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2016年05月26日15:39

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『アメリカの災難』メモ

◆『アメリカの災難』(Flirting with Disaster)メモ
 ★ 初期はウディアレン・タッチなラッセルである。
  *神経症な人々
  *『夫たち妻たち』的なカメラワーク
  *会話が日常からの抽出のようでありながらもちゃんとオフビートしているところ。
 ★ リンチの『ロスト・ハイウェイ』でもスコセッシの『救命士』でもとても魅力的なパトリシア・アークエットは、このテクストにおいて、市井感あるエロス表す。アレンのよくいる登場人物のように、いろいろ理由言ってなかなか踏み出せない系も彼女には表される。ティア・レオーニは都会的なオフビート。アニーホール的な弱さであり、人々を結びつきに導く当てずっぽうである。ラストは当てずっぽう的に妊娠もしている。アレンのよくいる登場人物のように予測不可能的である。ただアレンの人物たちほどには、メルもティナも過剰ではない。やはりアレンはコメディを志向しているので、そうした意味では、ラッセルはアレンのようにするのではなくドラマの位置にいようとしているのだろう。アメリカ的な善の理性で自身を抑圧できる人物たちである。
 ★ ベンスティラーも基本、彼がいつも演じる人物たちのイメージである。普遍的にフツーに見えるイメージは、そこに交わるオフビートと交わり素晴らしいしオモシロイ。そして、今はときめくジョシュブローリン。今はニックノルティと化しているが、この頃はイケメン。ハイスクールを舞台にした映画の、アメフト部に所属していて主人公をいじめる役のような見た目をしている。アルダにシーガルは言わずもがなに、間がいい。そして母親たち。アメリカでは有名なコメディエンヌであっても世界的には、メアリータイラームーアとリリートムリンどちらも、ドラマ映画のしっとりした女性を演じることで有名になった。レッドフォードとアルトマンのキャスティングの妙が彼女たちの魅力を引き出したわけであるが、『アメリカの災難』ではふたりとも、コメディエンヌぶりを遺憾なく発揮する。とてもオモシロイ。笑った。
 ★ 思えば、スコセッシもアレンも神経症的な人物や強迫観念を抱く人物を表すが、ラッセルもまたそうした現代病を継承する。虚と実が混じり合うセンスはアレンというよりスコセッシであるが、それはラッセルには後々表されてくるものであり、このテクストにおいては目的に向かうなかで、「実」がこの世界にはないということを主人公が受け入れるところ、アレン的である。しかしながら、アレンの場合はそうしたリアリティがシニカルに表されるが、ラッセルの場合は主人公たちが虚をファンタジックに受け取る様が表されることもあり、それはスコセッシが表すような、虚すらも超越してしまう力ともまた違うものである。ラッセルのハッピーエンド的な展開、アメリカ映画的にはクラシックなものへ逆行している感じもあり、現在のリアルアメリカン的にはこの世に「物語」を求めているであろうセンスを感じるなか、リアルライフはそうした現状なのかなとも心配に思ってしまう。しかし、ニッケルオデオン的に言えば、楽しめたらそれでいいのである。

 ★ ラッセルもペイン同様、無理をせずゆとりのなかで等身大に生きることのできるヒトを表しているのかもしれない。そしてそれ自体が事実なのだろう。








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