I」なる人物が思い浮かんで仕方が無いわw
    オレにも嫌がらせしてくれてもいいですよw
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月16日 09:40
    > mixiユーザー 貴方は「だから教えない」で可愛いお子ちゃまなのでしょうね。樹を見ても森を見ず。それとも一つのミスも許さず、どこにでも居るいや風な上司。そうしたことに気づくことなくおられるのでしょうね。可哀想な方です。気の毒な方です。

    そんな性格ではいくら頭はよくても、魂は変形して行きます。いくら学を言っても、学では天国には行けませんよ。人に対して親切な人。世の為に犠牲心を出した人が天国に行くのですよ。曹洞宗を学んだだけでは行けません。

    天国とはもったいぶっているような人が行く世界ではないのです。私は閻魔庁の牛虎の使いなのでそうしたことを説いているのであって、貴方の様な学論議はしていないのです。

    私は閻魔庁の門番なので、地獄に来るのではなくて天国の方に行っていただきたいので、どれほど説いて来たかです。門番風情に喧嘩をふっかけて来ても意味はありませんよ。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月16日 10:24
    普通の人「神之公園さん、OOの記事のXXが間違ってます。正しくは@@ですよ」で終わるところが

    藍原延珠@三千院なぎさん「間違った引用をされて居るので訂正して頂きたいですね」
         ↓
    神之公園さん「それは済みませんでした(中略)至らぬところがあったことはお詫びしておきます 」
         ↓
    以下ずっと藍原延珠@三千院なぎさんが輩に変貌
    (輩:やから、関西では因縁を付けるたちの悪い人と言う意味)
         ↓
    見ている人がどんどん不快になる
         ↓
    ワシ参戦<=今ここ
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月16日 11:17
    > mixiユーザー おはようございます。

    これまでの宗教は「我が宗教を信じれば天国」で、それが宗教世界の覇権を狙って他宗攻撃に明け暮れている。今では宗教が人々を地獄に案内している有様です。天国とか地獄の判定をしているのは各自の魂の核としてある天帝の分魂であり、人には各自の良心の働きです。だから、「閻魔(円真)大王」であり、地獄に落ちても来世を授ける「円羅(ラ)」大王なのです。

    大本教の出口王仁三郎聖師が、地獄を覗けば牧師や僧侶でいっぱいだと述べておられますが、そうした宗教家が何をして来たかと言うと、神仏を拝んでいればいいで、自分の魂を磨かせることを怠ったなのです。お釈迦様でもイエスでもは偶像崇拝は禁じられたのですが、後世の者が偶像崇拝に入ってしまった。

    巷に自分が創造神だ。救世主だ。天照大御神だ。素戔嗚尊だと名乗る方が多数輩出しておられますが、その信徒さん達を見ると白装束で頭に三角ずきん。亡者の姿をしておられます。
    大本教の出口王仁三郎聖師が言われた、「信者を天国に案内すると言いながら、地獄に案内する取次ばかり」です。

    イエスでも大本教の出口王仁三郎聖師も「悔い改めなさい」と説かれているのは、悔い改めると魂の心棒(杭)が新しいものになるのです。これが出て来ないと各自の「良心神」が光輝かないのです。聖書で人類の原罪とする蛇の囁きから外れて、真の神の御国に戻れるのです。

    その原点を知らないで、宗教の教えばかりに固執していれば、天国に行くのではなくて地獄に行くになってしまうのです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月16日 12:02
    > mixiユーザー 「偉い」と「違う」の漢字を見てください。右辺は同じです。これは、自分は偉いと思ったら違う道に入っているのです。

    プライドは英語で、日本語だと「誇り」ですが、日本語の「ホコリ」は「埃」になってしまいます。この世ではプライドの塊ばかりの方は魂が変形にと入って来ます。変形が止まらなければやがてはその魂は破砕されて「塵・埃」の類いになってしまいます。地獄界の方が遙かにましです。

    プライドの塊の方は、実れば実るほど頭を垂れる稲穂かな。には成れないのです。

    常に自分は「世根」となる。社会には自らが「世根」として活躍して偉大な功績をあげられた方達は数々あります。こうした方々は天国界にと神上がりをされています。こうした方達は自分を偉ぶってはおられないでしょう。

    神社の宮司でも宗教家でも金持ちだけを大切にされている方はありますが、そうした方に見えているのは「金が神様」なのです。貧乏には相手にもしてくれません。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月16日 17:23
    >神之 公園さん

    ご返事ありがとうございます。

    仰ることはよくわかりました。

    私の読解力が弱いせいなのかもわかりませんが、魂の粉砕に対する返答が見当たりません。

    私の魂の粉砕についての是非はどうなのでしょうか?

