mixiユーザー(id:29729978)

2017年10月20日08:35

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拝金主義を脱皮

 世の中のどれだけの人間がお金を見ると目の色が変わる人がいるかは不明だ。でも
大勢いることは間違いない。
 日本は形はどうあれ一応資本主義ということになっているのでそれはいいのですが、
いかんせん極端な人がいるのは困ったもの。今のお金は大本をたどると金(ゴールド)
に交換するための交換券のような位置付けだった。なので、たくさんあると多くの
金に変えられるということがいえる。そして、時代は下ってその国の通貨、紙幣の
信頼性が国際的に認められると通貨や紙幣そのものが価値を持つことになり、今は
その状態である。
 よく言われることだが、お金は人が使うものである。でも実際はお金に使われて
いる人が多い。どういうことか、例えば、お金に困っている人が金策にあちこち
駆け回っている。借金取りに付け回され困っている。得をしたいがため節約のため
という名目で得といわれるものを片っ端からなりふり構わず手を出し何かとしゃしゃり
出てくる。自分の物欲を満足させるように千と千尋の豚のように喰い散らかす。
目の色変えていいものを物色し何店舗も何時間もかけて得しそうなものを探しまくる
など。よくある日常にみえるが、きをつけないと悪魔というか悪霊に魅入られ、最終的
に損するのは自分なのである。
 そうしないためにはどうすべきか。自分を幸せにしたい。それは自身喪失の人は
除いてまず考えるだろう。考えたことのない人はそこから。
 次に家族を幸せにする。ダメなのはそこで止まってしまう人が多すぎることだ。
その次に親族を幸せににし、
なぜ親族を幸せにする必要があるかは日本の戦国時代のもとともなった応仁の乱は
兄弟げんか(跡目争い)が原因となっているからだ。跡目争いが全国的な争いに発展
して下剋上の世の中になったのだから、親族の争いがいかに愚かなことかわかる。
ちなみに私の一族では兄弟げんかせず困ったことがあったら助け合うことが家訓の
如くなっている。
 次に地域の人々を幸せにし、大げさなことでなくても、年寄りに親切にする。
身重のひとに手助けする。子供連れに子育ては大変だからと気を遣う。道に生えて
いる雑草をとる。自分のできることでいいのである。お金を出すのはいいが、ただ
お金を出すよりは困っている事業を支援するのがよい。保育園が必要だからそこの
開園資金を出す。神社仏閣で荒れているところを復興するために奔走する。ホーム
レスのために食事を調達して準備するなど。
 次はその国の人の幸せのために、次は世界中の困った人のために自分のできる
ことをする。結局はまわりまわって自分にとって大いにプラスになるのである。
 ただ見返りをすぐ求めてはいけない。そんなこと考えなくともいい方に人生は
行くものである。一時的に困難があってもそれは次へのステップであり。ずっと
続くわけではない。未来への飛躍に向け頑張ろうではないか。
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