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2018年08月19日09:02

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編集者を持たない作家の不幸、その5

「そのコーヒーね。それ、美味しいでしょう。私がここに居を構えたのは、そのコーヒーを出す喫茶店がこのビルの一階に入っていたからなんだよ。厳選した豆をさらに、喫茶店のオーナーが一粒一粒厳選している。どうかな」
 確かに、コーヒーは美味しかった。香りが立ち、コクが深い、苦みが心地良い。
「はい。確かに美味しいですね」
「そのコーヒーは一杯が八百円でね。最近は、チェーンの喫茶店でも三百円程度、安ければ百円でも飲める。しかし、味が違う」
「違います」
「ところで、貴方は最初から、そのコーヒーが美味しいと思ったかね」
「ええ、どこか違うな、と、そう思っていました」
「どこか違うかな、と、その程度だろう。ところが、私の話を聞いて味覚が変わった。違うかね」
「確かにそうです。美味しい理由が明確にされたおかげで、より美味しく感じられるようになりました」
「同じコーヒー。同じ味覚。同じ環境。違ったのは、私の言葉だけ。何か思いつかないかね」
「料理は一人より、複数で食べたほうが美味しいという、あれですね」
「そうだ。一人で食べるより、美味しいと表現したほうが、より美味しく感じるし、美味しいと表現している人を見ることで、より美味しく感じるし、美味しい理由を他者の言葉で聞くことで、より美味しく感じるものなのだよ。それが人間というものなのだ。食べるのは自分で、その味覚は科学的には同じものだ。しかし、それが変わる。たいていの作家は一人で作品を書いている。面白いと信じて書いているのかもしれない。しかし、そこに確証がない。不安なんだよ。その不安を編集者は、確かに面白いと指摘するわけだ。さらに、編集者は、どうしてそれが面白いかの分析をしてみせるのだよ。そうすることによって作家は、自分が見えて来るのだよ。分かるかね。味覚は同じ。しかし、美味しい理由が他者によって表現されたことで、より美味しくなる。作家の書く能力は同じ。しかし、作家のやっていることが編集者に表現されたことによって、作家の書く能力が高まるのだよ」
「一人で書き続けることには限界があると」
「そうだ。ましてや、作品に否定的な人間をそばに置いていれば、その作家は早々に壊れてしまう。だからと言って、根拠なく作品を肯定する人間がそばにいると、その作家は自分を見失うのだ。編集者というのは、ゆえに、常に美味しいの根拠を説明出来る人間でなければならないのだよ」
 驚いた。筆者は、この老人がすでに、どうして作家には編集者が必要なのかということの説明をはじめているのだと気づいたのだ。ようやく気づいたのだ。これはテストではない。すでに講義がはじまっていたのだ。

続く
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