    可能なのか不可能なのか、出来れば簡潔にお聞かせ願えると有難いです。

    >獅子は我が子を千尋の谷に落とす。非情です。泣いたからと言って助けてはくれません。自らの足で崖を上がってこいです。

    認識の相違があるみたいなのですが、そもそも私は別に崖を上がりたくはないんです。というより、なぜに崖に上がらなくちゃならいのか、その必要性が、私にはちょっとよくわからない。

    だから、そのたとえにあるように、いきなり谷に落とされて、谷の上から「這い上がって来い!」と言われても、ちょっと意味がわからないのです。

    理由としては、魂を磨くために、ということになるのでしょうが、なぜに魂を磨かなくちゃならないのですか?

    魂を磨けば、永遠の嬉し楽しの世を生きられるから、ですか? 

    もし理由がそうなのであれば、逆から言えば、永遠の嬉し楽しの世を望まなければ、崖を這いあがる必要性はそもそもありませんよね? ということを言いたいわけです。

    >今般、清水良太郎さんが逮捕されましたが、父親の清水アキラさんは家族だから崖下から自分で這い上がって来いと泣いておられました。そうしたものが本当の愛なのです。

    私もその会見は見ました。

    清水アキラさんは会見で「他の家庭以上に厳しく、何かあればひっぱたいたりもした」という主旨のことも仰ってました。

    私の見た感じでは、清水アキラさんは、おそらく大変な家族思いな方だろうと思います。そして人並み以上の忍耐と努力で、今の地位を築かれたことだろう、とも思います。

    また、良太郎さんの逮捕の件は、それは当然ご本人の責任だとも思います。

    しかし私は、ひっぱたいた、ということに、とても違和感を感じます。

    おそらくアキラさんの世代では、ひっぱたくという行為は、世間的にある程度の部分は許容されていたのだろう、とは思います。しかしだからといって、それが絶対に正しいとは、私には思えないのです。

    たとえば、昔、敦賀市長が「50年後、100年後に生まれた子どもが片輪(=障がい者)になるかもしれないが原発は金になる」という発言を、講演会でされていたことがあります。

    私は、その情報を目にしたとき、仮にも責任ある立場の人がそんなこと本当に言ったんかいな、と思って調べたら、その当時の講演会の動画があって、見てみました。

    確かにそのようなことを言っていて驚いたのですが、私が一番驚いたのが、その講演を聞いている聴衆が全員、その意見に「よくぞ言ってくれた!」と言わんばかりに拍手喝采を送っていることでした。

    今見ると狂気そのものに映りますが、当時はそれでみんな幸せになる、という認識だったのでしょう。

    だから、時代の中で正しいと思われることも、それが絶対に正しいかと言えば、必ずしもそうとは言い切れないんじゃないでしょうか。

    私の感じ方からすれば、「そうしたものが本当の愛なのです。」という言い方は、清水アキラさんは親として100%の愛で接して来たけれども、子供はその気持ちも分からずに感謝もなかったので、今回の逮捕にまで至ってしまったので、子供が100%悪い、という言い方に聞こえます。

    逮捕の件は100%ご本人の責任だとは思いますが、何かあればひっぱたくまでして厳しく育てた、その「育て方」に関しての親の責任は全く無い、とは言い切れないんじゃないでしょうか。

    現に会見で、清水アキラさんは「私の育て方がね、ダメだったんだと思います」と仰っています。

    話は変わりますが、体育会系の部活で、先生が生徒を殴って死なせている事件がニュースになっていたりします。

    内容を見てみると、一人ランニングが遅れているとか、そういう理由でペナルティを課したり、生徒に能力以上の無理な課題を課したりして、結果死に至らしめています。

    これら先生は、おそらく「崖下から自分で這い上がって来い」という厳しいスタンスで指導していて、その中で起きた事件だと思われるのですが、これも本当の愛なのですか?

    これらの事件で死んだ生徒は、カルマで自己責任だけれども、死に至らしめた先生の方は、本当の愛を貫いているから何の問題も無い、死んだのはその生徒の能力が足りなかったのでしょうがない、ということなんですか?
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月16日 17:23
    また私の中学1年生時代の話になりますが、当時ヤクザみたいな技術家庭の先生が居て、「遅刻したらケツパンや!」とか何とか言って、お尻を大きい定規(?)みたいなもので、叩いて、厳しくやってましたけど、あれも愛だったんですか?

