インタビュー・柄谷行人「改憲を許さない日本人の無意識」2016 「文学界」7月号 を読んだ。
「日本人にとって憲法九条とは何なのか。・・・安倍政権が今夏の参院選で改憲勢力拡大を目指す今を、「憲法の無意識」岩波新書を上梓した柄谷氏はどう見ているのか。」これが、インタビューの目的である。
☆海風:私は岩波新書を読んでいないので、柄谷の駆使する論理には、いささか分かりづらい所があった。
柄谷:憲法九条は米占領軍によって強制されたものだ、と言われているが、強制されたことと自主的であることは、単純に区別できるものではない。・・・真の内発性は外から強制された時に生じる。カントが「至上命令に従うことが自由である」というのは、こういう逆説です。
☆海風:ルターは「キリスト者の自由」とは、教会の命令でなく神の言葉で生きることだと言ったが、カントの至上命令も福音書を踏まえていると思われる。その場合、イスラム教徒は別の「至上命令」に従っている時に、現に、和解できない争いになっている。
人間の「内発性」を信じるのがリベラルで、「強制による内発性」というのがマルクスなどの社会主義思想ではなかろうか。確か、ルソーについて、「自由であるように強制するべき」との思想だ、としたのはマルクス哲学者だったような。よく思いだせないのだが。
柄谷:カントの永遠平和とは、単に戦争が無い状態でなく、戦争を起こすような政治的国家を揚棄する市民革命と切り離せない。それは一国だけではできないので、カントの平和論は一種の世界同時革命論です。後のマルクスの世界同時革命とつながります。
たとえば、ロシア革命が1917年に起きて、その三年後にカントの思想に負う国際連盟が発足した。両者は関連しているのに切り離したことで、どちらも駄目になった。
☆海風:階級闘争の結果としての世界革命と、神の「至上命令」のカントでは連携させるのが無理ではないのか。「憲法の無意識」で検討してあるのだろうが。
編集部:「憲法の無意識」で驚いたのは、憲法一条(象徴天皇制)と九条との密接な関係を示されたことです。
柄谷:マッカーサーは天皇制の維持を重視していたが、ソ連や連合国だけでなくアメリカ国内でも天皇の戦争責任を問う意見が強かった。彼らを説得する切り札として戦争放棄条項を必要とした。
今は(国民の無意識に根を下ろしている)九条の方が重要であるが、その有力な後援者が一条の(今上)天皇・皇后である。
編集部:・・・つまり、天皇が国民の無意識を代弁している・・・。
☆海風:「国民の無意識」とは、次の徳川の平和を意味していると思われる。徳川三百年は日本人の集合的無意識に沈澱している、というのである。このあたり、柳田国男も賛成するに違いない。柳田は、封建体制と小作農民との階級闘争として江戸時代を描いた歴史学者に、それではあんまりだと苦言を呈していたのである。
憲法の「先行形態」としての徳川体制
柄谷:現行憲法の先行形態を明治憲法とすることが多いが、むしろ徳川体制と考えるべき。・・・それを一言で「徳川の平和」と呼んでよい。
編集部:徳川の体制とは、非軍事化(大阪の陣後の元和偃武)と象徴天皇制ですね。天皇をそのまま祭り上げて(象徴に限定した)。
☆海風:パックス・ロマーナも徳川の平和も圧倒的な武力による威圧があってのことである。それに加えて、幕府は万世一系の天皇による委任という正統性も独占した。平和の永続には、武力と正統性が独占されていなければならない。今の世界は、キリスト教とイスラム、それに共産主義・共産党という三大正統性に分裂している。
自衛隊という「徳川の回帰」
柄谷:徳川体制は戦国時代に事実上消滅していた身分制を復活させた反動ではあったが、明治のような開国なら、徳川の鎖国の方がましです。
丸山真男は戦後を第二の開国と言いましたが、鎖国の回復が入らないと真の開国にはならない。第三の開国が必要で、それは憲法九条を実行することです。
☆海風:つまり、柄谷はトランプと同様にTPPに反対だと。世界が共産主義になった時、世界的流通でなく中世的な地域経済・地域流通になるのか?
柄谷:九条があるだけでは意味がない。文字通り実行するべきである。国連の常任理事国になりたければ、国連総会で九条を実行すると宣言すればよい。常任理事国が反対しても国連総会で承認されるでしょう。
☆海風:強力な国連軍が必要だし、それを誰が運用するのか。総司令官と参謀本部は誰なのか? 柄谷は空想的平和主義者と言わなければならない。フィリッピン、ベトナム、インドネシアなどは誰が南シナ海を守ってくれるのかと、柄谷に詰め寄って来るのでないか。
ジャパニーズ・ユートピアとしての九条
柄谷:「憲法の無意識」で九条をカントの平和論との結びつきで考えましたが、さらにアウグスティヌスの「神の国」を受け継ぐものです。ローマ帝国の下で諸国家が共存している。
スピノザもルソーも、近代国家を都市国家(ポリス)に基づいて考えているので平和は不可能です。
☆海風:つまりギリシャの都市国家群や中世イタリアの都市国家群の上に強力な国家がなかったので、始終、戦乱状態だった。「第三の男」は、だから文化が発達したのだと皮肉ったのだが。柄谷は「第三の男」ではなく、「ローマ(軍)の平和」派ということで、ここでは、現実的だった。
柄谷:憲法九条ではリアル・ポリティックスに対応できないと言われますが、リアル・ポリティックスなど空想の産物にすぎない。日本にどうして憲法九条が現実にあるのか、そのことに驚かないような認識こそ非現実的だと思う。
編集部:本書(「憲法の無意識」)では「リアルスティックな」と「非現実的な」考えが逆転して語られるんですね。
柄谷:このインタビューは文芸雑誌に載るのだから言いますけど、そのことは、文学では普通のことでしょう。
ユダヤ人の選民思想は孤立の中で生きることを支える思想だった。同じように、憲法九条とは「召命」、神に召されることだと思う。
☆海風:柄谷は、まさかと思うが数千年に及ぶかと思われるユダヤ人の苦難に生きろと言っているのか?
柄谷の言うような「選民思想」は、戦前の革新将校たちが持っていて、大英帝国などをアジアから追い出して、大東亜共栄圏をつくり、満洲国の五族協和体制にしたい、いや是が非でもする、生産力が劣っていても大和魂があればできると神がかっていたのである。
その神とは超国家主義(神)だったというのが定説だったが、いや革新将校は共産主義化していた。北一輝も岸信介も社会主義者だったとの説もあって、よく分からないが、いずれにしても神の呪縛はとれて昭和天皇も本来のイギリス流立憲君主に戻ることができた。
何神だか知らないが、「召命」はもうたくさんである。これこそ、集合的無意識ではなかろうか。日本人が九条を守ろうとするのは、もう、神の命令に従いたくないという無意識の発動だと思う。多分、柄谷流の九条実行にも無意識が待ったをかけるに違いない。
個人レベルはともかく、国家レベルでの冒険はこりごりだと無意識は考えていると思う。
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