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2017年08月21日13:25

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高橋一生なる俳優の名は確と脳裏に焼きついて候

政次(高橋一生)衝撃の最期に涙 “政次ロス”広がる 高橋一生も「お風呂で寂しさがこみ上げた」<おんな城主 直虎>
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=137&from=diary&id=4725723

テレビドラマなどまず観ない小生も大河ドラマだけ毎年観ている。
政次はいずれ劇的な死を迎えるであろうことは、何ヶ月も前から推知できたものの、さて、脚本家はどのような死なせ方を演出するのであろうかと興味を持って眺めていたが、なるほどまずまずの演出であった。

もとより、小野但馬守政次が井伊家当主と対立していたのは歴史的事実であるが、それを、井伊を護るための盾として汚れ役を一身に担った描き方をしたのも、まして直虎との恋情にまで昇華させたのも、脚本家の腕であったろうか。

小野但馬守政次を演じたのは、高橋一生なる若手俳優である。
50歳未満の役者にはとんと疎い小生なれど、この高橋一生という名前は確と覚えた。
役者が演ずるキャラクターによって、その役者が好かれたり嫌われたりするのはまさに役者冥利に尽きるのだろうが、我れにおいてもこの高橋一生なる役者の好感度が急上昇したのは、小野但馬のキャラクターが投影されたが所以であろう。それだけの好演であったということだ。

あの、時折視線を宙に漂わす表情がなんともよかった。心の言葉を努めて腹の内に収める、諦観を含んだ孤独の表情は、その役回りと見事に符合していたと思う。

或いは。
「井伊にとって政次は一方の翼。片翼だけでは井伊は飛べぬ。双翼あればこそ全てを失おうと再起を図れる」
思えば、この和尚の言葉には慈愛の真理があり、聴く者に一瞬、愁眉を開かせる。滅びの美学など気取らず、生命以外の全てを喪えば良かったのだ、という衝かれたような思いがよぎる。
三国志や史記にはそんなシーンがいくらでもあるではないか。
が、井伊を取り巻く人々、領下の民百姓への厄災まで気遣って、自裁にも似た身の処し方こそ日本人の美意識と言っては過言か。

さても、直虎自身の手で身を突かれたその瞬間に垣間見せた、苦痛のなかの一瞬の歓悦の表情は、これまた名演。

高橋一生、名優に育っていってもらいたい。
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