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2018年10月02日20:41
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『♪山ってやっぱり楽しいよ』 作曲:リピート山中 作詞:亡くなる直前の田部井淳子さん 、エプロンはずして夢の山、三回の雪崩に巻きまれても..全身ガンでも富士山七合目まで...深さを感じました 2年間 詩をあたためてたリピートさん、よい曲をありがとう
Wikipediaより https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E9%83%A8%E4%BA%95%E6%B7%B3%E5%AD%90 ○エピソード 登山で「もうダメだ」と思ったときが三度あり、いずれも雪崩に巻き込まれたときである。一回目はエベレストの第二キャンプ(6500m)でテントごと雪崩に埋められ、二度目は1986年にポベーダ山(トムール)の雪崩で600m流され、三度目は、その夜に再び近くを通過した雪崩の爆風に襲われ、テントごと吹き飛ばされた。ポペーダ山では1999年に登ったときにも雪崩がテントを襲ったが、早朝に出発していたため助かった。1969年冬に登った谷川岳一ノ倉沢凹状岩壁は、エベレストよりもつらかったと回想している。旅行会社が企画する登山ツアーやTV、雑誌の登山企画の出演によって謝礼は得ているものの、自分が求める登山ではスポンサーなどによる資金を得ずに自身でお金を支払っていること、ガイド資格などを所持していないことから「登山家が自分の仕事かと言うと、そうではないと思う」とインタビューで答えている。エベレスト後の登山では一切スポンサーをつけていない。 ○主な登山歴 アンナプルナIII峰(1970年)、マッキンリー山登頂(1988年) 1965年12月19-20日、谷川岳一ノ倉沢中央稜を完登(佐宗ルミエと)。 1970年、アンナプルナIII峰登頂。1975年、エベレスト登頂(女性世界初)。 1979年、モンブラン登頂。1981年、キリマンジャロ登頂、シシャパンマ登頂(女性世界初、日本人初)。 1985年、イスモイル・ソモニ峰、レーニン峰、コルジェネフスカヤの3峰を1シーズンで完登。1987年、アコンカグア登頂。1988年、マッキンリー山登頂。シヴァ峰登頂(初登頂) 1991年、ビンソンマシフ登頂、コジオスコ登頂。 1992年、カルステンツ・ピラミッド(ジャヤ山)登頂、エルブルス登頂。 1994年、ハン・テングリ登頂。1996年、チョ・オユー登頂。 1999年、ポベーダ山登頂。2001年、ムスターグ・アタ登頂。 ○著書 『エベレスト・ママさん 山登り半生記』(山と渓谷社,1978年)、『タベイさん、頂上だよ〜田部井淳子の山登り半生記』(山と渓谷社,2012年)、『七大陸最高峰に立って』(小学館,1992年)、(文庫版改題)『高いところが好き』(小学館 2007年)、『山の頂の向こうに』(佼成出版社 1995年)、『エプロンはずして夢の山』(東京新聞出版局 1996年)、『さわやかに山へ』(東京新聞 1997年)、『山を楽しむ』(岩波新書 2002年)、『はじめての山歩き 花、木、自然に会いに』(文化出版局 2002年)、『山からの贈り物』(角川学芸出版 2007年)、『いつでも山を 田部井淳子の実践エイジング登山』(小学館 2008年)、『日本人なら富士山に登ろう! 初心者のための安心・安全登山術』(アスキー・メディアワークス 2010年)、『田部井淳子のあんしん!たのしい!山歩きお悩み解決BOOK(マイコミムック)』(毎日コミュニケーションズ 2010年)、『それでもわたしは山に登る』(文藝春秋 2013年)、『人生、山あり時々谷あり』潮出版社 2015、『田部井淳子のそこに山があるから 大人の山歩き・登山の愉しみ』洋泉社 2016
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