猛暑が続いていた7月でしたが、8月になると、ややほっとできるお天気の日も増えてきました。
でも、そうなってみると勝手なもので、なんだか夏がもう終わってしまいそうで、寂しい。
相変わらずエアコンの部屋でひきこもってフルート三昧でしたが、その間、合わせ練習や、一家団欒や、もろもろありました。
そんな中、ジュニアコンクール地区大会本選の審査も。
夏休みなので参加数も多く、中学生〜大学生の真剣勝負を聴かせていただくことで、改めて自分の反省を含めて考えさせられることが多かった。
みな予選を勝ち抜いてきたコンテスタンテ、ここで好成績を出せば、次は全国大会・・
という緊張の中、その緊張を推進力のエネルギーに変えられるか、プレッシャーとしてブレキーになってしまうか・・
人の心と身体は様々、とはいうものの、同じ人間。
本当に「本番」とは不思議な場でもある。
自分自身もまだまだ何もわかっていないのだけれど、それでもいくつかの関連性はあるような気がした。
緊張して息が浅くなっている場合は、大体が、下半身が硬い。
動いているとしても、硬いままでの大きな動き。
そして、おそらくアンブシュア周辺の緊張も過度になっている。
それは、横隔膜や腹深部の働きが脆弱なので、口元で補って音を出すしかない状況だからだろう。
で、それらをもたらす大きな要因が「ひかがみ」か?
膝の後ろのくぼみのこと、とかつて甲野先生からお教えいただいた。
「ひかがみを蹴り上げると息が止まって死んでしまうんです。ここは急所の一つです。」
とのことだった。
「ひかがみ」は、横隔膜に直結している、とのお話を思い出すことの多い今回でした。
「ひかがみ」をゆるめて使う、ということは見た目にピンとしている、曲げている、という話ではないけれど、やはりピンとさせ過ぎていることで身体を硬直させる場合は多いかな、と。
「ひかがみ」を上手く使いこなせるようになれば、不随意筋である横隔膜の使い勝手も良く成り、さらに良い結果が得られるんじゃないか、という新たな気付きもいただけた。
どうやって?
足のつま先の向き、脚巾、位置、などで、かなり変わると思います。
色々と探してみる価値はある。
全てはみな繋がり関連しているのだから。
今回、一番不思議で印象に残っていたのは・・
登場した時の佇まいがとても自然で、楽器がスっと身体に馴染んでいたコンテスタンテ。
審査員の誰もが、登場したとたんに、「お!?」と、とある期待を感じたと審議の時にわかった程。
それなのに、演奏は浅い息で、速いパッセージも指で音符をかきまわしただけの様な、残念なものだった。
あの姿勢で、あの構えで、何故そうなる?
というのが、本当に謎でした。
よくエアギター、エアバンドというものがあるけれど、エア管楽器の大会があれば、一等賞だろう。
それなのに・・
これはなんとうか、私が今までやってきたことの底の浅さ、と問題点を突き付けられた様なショックだった。
形だけ真似てもしょうがない、ということは重々承知で、また真似ただけ形のというものは、だいたい不自然なことが多く、「似て非なるもの」というのは、誰が見てもわかる。
でも、私の目がまだまだ節穴なのだろうか、そのコンテスタンテは、それとは違い、本当に自然な、おそらく自分の要求の中から生まれてきた構えで、楽器が良く似合っていた。
これしかない、というくらいに。
おそらく、その自然な構えのお蔭もあって、ササっと表面的なことが出来てしまう(と本人が思ってしまう)ので、基礎が全く足りていない、というか出来ていないのがその原因だろうけれど、それにしても、ギャップの大きさに打ちのめされた。
どこかで「大化け」してくれること祈りたいし、その暁の演奏を聴いてみたい。
そして。
「人のふりみて我がふり直せ!」
でもある。そう。そこそこの表面的なことはとても簡単に出来てしまうのである。
さらわなくても。
身体のことをあれこれ工夫したり、ヒモを巻いたりすれば。
問題はその先な訳で。
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