    ちょっとうろ覚えで申し訳ないんですが、授業の間の休憩時間が10分間あったんですが、ある時、何らかの事情で、遠くにある技術家庭の教室に行くのに、絶対に間に合わない時があったんですよ。

    確か前の授業がプールか何かで、授業が終わったあとまた制服に着替えなくちゃならないので、時間的にどうしても間に合わない。

    だから、一定数の生徒がケツパンされてましたし、私も喰らいました。特に私は、小学校卒業時に目の手術をしたばかりで、あまり激しい運動はできなかったので、走って教室を行くのは危ないと思ったので、もうあきらめて遅れていきました。

    明らかに理不尽な話ですが、これも魂を磨くために感謝をして耐えろ、ということですか?

    ある意味これも、時間内に教室に入らなければ罰を与える、ということで「崖下から自分で這い上がって来い」というスタイルだと思うのですが、前の授業がプールであても、遅刻した者はケツパン、という厳しさが愛なんですか? 一体あの謎のルールは何だったんですか?

    まあとにかく、そんな調子なので、私はとにかく怖くて、その先生に何か課題の質問を出された時、質問の内容云々より、失敗したら何かされるんじゃないか、と頭が真っ白になって、何も答えられませんでした。

    一体あの謎の威圧感、謎の厳しさは何だったんですか? そしてそれは本当に意味があったんですか?

    私としては、他の先生は誰もそんなことをしていなかったので、そのルール自体がおかしかった、と今でも思っています。

    あえて言うと、その先生の態度も、今思い返してもひどいものでした。

    厳しいことを全否定するわけではないけれど、それは公正公平なルールがあってこそ意味があるものなのではないですか?

    >文句ばかり言っているのは逃げているのと同じで、それを神が助けるなどまずないと思っておくことです。

    逃げるのが、なぜいけないのですか?

    以前働いていた会社では、入社時に交わした契約と大幅に違っていました。

    まあ、おそらく一般的にはブラックと呼ばれる環境で、サビ残は当たり前。夜も連絡が来るかもしれないので、だいたい夜22時まではスタンバってなくちゃならない。

    休みの日も休みの日にはなっているけれども、いつ上司から電話がかかってくるかわからないので、休みにならない。お盆にも急に呼び出されるので、家族との約束もキャンセルせざるを得ない。

    まあ会社でも似たようなことを言われます。

    給料を貰えることに感謝して、自分のことなんか全て後回しにして社会に貢献しろ、みたいなことを。

    でも、やっぱり私はおかしいと思ったのでやめたんです。

    なぜなら、契約時に会社が提示してきた内容と大幅に違ったからです。

    小さいことを言えば他にもこんなことがありました。最初スマホが会社から支給されましたけど、途中から、なぜか自腹を切って通信料を払わざるを得なくなった。

    かといってスマホがないと同僚とも連絡が取れず、何かと仕事に支障をきたすので、解約もできない。

    上司にそのことを伝えたら、もう会社で契約しているものではないので、解約するのもどうするのも君の自由だ、というが、実際問題、仕事に支障をきたすので解約もできない。

    よくわからないのが、他の同僚は会社持ちだけど、なぜか私だけ自腹。私は営業ではなく事務だったから、そんなに連絡も取らないので、会社としては必要とはみなされない、という理由みたいだったが、もう一人の事務の人のスマホ通信料は会社持ち。やはりよくわからない。

    会社からは、それが決定事項だから、と通達してくるだけ。

    結果、毎月のバカでかい通信料で実質給料がさらに少なくなる。自腹に追い込んでおきながら、当然上司からも仕事の連絡が来る。

    まあその他諸々、最初からそういう条件が提示されていて、私も納得していたなら良いですよ。でも、全く違った。

    当初同じ部署に最大で6人ほどいましたが、みんなやめるか別の部署に移り、最後に残った私もやめました。

    特に私は目のことがあって、可能性は低いものの、いつ視野が狭くなるか、見えなくなるか、という状況ではあるので、やめました。現に、あの職場にいたころは、網膜剥離に二回なって、手術しましたしね。殺される前にやめました。

    念のため言っておきますが、これはその会社の悪口でも、文句でも、不幸自慢でもないですよ。あくまで、以前私がそういう職場にいて、そういう状況であった、という説明に過ぎません。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月16日 17:24
    神之 公園さんは、そういう状況であっても、全て魂を磨くためだから逃げるな、というスタンスなんですか?

    もしあのまま仕事を続けていて、仮に失明にまで至っていたら、それも全部受け入れて、全てに感謝しながら、今後一生両目が見えない状態で生きていくべき、というスタンスなんですか?

    「獅子は我が子を千尋の谷に落とす。」と言いますが、谷に落とされて、実際に大怪我を負う、または死んだ場合は、それはしょうがないというスタンスなんですか? それは本当の愛だからしょうがないんですか?

