…ようなことはないと思う。私にとってのお気に入り桜の樹のひとつ、阿倍野区松崎町のある邸宅の庭から広がるこの老木も、いつのまにか非常に美しい緑の葉でおおわれていた。たしかに満開の桜には見劣りするかもしれないけど、緑というより蒼いという形容がふさわしい若葉、このところのきらめく陽光に包まれるととても美しい。
毎年思うことだけど、自分だけが毎年大切に愛でているこんな桜の樹や、数多く咲き乱れる桜の名所の樹々もじゅうぶん美しいけど、ふだんそれほど訪れることのない街角を桜の季節にそぞろ歩き、思わぬところでふいに満開の桜に出逢ったときの感動は何ものにも代えがたい。「ああ、この樹は桜だったのか!」という驚きです。
これってふだん繁華街などをブラブラと歩いていたり、喫茶店でお茶をしたりしてくつろいでいるときに、どこからともなくすっかり忘れていた懐かしの流行歌がふいに流れてきたときに感じる、しみじみとした、そしてなんとも言えない奇妙な感覚に似ているような気がしないでもない。ちょっと強引な関連づけだったかもしれないけど。
つまり咲き誇る桜の名所を訪れるのはグレイテスト・ヒッツを楽しむようなもの(造幣局の通り抜けなどまさにオムニバス感覚だ)、そして何気なく街中を歩いたときふいに満開の桜に出くわすのは、まさにお気に入りの曲が思わずラジオ番組から流れてきたときのようなもの、などと勝手に思っているささやかなこの人生であります。
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