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2016年04月23日07:58

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じゃりン子チエと、池上彰も語れない大阪の黒歴史

真っ先に思い浮ぶ「関西弁」のアニメキャラランキング
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=45&from=diary&id=3960333

※【いつも見てくれている方には毎度おなじみですが、超長文のため読書する気分でお読み下さい。長文が苦手な方、活字に馴れていない方は、戻った方が無難です(笑】

大阪人として真っ先に思いつくのが、やっぱじゃりン子チエですね〜。舞台が舞台やからあんなコテコテ大阪弁のアニメは今後出てこないんじやないか!?というくらいの大阪濃度150%アニメでした。大阪弁も違和感なけりゃ、雰囲気まで違和感ないし(笑)

で、ネットでまことしやかに語られてる、じゃりン子チエにまつわる、あるウワサがあります。

「主人公のチエちゃんは被差別部落の人で、じゃりン子チエは部落差別反対のメッセージか含まれている」

そう本に書いてる評論家もいますが、結論から言います。ガセです。
これを語るには、大阪の黒歴史を説明しないといけません。あの池上彰さんも、「大人の事情」によりこれは公には解説できまい(笑

じゃりン子チエの舞台は、アニメでは通天閣がある新世界になってますが、原作は萩之茶屋という所です。
萩之茶屋というところは、あの泣く子も黙る日本屈指のスラム街…というのは過去の話、全国の皆さんに色々ご迷惑をおかけした(笑)前大阪市長の橋下さんがクリーニングしちゃった上、外国人バックパッカーの溜まり場になって今はすっかり綺麗になっちゃった日雇労働者のメッカである「あいりん地区」の一角になります。
「あいりん地区」というのは行政が勝手につけた勝手な名前で、旧名は「釜ヶ崎」と言います。ここは元々、今の「大阪の秋葉原」こと日本橋の電気街にあった貧民街(スラム街)が、明治中期にコレラ流行の発生地として強制クリーニングを喰らい、路頭に迷った乞食同然の貧民が紀州街道沿いに再集合し街になったのが始まりです。実は「釜ヶ崎」という名称も実は正式な地名ではないスラングで、「鳶田(飛田)」「堺田」などの地名もあったのに何故か「釜ヶ崎」。いつ「釜ヶ崎」という名前になったのか、そもそもなんで「釜ヶ崎」という名前なのかは全くデータがなく、今でも大阪史の謎となっています。
そして大正時代、事もあろうに(?)その傍らに飛田新地という遊廓が出来て大繁盛、「釜ヶ崎」はその「門前町」として繁盛し、各地から人がやってきました。彼ら目当ての一杯飲み屋や食堂が集まり、あのじゃりン子チエの風景の原型が出来上がりました。
大阪の地下鉄御堂筋線に「動物園前」という駅があります。名前の通り天王寺動物園の前にある駅なのですが、実は「釜ヶ崎」の前にあり、「飛田遊廓」の最寄り駅(徒歩5分)という裏の顔も持っています。この駅の出口を一つ間違えると、そこはとても日本とは思えない別世界・・・というのももはや過去形どころか、過去完了形になりつつありますが、動物園前駅が出来た頃の飛田遊郭は、日本でも最大の大きさの遊廓の一つになっていて、同じく大阪にあった、遊女数、売上数、客数日本一の「遊廓三冠王」こと松島遊廓のしっぽを、もう一息でつかみそうな勢いでした。しかし、交通の便が悪いのが玉に瑕。そこで、動物園前ってタテマエは駅名そのままやけど、飛田遊廓への客を運ぶために作られたんじゃないか!?というのが、俺のささやかな仮説です。動物園前には「新世界」という副駅名があって、通天閣への最寄りでもありますが、「飛田遊廓口」「釜ヶ崎前」なんて裏駅名が過去に存在したかも!?しかし、戦前戦後すぐの好きものたちは、動物園前で降りて鼻息を荒くしながら夜の街へ消えていった・・・ことは確かです。

「釜ヶ崎」にはある伝説があります。それは「男娼」のメッカだったということ。「男娼」とは娼婦ならぬ「娼男?」、売春婦ならぬ「売春男」のことで、飛田が「女を抱く」なら釜ヶ崎は「男」を抱く所。昭和初期には既に全国区になっていたくらい有名で、「東の上野、西の釜ヶ崎」と言われてたそうです。今の東京の「男系」のメッカは新宿2丁目ですが、戦前は上野だったそーです。そして、上野は今のゲイ、釜ヶ崎は女装した男のメッカでした。
戦後も「日雇い労働者の町」ではなく、飛田の「門前町」として、そして男娼のメッカとして有名だったのですが、今はその面影すらなく、今の雰囲気を見てもにわかに信じられません。
でも、当時の風俗ルポを見ると必ず書いてあるし、何よりこんな人がこんなことを書いています。

『好きものの旅行者たちが、新世界・飛田周辺を歩いてひどい目にあった、という話をときどき聞く。
むりもないのだ。背のすらりとした美人に言い寄られてしかるべく交渉して、いざ寝てみると男だったというのである。
この界わいは男娼が多い。かつては、もと陸軍軍曹やもと海軍少尉の男娼もいた。かれらは、戦場で鍛えた勇気もあり、腕力もあった。客が気づいて、
「モノが違うやないか」
とひらきなおっても、腕では負けていなかった。当然、かれらが受け取るべき正当の代価を取り上げた。
べつに私はかれらを悪いとは思わない。間違う客のとんまさに責任がある、というのがこの界わいの論理なのだ』
司馬遼太郎 昭和36年12月のエッセイより

