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2016年05月12日10:30

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K-01 と M50/1.4

 MX を見に行ったとき、私は新顔の 40mm が欲しかった。けれど親父に「ちゃんとしたのを買え」と言われて、結局 50/1.4 のセットを買った。前玉の小さい 40mm は親父に安物と映ったらしい。数十年を経て 28mm を APS-C で使ってみて、ああ私には 40mm という焦点距離が合っていたのだと知ったのだけど、それもまぁ 50mm を使い倒した結果として分かったこと。

 28mm を買うまでの2年ほど手持ちのレンズは 50mm のみだった。1本のレンズで数百本も写真を撮っていたら、驚いたことに指が距離を覚えた。被写体を見つけると右手中指がレリーズロックを外し、左手がフォーカスリングを回す。そしてファインダーを覗いた時にはほぼピントが合っていて、あとはゴムローレットのブロック1つか2つぶんの微調整でシャッターが切れる。今でもその感覚はそこそこ残っている。

 誰でもやってることなのかと思ったら当時の写真部でこれが出来るのは私だけだった。それでも MF時代の人は多かれ少なかれ無意識に同じような事をしていたんじゃないかと思う。露出も同様で、被写体を見つける前に今ここの露出はこれくらいだ、と言うのを常にセットしておくのが習慣になっていて、そういうこと全てが撮影のリズムを生んでいた。

 今や自動露出とズームとオートフォーカス(と液晶)の時代となり、撮影のリズムが全く変わってしまった。ファインダーを見ながらのズーミングに私はなかなか馴染めないのだが、さりとて予め焦点距離を決めたのでは何のためのズームかと言う気もする。ズーム使いの人は画角の変化を頭に入れて柔軟に被写体を探すのだろうか。私にはそれが恐ろしく困難なことに感じられる。

 M50/1.4 ではよく猫を撮った。ノラには短いが家猫にはぴったりの「家猫用ポートレートレンズ」だ。当時のうちの猫は2、3度写真雑誌に載ったことがある。開放でふわっと写るのを味として喜ぶ人もいるが、当時私はフレアの多い出来のよろしくないレンズと思っていた。1つ2つ絞ればきりっとするが、それじゃ何のための開放F値かと。当時もしこれを味として認めることが出来ていれば、フレアを生かした写真が撮れていたのかも知れない。人生かくのごと。

 ISO を自由に操ることが出来るデジタルは、絞りをボケのコントロール装置として積極的に使うことが出来る。開放と絞った時で描写が違うレンズは、だから2本ぶんのお得なレンズと言うことになる。 MX は(絞り優先の優位性を説いていたペンタックスなのに)使い勝手がシャッター速度優先になりがちで、そういう意味でも開放絞りは使い辛かった。 K-01 との組み合わせではピントがシビアでやっぱり開放は使いにくい。またグリーンボタンと OK ボタンの位置が悪いためにカメラが不安定で、あれと思ったらファインダーから被写体が消えていたりすることもある。

 写真は壁に刺してあるピンを絞り F4 ほどで 10枚くらい撮ったうちの最初の一枚。シャッターを切ったあと液晶で確認すると、余計なものが写り込んでいたり、水平が出ていなかったり、ピントや露出が不満だったりで撮り直しとなることが多いのだが、大抵は最初の一枚が一番良くて、最後のはすげーつまんない写真になっている。この写真で言えば露出不足で白いピンの影が少し切れかかっていてピントの位置も気に入らないのだが、それらを直した写真は、何の面白みもないただのピン。たぶん最初の一枚は「感覚」で、次からは「理屈」で撮っていると思うが、どうも一眼レフの時のようにピタっと構図が決まらなくて困っている。単なる慣れの問題ならいいのだが...
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