    神之 公園さんは、よく「愛だから何をしても赦される」のは間違いだ、という意味のことを仰っています。優しい愛は間違いで、厳しい愛なら、何をやっても赦されるんですか?

    もしそういうスタンスなのであれば、私はやはり違うと思います。

    戦前は、B29を竹槍で落とそうとしていましたよね。神風特攻隊も送り続けました。空襲があったら火を消せ、と指導していました。

    客観的な事実として、誰がどう見ても、どう考えても、竹槍でB29は落とせません。

    特攻隊も、最初こそは相手も想定していなかったので、ある程度の成果を収めましたようですが、途中から研究され尽くされて、最後はほとんど成果を残せなかった、にも拘わらず送り続けた。終戦の日にまで、特攻隊が飛び立とうとしていた。

    また東京大空襲の時、逃げずに消火していた人は一発で死んだでしょう。

    そしておそらく戦前は、今よりもずっとずっと厳しく指導していたと思います。しかし、厳しければ何をしても良いんですか? 厳しくやって国が守れる、また相手も成長できるなら、それもまだよいかと思います。

    しかし厳しいばかりで戦略を何も立てず、その間に国民がむやみにやたらに地上戦や空襲で死んでいく。成長どころか過労死で死んでしまう。

    これはやっぱりおかしいと思うんですよ。そして、明らかに厳しくするベクトルが違うと思うんです。

    神之 公園さんは「世根となれ」と仰います。

    ブラック的な職場で、必死に働いてやっていく。それはそれで大変立派なことだと思います。しかし、それで体も心も壊すまでやることが、はたして意味があるんですか?

    別の職場では、いわゆる不正行為もさせられました。

    ただその職場も一杯一杯で、不正行為をしないとやっていけない、という現状がありました。(本当であれば、不正行為をせずともやっていけるようなやり方を、上の人が見つけないといけないとは思いますが)

    神戸製鋼所の不正がニュースになっていますが、私はやはり、今の社会のシステム自体に根本的な間違いがあると思います。

    「崖下から自分で這い上がって来い」と言って、何も彼も厳しくすれば、それが全て正しいのですか?

    厳しくされても、それに全て感謝して、不平不満を一切言わないことが正しい、と言われるならば、私はそうは思いません。それは単なる押しつけだと思います。

    それに、認識の相違があると思います。

    私は前の職場にも、貴重な経験をさせてもらったので感謝はしているし、当初の契約と違った、と言うことも、これは不平不満ではなく、公正公平な視点から見て、それはやはりおかしいのではないか、ということを言っているだけです。

    だって、当初交わした契約と大幅に違うことを要求されたら、それはやっぱり、誰がどうみてもおかしい、と思うじゃないですか?

    1万円の値札が付いている商品を確かに買って、十万円請求されたら、それはおかしいと思うじゃないですか?

    それを、他のお客様も十万円お支払い頂いているので、お客様一人だけ特別扱いするわけには参りません、とか、値札には一万円と書いてありますが、あれは本当は十万円の価値があるので、当社では請求の際、本来の価値である十万円を請求をさせて頂いております、とか、そんな意味不明なことを言われても、おかしいものはやっぱりおかしいじゃないですか?

    また神之 公園さんは「魂を磨く 燭修發修盧欧箸蓮」の記事で「よく古戦場や戦場で戦っている兵士の霊が見られるがあります。」と仰られています。

    昔テレビで旧日本兵の霊を見た、という番組を見たことがあります。

    今とは比べ物にならないほどに厳しく指導され、そして無残にも死んでいった戦前の日本の兵隊さんたちが、どうして彷徨ってなくちゃいけないんですか?

    そして、おそらく「崖下から自分で這い上がって来い」と言って、戦場に送り込んだ鬼軍曹の上官はどこにいったんですか? ひどい仕打ちをしたから、鬼軍曹の上官は地獄行きですか?

    そうして上官は地獄に行って、末端の兵士は彷徨っているんですか?

    もしそうだとすれば、やはり何でもかんでも「崖下から自分で這い上がって来い」と言って、厳しさ一辺倒でいくのは、やり方に問題があると思います。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月16日 17:24
    うちの父親も厳しい方だったから分かるけれども、とにかく怖くてこちらからは何も言えない。こちらは何も主張できない。口を開けば「子供だから」「まだ半人前だから」と言われて、とにかく親の言うことすることは全て正しい、子供のやること思うことは全て間違っている、という前提で、絶対服従しなくちゃならない。そして傍にいるだけで、気をピンと張りつめてなくちゃいけない。

    だから子供心に公正公平に見て、おかしいと思うことでも、その「厳しさ」の前では、とてもとても声を上げることなんてできない。

    たとえば、こんなことがありました。

    小学生のころ、貰ったお年玉5千円を大事に置いていたんだけれども、ある時、親父がそれを貸して欲しい、という。まあ、断れるわけがないのでそのまま貸したら、それ以降、全く音沙汰がない。

