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2015年08月31日21:20

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「被爆70年 平和への祈り〜マルタ・アルゲリッチ&広島交響楽団」

8/31(月) 0:00〜、NHK-Eテレで標題の番組が放送された。
ついこの前の8/11にサントリーホールで開催された、広島交響楽団「平和への夕べ」コンサートの本番その他の収録だ。実に早い番組実現で驚いた。
同じコンサートは広島でも開催された。8/5、広島文化学園HBGホールにて。

指揮 秋山和慶(広響音楽監督)
演奏 広島交響楽団

〈プログラム〉
1)ベートーヴェン作曲 『エグモント』序曲
2)同 ピアノ協奏曲第1番ハ長調op.15
 ピアノソロ マルタ・アルゲリッチ

 〜休憩〜

3)ヒンデミット 交響曲『世界の調和』

加えて詩の朗読があった。

朗読 アニー・デュトワ,平野啓一郎

小説家平野啓一郎と伴に朗読をするのはアニー・デュトワ。アルゲリッチの次女で、指揮者のシャルル・デュトワとの間に生まれ、現在俳優をしている。
2)の前に朗読したのは以下の詩。

・原民喜(1905-51) 『鎮魂歌』

指揮者,ピアニスト,オーケストラもステージに並ぶ前で、平野が日本語原詩、追い駆けてアニーが英訳(by アンソニー・チェンパース)を1段ずつ掛け合いで読んだ。
原民喜は広島出身、自身被爆をしながら、死者に捧げる痛切な祈りを歌にした。
代表作は『夏の花』(1947)。原爆投下の惨状をメモした手帳を基に書かれた。

アルゲリッチはインタヴューに答えて言った、
・・・(原民喜は)自ら命を絶った。とても悲しい詩だ。その詩に続いて、生命力と愛に溢れたベートーヴェンの音楽が流れる。非常に対照的だが、それによって命の大切さと歴史の惨事を繰り返さない事を胸に刻み込む。
今も世界中で悲劇が繰り返されている。その事を自覚する為に、対照的な詩と音楽が役に立つかもしれない。

そして、アニーがこう付けくわえた、
・・・理性ではどうしても伝えきれない事がある。言葉だけでは説明しきれない。音楽や詩、そして沈黙を通じて誰もが共感できる事を伝える。それは人類共通の言葉だ。
アニーはアウシュビッツにも度々訪れている。そして、生存者に話を聴いてきた。
この夏は広島で、アニーはアウシュビッツについて講演し、学生達と語り合った。
・・・2つの残虐な事件は関連付けられると思う。何故それらが起きたか考え、今の世界情勢の中で、自分がなすべき事を見つけなければならない。平和について抽象的な議論をするだけでなく、(民族や歴史の)違いを認め合い、何とかうまくやっていく為の方策を探る事が大切だ。長い道程が必要だが、誰もがそれに貢献できる筈。

メインプログラムの3)の前にもう1作朗読、

・チャールズ・レズニコフ(1894-1976) 『ホロコースト』より

こちらは英語原詩をアニーが、そして平野が自身による日本語訳を読んだ。


広響は戦争が終わって18年経った1963年、市民の熱意によって広島市民交響楽団として誕生。
翌1964年、第1回定期公演で演奏したのが、このコンサートと同じベートーヴェンの『エグモント序曲』とピアノ協奏曲1番(*)だった。
1972年にはプロのオーケストラとなった。最近は海外からもプレーヤーが参加している。

(*)アルゲリッチが公開の場で初めて弾いたのもこの曲である。1949年、8歳だった。大変愛着の強い曲だという。

広響のキャッチフレーズは、「音楽で平和を」。それは設立当初の祈りで、今も息付いている。
楽団員が使命感を持っている事がインタヴューから伝わってきた、
・・・絶対に戦争をしてはならないというメッセージを音楽で伝えたい。いつでもその事を胸の内の何処かに秘めつつ演奏したい、強圧的でなく、それらが少しずつ皆の心に伝わっていく、広響ならではの柔らかで優しいサウンドで。

別の団員はこう言った、
・・・どうしても原爆、戦争、平和という事と切り離せないオーケストラだ。そこでやれる事は誇らしく、また責任も大きいと感ずる。

アルゲリッチのコンサートへの思いはどうだろうか。
彼女の最もベーシックな願いは、音楽を通じて戦争や貧困を減らしたいという事。
そうした意志の表れとして、チャリティコンサートにも熱心に取り組んできた。
彼女は1941年ブエノスアイレス生まれた。2歳でピアノを弾き始めたが、
・・・(母国アルゼンチンは)政情不安が続き、筆舌に尽くし難い不幸な状況に心が痛んだ。虐待は絶対に許せないと強く心に刻んだ。

アルゲリッチの広島訪問は6度目だ。原爆の真実を知らねばならないという思いから、訪問を続けてきた。原爆資料館にも足を運んだ。
そして、彼女は今回初めて「被爆ピアノ」に出会った。
被爆で傷んだが、修理され弾ける状態に迄復元できたものが、今広島に9台あるらしい。そのうちの1台である。
それは、爆心地から2.5kmの家にあったアップライトで、爆風で飛び散った窓ガラスが側面の板に無数に突き刺さっていたとの事。ガラスは取り除かれたが、傷は今もそのままである。
ピアノの持ち主は河本明子。彼女はショパンが好きでよく弾いたとの事。原爆では大きな怪我は負わなかったが、翌日、放射能障害により19歳で亡くなった。
アルゲリッチはそのピアノでショパン(マズルカop.63-2)を弾いた。場所は何処だろう、説明は入らなかった。原爆資料館か?
アルゲリッチは弾いた後で言った、
・・・このピアノはショパンが好きみたい。ショパンの曲がいちばん美しく響いたわ。明子が大好きだったショパンを、この楽器は忘れていなかった。


最後に、当夜のメイン曲について書き添えておこう。
パウル・ヒンデミット(1895-1963)は、ナチスの権力に抗ったため、弾圧され、祖国ドイツを追われた作曲家。
このめったに演奏される機会のない交響曲は、天文学者ヨハネス・ケプラー(1571-1630)の生涯がテーマ。困難な時代に1人の芸術家としての生き方を貫いたヒンデミットの世界観が反映されている。
広響がこの曲を演奏する意味は大きい。
 
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