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2018年07月13日09:49

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「信じられなくても、願い求めつづけることが大切です」

聖書の話を身近な経験に置き替えてみました(94)

「信じられなくても、願い求めつづけることが大切です」

 子どもが、保育園の時、リレーの最終走者に選ばれました。「おまえが一番足が速いのか」と訊いたら、「先生は、最後まであきらめない人、最後まで走り続ける人にアンカーを任せた、と言っていたよ」という返事でした。

 ある人は高校生の時から自分の部屋に引きこもるようになりました。本人も親も、どうにかしたい、状況を打破したいと、思い悩み、いろいろ努力し、うまくいかなかったり、少しうまく行ったりで、二十年が過ぎました。いつか、いつか、と願いつつ、二十年。これがいつまで続くのか、途方に暮れてしまいました。けれども、今少しずつ、外に出たり、働いたり、人と交わったりするようになり始めたのです。

 病気、仕事、自分の人生。何年も何十年も良くならないように、いや、悪くなっているようにさえ思えることもありますが、きっとどうにかなる、と人生を、いや、自分という存在の宇宙的な土台のようなものを、信頼することが大事なのではないでしょうか。

 聖書によれば、ある少年が、口が利けない、倒れてしまう、口から泡を出す、歯ぎしりをする、体をこわばらせる、という症状に、子どもの時からずっと悩まされてきました。

 父親はイエスに頼みました。「できれば、わたしたちを助けてください」。イエスは答えました。「できれば、などと言ってはならない。かならずできる、と信じるのだ」。

 父親は答えました。「信じます。正直、信じられませんが、助けてください」。

 きっとこうなると信じられれば、それはとてもすばらしいことですが、そんなふうには信じられない場合はどうしたらよいのでしょうか。

 そのときは、「信じられませんが、助けてください」と祈るのです。信じられなくても、願い求め続けることが大切です。

 人生を信頼できる人間にわたしを造り替えてください、また、わたしは人生を十分には信頼していませんが、わたしを支えてください、と祈り求めるように、イエスは促しているのではないでしょうか。

(マルコ9:14-27)

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