    実際のところは見ていないけれど、親父は昔からパチンコパチスロが好きなので、まあたぶんそのためのお金だったんだろうと思います。

    とにかく使い道は何でも良いけれども、こちらとしては、その5千円がいつ返って来るのかわからないので、気が気ではない。

    今はどういう価値観かはわからないけれども、当時の小学生としては5千円はとんでもない大金で、私はそれまでいろいろと使い道を考えながら楽しみにしていたのに、ある日突然、そう言われて、そのお金がいつ返って来るかわからない状況に立たされる。

    はやく返して欲しいのはもちろんですが、せめていつ返すメドが立つのかを教えてくれれば、自分のお金の使い道のメドも立つけれども、それは怖くて、とてもとても言い出せない。

    たぶんそれを要求したら、そのお年玉(お金)は、もともと他人様から貰ったもので、そもそもお前が汗水たらして稼いだものじゃないだろう? それを、さも自分のお金のように思っていること自体が思い上がりだ。

    世の中には、そのお年玉も貰えない子がいるのに、何たらたら文句を言っているのか。とにかくお前はお年玉を貰えるだけでも有難いと思いなさい。お前はもっと、感謝することを覚えなさい、というようなことを言われるんじゃないか、と、子供心に思うので言い出せない。

    しかし、やっぱりお金は返してほしい。

    面と向かってはとても言えないので、一度家族が揃っている前で、勇気を振り絞ってそれとなく声をあげたけれど、すかさず、みんなの見えないところでギュッと手の甲をつねられました。まあ要するに、いらんことを言うな、という合図をされる。

    結局その5千円は返って来なかったと記憶しています。

    大人になって親父にそのことを言ったら、それはすまなかった、5千円は返す、と言ったけれど、私は断りました。

    それはまあ、何というか、今更返してもらっても、ということもあったし、おそらくそんなことは当人は忘れているだろうから、そういうこともあったんだ、ということを、どこか心の片隅にでも置いてもらいたかったからです。

    だから厳しさ一辺倒も、私はどうかと思います。

    では、この世のやり方として、どういうやり方が良いのか? 

    以前書いたかもしれませんが、日月神示にも書かれてあるように、何もかも税金をタダにして、皆タダ働きすれば、貧困問題、年金問題、医療問題、国の借金問題、治安問題、国防問題、あらゆる問題が、全てこれで片付くと思います。

    私は経済のことはよくわからないけれども、この考え方にはとても納得できました。

    想像してみてください。あらゆるものを無料にし、税金を一切取らなかったら、どうなるかを。

    まず、衣食住全てを無料にすることで、毎月払う家賃や光熱費や食費の心配をしなくて済む。大豪邸に住んでいる人も、何百万とかかる固定資産税を払わなくて済む。

    何もかも無料なので、近くのスーパーはその地域の各家々の巨大な冷蔵庫と化し、衣料品店は巨大なクローゼットとなる。

    結果、自然と貧しい所、足りない所へ、天地の恵みが行き渡るようになる。何もかもが無料なので、消費者は買い溜めする必要も、バーゲンを狙うことも無くなり、店側も、必要以上に大量に仕入れたり、無理に売りさばかなくても済む。

    そしてここが肝心な所ですが、このやり方をすれば、実際の仕事量が劇的に減るはずです。

    たとえばスーパーで見れば、何もかも無料なのでレジ打ちの人は要らない。それどころか、その日の売上計算もしなくてすむので、売上管理をする必要もなくなる。販売促進のためのチラシも打たなくてよくなる。

    一方スーパーに来る人は、各々必要な物を必要なだけもっていくので、レジに並ぶ必要もないし、あっちの店よりこっちの店のほうが安いから、とわざわざ遠くのスーパーに行かなくてすむ。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月16日 17:24
    さらに衣料品店で見てみれば、各々自分に合った服を選ぶので、店員が接客する必要がそもそも無くなる。一日の売上を確保するために、朝から夜中近くまで働いたり、店長が自腹で自分の店の商品を買わなくて済む。

    そして、あらゆる税金が無いので、確定申告も要らないし、税に関わる複雑な計算もしなくてよくなる。国税庁は脱税しているかどうか調べる必要も無くなるし、還付そのための書類を発送する必要も無くなるので、役所の人々も無駄な仕事が劇的に減る。

