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2018年03月24日10:11

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放送法4条は参入障壁ではない

■放送法の「政治的公平」撤廃を検討 政府、新規参入促す
(朝日新聞デジタル - 03月24日 08:24)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5040445

この「政治的公平」を定めた第4条は倫理規範に過ぎず、法的な義務を生ずる規定ではない、というのが通説的見解である。そうだとすると、もとよりこれは参入障壁にはなっていないということだ。したがって、「新規参入を促す」という目的に照らすと、撤廃する意味はないということになる。

むしろ不可解なのは、議論されているのが4条の撤廃であって、「政治的公平」条項の撤廃ではないことだ。放送法第4条に定められていることは、ごく常識的な内容に過ぎない。それが倫理規範であろうとなかろうと、である。

「一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
二  政治的に公平であること。
三  報道は事実をまげないですること。
四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」

これが4条にある内容だ。どれも特別違和感のある内容ではない。確かに法的規範と見るには抽象的過ぎるかもしれないが、倫理規範として放送事業者が自己規制をかける場合の方向付けとしてはそう違和感のある内容ではない。

もしこれが参入障壁だとするならば、特に問題のある障壁ではないのではないか。むしろこの程度の障壁をすら越えられない、越える気もない事業者にまで参入されたのでは、放送があまりにも放埒で不誠実なものになる可能性が出てこよう。これをすら「参入障壁だから撤廃せよ」と主張するというのは、一体どのような事業者に放送を担ってもらいたいと考えているのか、その倫理観を問われる話になるだろう。

私としてはどう読んでも放送法の第4条が参入障壁になっているとは思えない。したがって、新規参入を促すために第4条の撤廃というのは、目的と手段が噛み合っていないと考えている。

どちらかというと放送法第4条を巡って問題になるのは、その倫理規範としての性格を否定して、「中立じゃなければ電波停止」といった、表現の自由を抑圧する条文として用いようとする行政側の姿勢のほうである。条文の問題なのではなく、運用者の意図や運用方法にこそ問題がある。

倫理規範だからといって「あってもなくてもいい条文」というものではない。法的な罰則が伴わない場合でも、それが明文で定められていれば、逸脱については「法律に基づいた批判」は可能となるからだ。また明文化しておくことで、どのような有り様を「理想」とするのかについての社会的合意を確定させることもできる。それによって「逸脱」も判定しやすくなり、放埒や無秩序を抑制することができるだろう。

こうした作用が行政の介入ではなく、民間の言論の中で相互批判という形で応酬されることが、健全な自己抑制を生むのである。そういう「表現の自由」が保たれている社会であれば、極端な「偏向メディア」は自ずから限られた影響力しか発揮できない。

そういう社会にあってなお存在する「偏向メディア」などというものは、「偏向メディア」という存在も許容する「社会の寛容さ」を逆照射し、表現の自由が確保されているかどうかを判定する一種のメルクマールですらある。

倫理規範として、従来の通説通りに運用されている限りは放送法第4条は特に有害な条文ではない。この程度の条文を邪魔者に感じるとするなら、その者の感性の方がどうかしているのである。
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