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2016年03月21日01:20

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【長文注意】5年後の東日本大震災被災地と観光での復興応援・2/6:女川町 (1/5)

 これは、「食っていけなきゃ、(被災地の生存者は)生き残れない」という見地から、過去の拙日記記事「【長文注意】頭では自粛はいけないと分かっていても、「申し訳なさ」を感じる方へ〜自分の立場でできることの一環としての提案」で提案した、「『泣きながら観光』というものがあってもいいじゃないか」という発想に基づいて、平成23年(2011年)3月11日の東日本大震災被災地を観光客として5年後に訪問した状況の、被災地の観光産業振興(産業連関波及効果を期待すれば全産業)の応援を趣旨とする観光案内と兼ねた報告の続きで、ここでは、宮城県 牡鹿郡おしかぐん) 女川町おながわちょう)について報告します。

 平成28年(2016日)2月21日(日)には、宮城県 牡鹿郡 女川町にも行きました。以下の写真は、女川町営の観光物産施設・マリンパル女川おさかな市場解説,  地図,住所:宮城県牡鹿郡女川町浦宿浜字(あざ)篠浜山2)です。ここでは、おいしい海産物をリーズナブルなお値段でお買い求めいただくことが可能です。

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 以下の写真は、蒲鉾本舗 高政女川本店万石の里解説,  地図,住所:宮城県牡鹿郡女川町浦宿浜浜田21番地)の写真です。食っていけなきゃ生きていけないので、平成23年(2011年)3月11日の東日本大震災の被災地の復興のためには、産業が再生して食っていくことが欠かせないため、このように工場と売店が築かれている様子は、涙が出そうになる程にうれしいことでした。このお店で買った笹かまぼこが、べらぼうにおいしかったです。

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 女川町は、平成23年(2011年)3月11日の東日本大震災の際に、町内の水産工場で働いていた中国人実習生が全員助かった美談で知られている町です。藤村三郎なぜ一六二人全員が助かったか(社会評論社,2014年03月)p.20によれば、(株)高政でも、14人の中国人実習生が働いていたとの由です。『同書』には中国人実習生の手記が複数載っており、『同書』pp.37-45には、(株)高政で働いていた2名の実習生の方の手記が載っています。

 以下の写真は、女川町の復興仮設商店街・きぼうのかね商店街地図,住所:宮城県牡鹿郡女川町浦宿浜字(あざ)十二神)の写真です。案内してくれた友達の話,ならびに女川町観光協会ホームページ ・ スタッフブログ ・ おながわ復興まちびらきまで、あと4日(^^)/によれば、詳しくは後述するとおり「仮設ではない商店街」・女川駅前テナント型商店街シーパルピア女川女川町観光協会による案内ページ,  地図,住所:宮城県牡鹿郡女川町女川浜字(あざ)大原1)の平成27年(2015年)12月23日の開業に伴い、きぼうのかね商店街地図)は縮小しつつあるとの由でした。ただし、同情報源によれば、同情報源が書かれた平成27年(2015年)12月現在きぼうのかね商店街地図)で頑張っているお店もあるとの由ですので、女川町ご来訪の方には、全店舗が仮設商店街から移ってしまうまでの間は、きぼうのかね商店街地図)にも訪れてあげていただきたいと思います。

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 以下の写真は、きぼうのかね商店街地図)の名前の由来になった「希望の鐘」の写真です。現地にあった案内板によれば、元々は女川駅かつてあった場所(地図))の駅前広場にあった、列車の到着を知らせるからくり時計の時計台の4つの鐘の中の1つであるとの由です。東日本大震災の津波被害で駅舎も時計台も流出してしまいましたが、奇跡的に鐘の中の1つが見つかったため、「希望の鐘」と名付けられて復興のシンボルになったとの由です。

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 以下の写真は、建物全体の写真を写し漏らしてしまったので店内だけの写真ですが、女川町の、株式会社岡清によるお魚いちばおかせい公式Facebookページ地図,住所:宮城県牡鹿郡女川町小乗浜小乗115)です。お魚いちばおかせい公式Facebookページ地図)は、海鮮丼等の女川町のおいしい海の幸を食べられるお店として、復興支援のために訪れる人にとって有名な店であり、店内には多くの有名人の色紙が飾られていました。ここの海鮮丼は、べらぼうにおいしかったです。

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 以下の写真は、女川町地域医療センター(旧女川町立病院)地図,住所:宮城県牡鹿郡女川町鷲神浜堀切山51-6)です。一見してお分かりいただけるように高台の上にありますが、なんと、この高台の上の旧女川町立病院地図)の1階まで津波が押し寄せたとの由です。

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