    会社も決算を報告する必要が無くなり、節税対策をしなくてもよくなり、不正経理をするなどの犯罪も犯さなくて済む。

    さらには全てが無料であるがゆえ、年金を払ったり貰ったりする必要が無くなり、今言われているような、若い人は年金が貰えない、などの世代間の確執も無くなる。

    乗り物も全てタダなので、皆気軽に全国を行き来できるようになり、都会も田舎も活気が出て来る。仕事が劇的に減る分、皆それぞれ時間が出来て、その時間を家族と過ごしたり、趣味に当てられる。

    映画や小説、ドラマやアニメ、ゲームなども全て無料のため、制作側は販売促進も要らないし、そのための莫大な広告費も要らない。一様に印刷したりDVDにせずとも、全てネットを介するようになるので、無駄に資源を浪費しなくてすむ。また権利関係から、著者や製作者と違った意図で作品が発表されることもなくなる。

    このように皆の仕事量が軽減され、逆に自由な時間が増えて心に余裕が出来れば、ストレスから来る内臓の病気や、うつ病などで精神薬に頼る人々も減っていき、忙しすぎるお医者さんの仕事量も格段に減るので、結果タダになった医療を活用する人々も減る。

    そもそも全てが無料なので、強盗や詐欺などの犯罪を犯す必要が全く無くなる。犯罪を犯す以前に、何でもタダで遊んだり手に入れられる世界が目の前にあるので、そちらに夢中になる。犯罪者が少なくなれば、その分、刑務所も要らなくなり、そこで働く刑務官などの仕事も要らなくなる。

    何より凶悪な犯罪を取り締まる労力や時間をそれとも要せずとも、日本の治安が確保される。結果、警察官の仕事量も減る。

    急いでどこかに行く必要がなくなるので、仕事に間に合わないからと、スピード違反をする必要も無くなる。

    また賠償金や慰謝料をもらうための裁判も無くなるため、裁判所への申し立て件数もほとんど無くなる。こうして犯罪者が減り、裁判する人も減れば、刑事裁判、民事裁判共に件数が減って行く。結果、裁判官も検事も弁護士の仕事も要らなくなる。

    当然のことながら、全てが無料であるがゆえにパチンコや競馬などの博打も無くなる。それでもパチンコや競馬が好きな人は、博打性のないパチンコや競馬で勝手に遊べば良い。

    こうなればもう、女性がお金のために身体を売らなくて済むので風俗も無くなる。今行なわれているように、貧困から風俗で働かなければならないことも無くなる。

    仕事が劇的に減るのはわかったが、そうなれば失業者が街にあふれる? いや、それも無い。なぜなら、既に何もかもが無料なので、食べるために仕事を探さなくても済むからだ。

    そうなれば、やはり誰も働かなくなる? いや、それも無い。

    働くとは本来、傍(はた)を楽(らく)にさせる意味だ。お金を得るため、食べるために無理して働く今のこの状況から解放され、何もすることがなくなったら、今度は他人のため、誰かの幸せのために、何かをしたくなるからだ。結果、皆喜んで、納得してタダ働きするようになる。

    無料にすれば素晴らしい社会になることはわかったけれども、ではその財源はどうするのか? との問いは浮かぶだろうが、いやいや財源はいらない。なぜなら全員が給料を貰わずに、タダ働きするからだ。

    つまり、何もかも無料にして税金を取らない代わりに、皆タダ働きをする社会制度に代えるということ。仕事量が劇的に減り、一方で社会全体から、皆が等しくその恩恵を受けられるとなれば、皆喜んで働くようになるのではないかと思います。

    幸い日本には天皇陛下がおられる。

    だから皆一旦、天皇陛下に何もかも捧げて、そこから改めて天皇陛下から頂く、という形式にして、皆タダ働きだけれども、皆無料の世にすれば、全てうまくいくのではないかと思います。

    まさか天皇陛下おひとりがその捧げられた富を独り占めするはずがなく、ただ「良きに計らえ」と一言言ってくだされば、捧げられた富は全て天皇陛下を通って、そこから改めて皆の所に、自然と行き渡るのではないかと思います。

    こうすれば、誰も文句は言わないと思います。

    このやり方をすれば、右翼の人は賛成だろうし、左翼の人も、それで戦争が無くなり、貧困が無くなるのであれば、回り回って賛成するのではないでしょうか。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月16日 17:25
    そしてそのやり方を世界中に広げることが出来れば、もはや国同士で戦争をする意味もなくなる。

    人の欲というのは全て、肉体の欲から来ていることと考えれば、その欲が満たされれば、他の人のものを取ったり、何かを貪るということにはならないと思います。

    「衣食足りて礼節を知る」ではないけれども、世界中の衣食住が満たされ、今よりずっと少ない労働で、天地の幸を皆で分け分けできるのならば、これほど良いことはないと思います。

