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2014年05月02日04:01

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長沢節先生のアナーキーさについて考える

 あまり人との会話で話題にのぼったことないが、おれは三ヶ月ほどセツ・モードセミナーに通っていたことがある。

 意外に思われるかもしれないが、ときは’80年代初頭。バブル経済突入前夜、DCブランド・ブームの真っ盛り、ファッション、マスコミ関係が「ギョーカイ」とカタカナ表記されて羨望と揶揄で語られていた時代・・・当時、二十代前半のおれは、「上京したい」「実家から離れたい」と思い、そのためにセツ・モードセミナーに入学した。

 ご存知のとおり、長沢節先生の私塾的学校で、いまも地下鉄四谷駅から歩いて十分圏内に学校はあると思う。学校の建物とその周辺の風景は、そこだけ日本の東京であることを忘れさせてしまうほどパリのモンマルトル的で、そのシャレオツさゆえに今でも時どき、映画やTVドラマのロケ、ファッション雑誌のシューティングに使われたりしている。
 オシャレにこだわる人や風潮を小馬鹿にした物言いをよくするおれではあるが、決してすべてを否定している訳ではない。生き方や主義主張に裏打ちされていないオシャレが嫌いなだけなのだ。その点、セツ先生は徹底していたし、見た目もマジカッコよかった。背筋がピンと伸び、スリムな体型を保ち(好みの人間も男女問わずガリガリなくらいスリム体型好みやった)、軽さと明るさに徹し、品格があり(下品な缶ジュースは持ち込まないこと、と学校内の壁に貼紙がしてあった。その代わり、淹れたてのコーヒーは無料でいくらでも飲めた)、マッチョさを終生嫌いつづけ・・・って書き連ねていったらキリが無いくらい、いくらでも思い出せる。それくらい、セツ先生の美意識がおれに与えた影響は絶大やったのだ。なかでも最も影響受けたのは、「弱さ」「はかなさ」「脆さ」への偏愛であろう。

 セツ先生のファッションイラストを見たことがある人ならわかるだろうが、先生のドローイングは精妙な線の強弱のみで表現され、それが単なる手遊びではない、ちゃんとした技術と熟練に裏打ちされたラインなのだ。だから見ていて「おれもあんな線だけで人体や流行、時代の空気を描いてみたいっ!」と思わせるだけの力があるのだ。線描だけで豊かな表現を可能にせしめるなんて、スゴイではないか。そしてそれは先生の美学の表出――「弱い」「はかない」「脆い」から、好き――でもあった。

 セツ先生は、べつだん隠してたわけでもないがゲイであることを声高に主張してたことがなかったよーな気がする。ごくごく自然に「自分の好きな人やモノやコト」について語ったり、書いたりしてるうちに、周囲から「ああ、あの人はその筋の人なのね」と、納得させてしまってたのではないか。だいいち、会津若松といういまだ硬派な武士道精神がいきづくところで生まれ、育ちながら、「男は弱く、はかなく、脆い方が美しく、セクシーだ!」なんて物言い、どーしたら出来るようになるの!? ってかんじ(いや、逆の言い方をすれば、それゆえに可能であったとも言える。松平容保や白虎隊を生んだ、反骨精神の土地柄として)。

 戦前生まれのセツ先生は、学校の学科で教練がある時代を生きている。教練って言葉を知らない世代が多い昨今だからカンタンに説明しておくと、男なら有事にそなえて徴兵されるのを見越して兵士として基礎体力や運動能力がどれだけあるかを計り、その能力が低ければ高めてゆくよう教化&強化する科目だった。合格ラインが甲種、乙種などランク付けされ、それに合格しない男たち(慢性的、致命的な持病がある、身体的に障害がある、運動音痴、さらには同性愛的傾向があるなどなど)は非国民呼ばわりされ、学校の先生や同級生たちから白眼視されていた時代があったのだ。

 国の盾となりえない男は人間扱いされない時代を生きたセツ先生は、そんな時代精神におおいに反発していき、元々絵を描くのが好きだったため東京の美術系大学を受験しようとしたが、東京芸大は教練の成績がからっきしダメだったことで不合格やったそうで、結局、文化学院に入学する。その当時の文化学院って大正デモクラシーの残り香がする、モダンでハイカラな学校として知られていたため、文化学院の校風はセツ先生に合っていたんだと思う。
 文化卒業後のセツ先生の履歴――「池袋モンパルナス」時代、水彩画家として頭角を現してゆく、女性誌の挿絵画家(ファッション・イラストレーションなんて言葉は無かった)として徐々に仕事が入ってきて・・・あたりは、先生の著書やネット検索していただければわかるので割愛するが、とにかく「弱さ」「はかなさ」「脆さ」への偏愛を美学にまで昇華してゆく過程とシンクロしているのが面白い。どんどん偏愛が補強され、先鋭化してゆくのだ。時代に迎合したり、諦めたりしなかったのがすばらしい。だから敗戦後、つらく貧しい現実のなかにあってひとときの夢や希望を見させてくれる当時の女性誌におしゃれなファッションイラストレーションを描いて、それまで抑圧されてきた「弱さ」「はかさな」「脆さ」の美の世界を、いっきに開花させることが出来たのだ。いやぁ、軍国主義時代におもねってなくてホントーによかったよ! 敗戦後から高度経済成長時代へと続く時代に、セツ先生の主義主張に共感する人たちや後輩たちとの出会いが待っていたから。

 なんでこんなことを書いているかとゆーと、時代はいま「右傾化」しているという。おれより若い二十代、三十代、四十代の女子たちが右翼的思想に賛同し、排外運動をしたりしている、と聞いたので。そんな人たちに、おれはセツ先生の美意識&生き方を知ってもらいたくて書いている。お国のために尽くす考え方なぞ、人を「兵器として使えるか、否か」と値踏みするサイテー思想なのだ。使える人は「弱く」「はかなく」「脆い」とは反対の、「強く」「確かで」「頑丈な」ヤツばかり。そうでない者は排除しようとする考えは、おれからすると許せない。そんな人をモノ扱いする国のために誰が尽くすかってーの。国家総動員になろうものなら、みずから「弱い」「はかない」「脆い」存在になってプロテストしてやるぜっ! とおだをあげたくなるのだ。

 そー言えば美輪明宏サマも「男性のどこに魅力を感じるか?」との質問に対して、「女よりも精神的に弱く、はかなく、脆いところ。そこが美しいと思うの」と答えてたような気がする。おれが好きな映画や音楽にも、「弱さ」「はかなさ」「脆さ」へのエールが謳われているのが多いなぁ。映画に描かれている男も「ヘタレ」で「すぐ死んだり殺され」たりして、ちょっとしたことで動揺したり、精神崩壊する「脆さ」があったりするしなー(ニューシネマからの作品に多い。あと、ピンク映画やロマンポルノにも)。

「弱さ」「はかなさ」「脆さ」に美を見いだすことは、つまるところお国の役に立たない、アナーキーなものなのだ。美は、国家や制度と関係ない――それらを超越した――ところで起立してこそ、その存在意義がある。セツ先生の美意識は、いまでもおれの中でかたちを変えて生き続けている。

 あ゛〜っ、セツ先生のエッセイ集『弱いから、好き』が読みてぇ〜〜〜〜っ!!
 
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