このエッセイは司馬遼太郎の出世作『竜馬がゆく』を書き始める1年前のもので、まだ駆け出しの作家の頃のものですが、当時大阪市西区に住んでいた司馬遼太郎も地元民として知ってるほど有名でした。そして何より、このエッセイはすべて「現在形」で書かれています。つまり、司馬さんが書いた昭和36年時点では「現役」だったということです。

そして、もう一つの伝説は、「オカマ」の語源になったということ。「オカマちゃん」の語源は諸説ありますが、「釜ヶ崎」から来たという有力な説があります。
「オカマ」という言葉は大正14年には既にあったことは、俺が見つけた資料から確認済みなのですが、「釜ヶ崎」に集まった貧民は金がない。でも性欲は溜まる。おまけに隣に日本でも3本の指に入る大色街が出来た。余計にムラムラが溜まる。今みたいに発散する娯楽がほとんどない中、欲求不満は爆発しそう。
そこで、「釜ヶ崎」の男娼の出番です。彼らは飛田の半額くらいだったらしく、
「しゃーないわ、金あらへんさかい、『カマ』にしとこか」
と男を買う。そこで「女装した男」を「カマ→オカマ」になった、という話です。


そして、あいりん地区の隣には、もう一つ「訳あり」の地区がありました、いや、現在進行形であります。
それが、その昔は「西浜」と呼ばれた被差別部落の存在。
西浜地区は江戸時代初期の地図にも「穢多村」として出てくる、今でも面積はぶっちぎり日本一の被差別部落なのですが、そもそも革製品を扱う職人が集まったのが始まりらしく、江戸時代から「穢多」として差別はされていたものの、西日本全域の革製品の製造・商売の独占権をGETして、明治時代には銀行や学校を自力で作れるほど裕福だったことは案外知られていません。
元々元祖の西浜地区は、今のJR芦原橋駅前のほんの一角だけだったのですが、明治時代以降に革製品や紡績業の工場や問屋、地方の被差別部落から集まった従業員の住宅が集まり、工業地帯としてエリアが広がっていきました。しかし、工業化により江戸時代からの「元穢多」の富裕層(ブルジョアジー側)は西浜を離れ、関西の中級〜高級住宅地へと散っていきました。残ったのは雇われた側の貧民のみ。
そして、元々は接していなかった「釜ヶ崎」と接するようになり、2つの「訳あり地区」が隣接するようになった、という歴史があります。
こんな歴史はなかなか公では語れませんが、コテコテ大阪人でもここまで知ってる人は少なく、こういう黒歴史を知らない人が、「釜ヶ崎(=あいりん地区)」と「西浜地区」をごっちゃにしてしまっている事情もあって、なんだか2つの地区がイコールみたいなイメージがあります。「じゃりン子チエ被差別部落民説」も、中途半端な知識しか持たない人が言い出した、デマに近いウワサなんでしょう。まあ、ネガティブなイメージだけならどっちも「目くそ鼻くそ」なんでしょうけどね。
でも、上に書いたように、釜ヶ崎ことあいりん地区は今年でやっと100周年くらいに対し(公式にはいつ成立したのかは不明)、西浜は少なくても400年以上の歴史を持ち、文献に残る日本でいちばん古い部落の一つなので、「格」が全く違います。

で、「じゃりン子チエ部落説」の根拠の一つに、「ホルモン焼き」があります。確かに原作でもアニメでも、チエちゃんはホルモンをせっせと焼いています。
ホルモンとは牛の内臓のことですが、被差別部落の住民のもう一つの「特権」に、牛の屠殺権というものがあります。江戸時代の身分の一つである「穢多(えた)」は、牛を殺す権利を持っていた故に殺生を戒める仏教の教えに反する→穢(汚れ)が多い→穢多となったものですが、これは部落民以外の人が勝手につけたマイナスイメージで、現実は「特権」と言っていいものでした。だから牛を解体するのも彼らの「特権」で、解体した時に出たホルモンも、事実上タダで仕入れて売りさばくことも可能でした。
明治以降に肉食の習慣が身についた日本人ですが、ホルモンはとにかく安くてスタミナもつき、おまけにお隣が日本有数のホルモン「生産」のメッカなため、「釜ヶ崎」の貧民や労働者には大人気。萩之茶屋だったら、歩いても10〜20分くらいが「供給先」なので、輸送コストもほぼゼロだったはず。なので、ホルモンを食べさせる店も格安で提供できたはずです。
大阪ではホルモンと言えば地元のソウルフードでふつうに食べてるのですが、おそらく関西以外でホルモンといえば、「部落住民が食べるもの」というイメージがあるのかもしれません。その証拠に、「部落料理」なるものが大阪を含めた全国にあって、それは牛の内臓系の料理が多かったりします。牛の内蔵(ホルモン)を食べる=部落民というイメージから、大阪人以外の人が「チエちゃん部落民説」を唱え始めたのかもしれません。

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