    厳しい中で滅私奉公で働いてやっていくのも、大変ご苦労なことだと思いますが、しかし、今のやり方を変えて、誰もが困らない、皆の衣食住が満たされる、誰もが等しく天地の幸に預かることが出来る、そういう世の中を作るのも、決して神意から外れたものではないと思います。

    私が素晴らしいなと思ったのは、このやり方をすれば、皆の欲が満たされながらも、全体としてまとまる、という点です。

    よく貧困の子供たちに募金を、などの呼びかけがありますが、今までのやり方だと、相手を思うと自分を犠牲にしなければならなかった。

    10000円どこかに募金することは、自分の財布から10000円減ることでもあった。善意でそれが出来る人は素晴らしいと思いますが、全員は中々そうできない。生活が苦しいのに10000円募金するのは、本当に本当に苦しい。それでも犠牲になれる人は神様級に素晴らしいとは思いますが、だからといって貧困の子供たちが一気になくなるわけではない。

    しかし上記のやり方をすれば、タダ働きにはなるけれども、その労働時間は今よりも劇的に短くなる上に、全員が全員、天地の恵みを全てタダで享受でき、利用できるようになる。私もあなたも何も困らない状態が出来る。

    システム的に、最初から貧困の子供たちが出て来ないようなシステムになっている。だって、何もかも無料なのだから、何か食べたいと思ったら、各人が思い思いに取っていけば良いのだから。

    そして今の貧困層だけでなく、富裕層にだって大きな利がある。

    このやり方をすれば、皆こぞって自分の出来ることを発揮できるので、今とは比べ物にならない便利なものや、社会システムがそこら中に出て来る。

    結果、これまでのどんな大金持ちにも体験できなかった、その時の最高品質の物やサービスを、その都度その都度得られることになる。もちろん、今でもお金を出せば、最高品質のものは得られるでしょうが、しかし世の中がそういう社会システムになれば、今までとは比べ物にならないほどの最高品質の物やサービスが出て来る。

    もちろん貧困層の人も同じく享受できるので、「自分は他の人よりもお金を持っている」というステータスは無くなるけれども、そのステータスを捨てても、あり余るほどの恵みを享受できる。

    こうして個人的にも全体的にも、一番少ない苦労で、一番大きい利を得られるならば、今のような、一番大きな苦労で、一番小さな利しか得られない状態をわざわざ続ける必要は無いのではないでしょうか。

    貧困層は、人生の大半を費やして働き尽くめしても、たまに外食できるぐらい。良くてたまに旅行に行けるぐらいしかお金が貯まらない。富裕層は、莫大なお金を手に入れることは出来るけれども、それだけ悪を強くしないと手に入らないから、その分、負のカルマを背負ってしまう場合が多い。

    ならば、やり方を全部変えて、無理に労働ばかりしなくても、悪いカルマを作らなくても、天地の恵みを誰もが預かれるようにすれば、それがやっぱり一番だと思います。

    厳しい中でとことん苦労することも大事だとは思うけれども、一方で、そればかりでは、個人も社会も疲弊していくばかりのように思います。

    今の時代、車や電車、飛行機があるのに、京都から東京まで徒歩で行く人は、まず居ないじゃないですか。江戸時代には、皆徒歩で行っていたでしょうけど。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月16日 17:25
    >一つのブログ記事を書くのに丸四日ほどかけています。

    まさか丸四日もかけているとは思いませんでした。

    神霊世界に関わってらっしゃる方だから、一日ぐらいで勢いに乗って書いているのかと思っていました。

    そりゃあ、記事には「そなたに、この神の力を与えるのは最後の最後の時である。そなたにはその日まで何の神の力も与えない」とありましたが、神霊世界にあまり詳しくない私からすると、神様とお話出来たり、霊的な存在も見ていらっしゃったり、滝行などの修行もされている方なので、そういう力は十分にあるとの認識でした。

    その上で一つ気になったのは、先の返事が私の質問から僅か数時間後の、0時近くに返信して下さっていることです。

    個人的には、いろいろと疑問や思う所があり、返事を頂きたい所ですが、それはそれとして、私とのやり取りがお身体のご負担になっているのであれば、私の方は返事は急いでませんので、あまり無理をなさらぬようにして頂ければと思います。

    あまりにご負担になっているのであれば、最悪、返信を頂かなくても結構です。その時は、その旨を一言仰って頂ければ幸いです。

    一般的な話として、特に高齢の方は、精神的な負担が身体にも出やすいとされています。

    当のお前が言うな、とまた怒られるかもしれませんが、このところ雨も降り出して、さらに寒さが増して来ております。自己犠牲も大変結構だとは思いますが、あまり無理をしすぎて、肝心のお身体を壊さぬよう、どうぞご自愛ください。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年10月16日 18:36
    > mixiユーザー 質問はいいのですが、このような長文でいろんな返事をせよと言われれば、はっきり言ってお断りします。非常識過ぎます。ただhifumin36さんは丁寧な方だと見受けますので、質問をされる時は一つの事柄程度でお願いしたいなのです。私はカウンセラーをしているのではないからです。

