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2017年10月20日03:00

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僕は投票に行かない。

左派を中心に展開される、無投票=現行政権に反対 というのはおかしい、という話。


普段政治問題に首をつっこむ割に、実は結構投票に行かない。
理由は幾つかあるが、日曜日は死んでるのであんまり動けないとか、
支持政党は決まっているが個人に投票したいタイプなので、地域の候補者が嫌いなタイプだったりすると、マ、いっか・・・。と、なる。
ただ、自分の地域の結果については文句を言わないことにしている。

どっちかというと個別の投票や政治家がどうこうというよりも、国民の考え方のほうがきになるかな。

そういう立場でいると非常に奇妙に感じるのが、左派を中心に展開される「投票に行かない人=安倍政権に反対」みたいな論調の人。
えーと、あの、私、今投票に行けば確実に政権与党に投票しますけど?

投票に行かない人の行かない理由のアンケートを見る限り、行かない理由は大きく2つ。
・面倒臭い
・政治不信
なんだけど・・・

例えば、
「適当な候補者も政党もなかったから」
という理由が本当にその理由であるならば、例えば地域の候補者を調べたり、
政党ごとの政策の違いを把握した上で「なかった」というのであれば理解できる。
しかし、そうでないのなら、その理由に意味はなく単なる怠慢である。あなたはどうだろうか。

そうやって考えていくと、「投票に行かない=現行政権に反対」とカウントするのは無理がある。

そもそも投票自体は「権利」なので、行使できるものだ。行使しないということはカウントされなくても良いという意思表示なので、カウントする意味はない。
にもかかわらず、なぜか都合よく数に入れてしまう。

個人的な見解では、真理と大衆の認識は必ずしも一致しないので、
例えばSEALSのような団体が「民意は我にあり」と叫ぶなど多数派を装うのは奇妙な感じを受ける。
民意を正義とするならば、確実に政権に正義があった。
片や立憲主義に基づいて選挙で認められた団体であり、片やただの民間団体だ。正義の度合いは歴然だ。
彼らに唯一正義があるとすれば、
「どんなに数が多かろうと大衆は間違っており真実は我々が正しいのだ」
という主張のみだ。

これは滑稽なように見えるが一理ある。
我々の持つ人権主義的・民主主義的価値観は、数百年前は奇妙な妄想に過ぎなかったわけだ。
例えば欧州人権主義的な死刑廃止論は日本では人気がないが、「人権主義的見地に立つのであれば」正しい理論である。

なんかすげー脱線したけど、選挙の際には、「自分の主張をいかに正当化するか」というところではなく、システムの意味や現実問題としてどうかといったあたりも考慮してみたらいいのになあとは思う、って言う話。



■自民「9条改正」、評価二分 朝日世論調査
(朝日新聞デジタル - 10月19日 02:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4819108
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