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2016年05月30日02:05

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よく考える

ああ、ロミオ。あなたはどうしてロミオなの?


はて、私はどうしてロミオなのだろうか。
表面上の話をすれば、親が私をロミオと名付けたからであり、
現に役所に問い合わせれば、私がロミオとして登録されていることに間違いがない。
しかし、あなたはそのような通俗的で即物的な答えでは満足できないでしょう?
さて、ロミオというのは私という個体を他の個体と識別する記号であるとすると、
その問いの答えは、私という個体と他の個体との差異を特定することによって
明らかにできよう。


その家名をお捨てになっててくれたなら、
私も家名を捨てるのに。


最も手近な仮説として、私と他者の肉体が分離されているからであるとしよう。
つまり、私がロミオたる根源的な理由を肉体という物質に求めるのである。
ここで生じる大きな問題は、肉体が代謝するという事実である。
例えば、私の排泄物には、ロミオだったものが含まれる。
例えば、私の毛髪もロミオであり、それは日々抜け落ちる。
例えば、私の爪もロミオであり、私は定期的に自らの一部をそぎ落としていることになる。
これらの行為はロミオの欠損に他ならない。


まあ、ロミオ様。どうしてここへいらしたの?


代謝を繰り返す私は、ロミオは、日々軽薄なものとなってゆく。
ああ、なんてこった。
だけど、どうだい。現実は、そうじゃあない。
場合によっちゃ、昨日よりロミオが大きく重くなることだってある。
なぜなら、ロミオはパンを食べるからさ。
ロミオが食べたパンはロミオの一部となるからさ。
つまり、パンがロミオになりかわったのである。
パンがロミオになるということは、そもそもパンはロミオでなかったのか?という疑問が残る。
馬鹿げた話だけれども、
そこに目をつぶってこの方程式を遡ってみようと思う。
パンの素となった小麦がロミオだったわけであり、
小麦の肥料となった人の糞尿がロミオだったわけであり、
人の糞尿ももとをただせばロミオだったわけである。
この話を信じれば、人がすべてロミオでなければならないわけであり、
すべてのロミオは肉体的に分離していてはいけないのだ。
ロミオが人間の総体であり、同時に1個の個体なのだ。


塀は高くて登るのも大変だし、
貴方の身分を考えたなら、
死も同然のこの場所へ?


馬鹿げている。ロミオが人間の総体だなんて。
今私の目の前にあるジュリエットは、私なのか?
今この手をつないでいるうちは、ロミオとジュリエットが一つだということが
仮に仮にできたとしても(そうであったらどんなに幸せだろう)、
一度この手を離せば、私はロミオであり、あなたはジュリエットだ。


私の身内に見つかれば、
きっと殺されますわよ。


ロミオのロミオたる理由は、肉体的物質的なものではないということが
今ここに明らかになった。
肉体的物質的でないとなると、精神的概念的な分離が
自己と他者の境界を規定しているのだろうか?
ああ、ロミオ。どうして私はロミオなのだろうか?
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