    しかし、貴方も見てお解りになったように、私にカウンセラーをしていないと非難する輩もいます。この世の中とは皆さんご都合主義なのです。だったら、その批判する人がhifumin36さんのカウンセラーを引き受けられたらいいのに、そうではなかったでしょう。

    一つにあなたはこの世の中の人はすべて善人だと思いすぎなのです。

    私は決してあなたのことは嫌いじゃない。鍛えれば見所がある方と読んでいます。だが、物事は一長一短で簡単に解決するではありません。霊的な要素が絡んでいるとその人を立て直して上げるのに数年。長ければ10年ともなるのです。中には20年近く費やして、少しは良くなったの方もあります。

    私はその場その場を見ていないのです。その人が上がって行く時期、そして逆に落ちて行く時期、どうしても通らなければならない道。

    私は行者その者ではありませんが、伏見稲荷山で4年。次に言霊師の元で1年ほど修業して来ました。だが、それ以前に霊が告げた内容が本当に成るのかなどの確認に4年かかったこともあります。そうした慎重の上で神霊界に修業に入ったのです。師匠から離れた後は、自分に降りて来た出来事から思考しだしたのです。

    私が書いているようなことを他の方は書かれていないでしょう。いくら神仏と会話できる能力があっても、その神仏自体が解っていない。神仏から直に教えを受けているではないのです。逆に神仏から教えられてしまうと、あまり苦労しないので大成しないのです。

    さて、貴方の質問の自分の魂を粉砕して欲しいに関して言えば、私は人であり、私の権限外です。それらは法則に則ってされる神の権限で、私から言うことは出来ません。

    私は神から千尋の谷に落とされた者です。自殺も図りましたが死なせて貰えなかった。私の最初の師匠もあまりの辛さに二回も自殺を図った。列車に飛び込んだ。機関士も列車に飛び込む人を見て慌てて急ブレキーをかけて探したら、草むらにチョコンと座っていた。私は修業の中で、人に言っても信じない。そうした数々を見て来た者です。

    崖から這い上がるのを拒むのならば、這い上がって来なければいいのです。そうしたことを言うと、冷たいやつだとののしって来る人達ばかりでしょう。だが、本当の神とは冷酷無情なのです。
    現在の神界の神々は、ほとんどが動物霊とされるように蛇霊や狐霊です。こうした神霊は優しいですよ。可哀想だ可哀想だと言って来ます。あなたが崖を這い上がるのではなくて、崖下で留まって自己主張を続けるのであれば、私に対して質問するのではなくて、そうした蛇霊や狐霊の神の元に行くべきです。

    私の修業の世話をしてくれた豊受姫は、師匠にあれ(私)にもっともっと苦労をさせる積もりであったが、ある神から妨害があって苦労をかけそこねたと言われていました。私の師匠が神に仕える人生ではなく、普通の人で生きたかったと言いますが、悲惨な苦労を味わっさせるなのです。

    この神霊世界で特に言われていることに、高い神の分魂を貰っている者に課せられる試練苦労は端から見ておられないなのです。もう尋常で無い苦労が行きます。尋常で無い苦労を背負っている方には神の子が多いのは事実です。だが、それで自殺などしたら、その罪はもっと増すのです。

    そうした霊界の法則に、自分はこうだああだと言っていたら、高い神から頭を叩かれてしまいます。この世の論理では通らないのです。私は豊受姫から木槌で頭を叩かれて、肉体の頭にたんこぶはないのですが、霊体の私の頭はたんこぶが出来ていました。

    霊的世界とは、どんな世界もあります。この世を去れば、いやでもそうした世界に行きます。氷の世界もあります。腐汁世界もあります。この世で魂を鍛えておかなければ、そうした世界で暮らせません。いくら泣こうが喚こうが、そうした世界で長々と生きなければならないのです。

    不満たらたら言っていて何も解決しないのです。今の時代は甘やかしばかりで、魂がもうダメになって来ているのです。その甘やかしになれたのでは自分の魂の為にはなりません。

    前の質問で、親に自分を何で生んだかの発言があったかと思いますが、それは貴方の根本的間違いです。貴方がその家を自ら選んだのです。私のHPやブログが膨大なのは、そうした数々を説いているのであって、それらをしっかりと見ていれば、ほとんど解ることなのです。




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