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2017年04月26日23:36

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N響第1855回定期公演〜チェコの現代作品2題

4/16(日)NHK-Eテレ[クラシック音楽館]で放送されたのは、NHK交響楽団第1855回定期公演、今年2017年1/28 NHKホールでの収録である。

指揮 下野竜也(1969- )

前半の2曲についてのみレポートする。

[プログラム]

1) ボフスラフ・マルティヌー(1890-1959)作曲《リディツェへの追悼》(1943)

2) カレル・フサ(1921-2016)作曲《プラハ1968年のための音楽》(管弦楽版/1969)

共にチェコの現代作曲家、祖国で起こった事件をきっかけにして、祖国への思いを音楽に託した作品だ。

1)
マルティヌーはチェコのポリチカという小さな村で生まれ、パリで作曲を学んだ。
第2次大戦下で、ナチスのブラックリストに名が載った事から、1940年、アメリカに移住した。
戦後1948年にチェコが共産化した為、一生母国に帰る事はなかった。
この曲は、第2次大戦中、アメリカ時代の作である。

「リディツェ」はチェコの小村。
1941年、ナチス幹部のラインハルト・ハイドリヒが保護領副総督としてチェコに赴任、徹底的なレジスタンス掃討を行った。
ハイドリヒは、結局翌1942年レジスタンスに暗殺されたが、その犯人をリディツェ村が匿った疑いで、ヒトラーは総統令を出し、村を殲滅せしめた。
500人程の村人は、15歳以上の男は全員銃殺、女子供は強制収容所に送られ、村は焼き払われて完全な更地になった。
この事件は世界を震撼させた。むごたらしい写真は、ナチスが敢えて世界に発信したものだ。
マルティヌーは、リディツェ村追悼の思いを音楽にした。
単一楽章で、演奏時間13分程。

2)
フサは首都プラハに生まれ、やはりフランスで作曲を学んだ。
第2次大戦後の1954年にアメリカに移住、後半生はアメリカで過ごし、ピューリッツァー賞を獲得する等活躍した。

この曲はフサの代表作の1つで、1968年に吹奏楽の為の曲として作られたが、名指揮者ジョージ・セルの委嘱で翌1969年に管弦楽版編曲された。

フサがこれを作曲したきっかけは、1968年、民主化改革に沸くプラハにソ連軍が侵攻した、いわゆる「チェコ事件」である。
フサが晩年住んでいたニューヨーク州のイサカ大学の委嘱に応え、事件に対する怒りや悲しみを音楽にした。
4楽章で構成され、打楽器が活躍する。演奏時間30分程。

何れの曲も、私は初めて聴いた。

インタビューに応えた下野の発言を書き留めておく。

・・・・・・

マルティヌーは好きな作曲家で、手当たり次第聴き、スコアも集めた時代がある。
この曲は、そこはかとなく悲しく美しい曲だと思っていた。
調べていくと、第2次大戦下の事件にぶつかった。人間というのはこんなに酷い事ができるのかと驚いた。
それからは、この曲を聴いてただきれいな曲だと思う事はなく、亡くなった人達の声のように聴こえるし、残された人達の泣き声も浮かぶようになった。
今回の演奏では、マルティヌーがそう書き記しているのではないが、N響の演奏者達に、ここはこう演奏したい、と、1ヶ所だけお願いした。
真ん中で、オーケストラ全体のトゥッティが咆哮し山が築かれた後、(イングリッシュホルンが途方に暮れたような呟きがあり)弦楽だけの部分が出てくる。楽譜上はただ「ピアノ」と記されているのみ。
そのシーンは、焼き払われて更地にされてしまった風景、何もない風景が浮かんでくる。ここに幸せな人達が生活していたという痕跡は全て消されてしまっている。
ここは表情を付けないで演奏して欲しいと私はお願いした、きれいなメロディなりの色付けでプレーヤー達は演奏していたが、ここはそうではない、と。

(演奏を画面で見ると、ここでは、N響の弦楽メンバーはヴィヴラートも殆どかけず、敢えて歌い込まないようにしているのが判る。)

・・・・・・

(次のフサの曲、下野はこの管弦楽版の日本初演を行った経歴を持つ。)

そのリハーサルをしている時に、手紙が届いた。
誰かと見ると、何と作曲家本人からだった。
曰く、管弦楽版の日本初演を出版社から聞いて手紙を書いた。とても嬉しく思う、あなたと、オーケストラの皆さんにお礼を、という内容だった。

(2014年5/4付、下野は手紙の実物を見せてくれた。長生きした作曲家で、計算すると、その時フサは93歳か。その2年後の2016年、彼はイサカで亡くなっている。)

タイプでなく手書きの自筆。
ソ連の軍事介入に対するフサの怒りが溢れたもので、作品が凄く厳しい音楽なので、勝手に厳しい人物かと思っていたが、そうではなく、暖かい人柄が窺える文面だった。その時の演奏メンバー達と一緒に感激したのを憶えている。尚一層いい演奏をしようという思いを新たにしたものだった。

今回採り上げた2曲は、共通して、チェコの悲しい歴史上の事件がきっかけになっているが、音楽を聴いてもらい、その作品の背景に迄興味をもってもらえたとするなら、今平和に生きている私達が、何気なく過ごしている日常が如何に大切かという事を感じ取ってもらえたらありがたい。

・・・・・・

同じチェコの現代作曲家でも、2つの作曲時期には26年の開きがある。
フサの曲は、打楽器が10種類も使われ、その多彩で切迫した動きが、戦車や銃、また軍靴の音のように直接胸に迫る。
ラスト近辺では、不確実性の技法も使われ、その狂暴な程の高まりは、聴いていて苦しくなり、同時代を生きたチェコの人々を想い、瞼が熱くなった。
下野の渾身の指揮がそうさせたのだと思う。
 
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