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2018年05月20日23:06

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4回“インド”に行った人

 以前、こちらの日記(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1953603700&owner_id=22841595)で、米国の小学校では紀伝体の歴史を学んだという話を書きましたが、その第一番に紹介されていたのが、クリストファー・コロンブスでした。何といっても、アメリカ大陸の発見者とされていた人でしたからね。多分、「“意欲に”燃えて…」とか、「いよ“いよ国”が見えてきた」とかの語呂合わせで、1492年だけは覚えたという人もいることでしょう。
 実は、今日はコロンブスの512回目の命日です。

 コロンブスは、その1492年の最初の航海を含めて、都合4回、アメリカ大陸(カリブ海の島々)に航海してます。ところが、行くたびに、なんだかトホホで…。

 1492年の最初の航海は、まぁ成功といえるものでしたが、周知のとおり、コロンブスは何も新大陸を発見しようとして航海したわけではなく、黄金や胡椒(←当時の航海の必需品)の取れるインドを目指していたので、自分がたどり着いた地もインドと思い込み、すでにこの時点で、大きな勘違いが生じていたと云えます。

 2回目の航海(1493〜1496)では、キューバが島であることを確認し、ジャマイカ島を発見したのですが、目当ての黄金はわずかしか手に入りませんでした。加えて、最初の航海の残留部隊の39名が先住民によって全滅させられていた報復に、大虐殺による非人道的弾圧を行ない、一説には5万人を虐殺したとみられています。  
 また、コロンブスには奴隷商人としての顔もあり、虐殺を免れた者を奴隷としてスペインに送りました(コロンブスはスペインの支援を受けていた)。スペイン王朝に奴隷を送ることで自身の評価がさらに上がると考えたのでしょう。
 ところが、スペインのイザベル女王は、これに驚愕し、奴隷たちを故郷に送り返し、コロンブスの統治実態を視察するための調査に乗り出しました。この時は、先住民への厳しい統治も黄金をスペインに持ち帰るために仕方なくやったことだとの、コロンブスの必死の弁明がなんとか通り、イザベル女王も、国の利益を優先して目をつぶったようです。

 しかしながら、3回目の航海(1498〜1500)では、サントドミンゴ(新大陸でのスペインの拠点)に入港したものの、コロンブスの、留守中、代理で残っていた弟バルトロメウに対する入植者の不満や、食糧不足もあって反乱状態となり、これがスぺイン本国にも知らされ、現地調査官として派遣されたポバディリャによってコロンブスは弟とともに逮捕されてしまいました。そして、兄弟は鎖に繋がれて本国に送り返されましたが、このときもコロンブスの必死の訴えで西インドに戻ることは辛うじて許されました(もっとも、提督の地位は剥奪されました)。
 
 失意の中で名誉回復のために敢行された4回目の航海(1502〜1504)では、サントドミンゴへの入港は禁止されていたので、さらに西に向かい、大陸へのルートを探り、現在のコスタリカとパナマ沿岸を探検し、一時はパナマ地峡にも上陸しましたが、ついに大量の黄金は発見できず、新大陸であることにも最後まで気づかなかった(相変わらずインドの一部と思い込んでいた)と云われています(もっとも、最近の研究では気づいていたという説もある)。

 トホホなのは、これだけではありません。
 アメリカ大陸からコロンブスが上陸した頃よりもさらに前の時代の鉄釘が発見されたのです。そのため海賊ヴァイキングがずっと前にアメリカ大陸に到達していたと考えられるようになりました。つまり、コロンブスは、白人で初めてアメリカ大陸に到達した人というわけでもなくなってしまったのです。

 なお、「コロンブスの卵」という言葉がありますが、この言葉は、コロンブスが成功していた頃のこんな逸話に基づいていると云われてきました。

 コロンブスの成功を妬んだ人々から「西に行けば誰でも発見できただろう」と嫌味を言われたときに、コロンブスは、近くにあった卵を手渡し、「これを机に立ててみてください」と言いました。そして、誰も出来ないのを確認してから、卵の先を机で平らに割って立たせてみせたと云われています。
 「そんな方法なら誰でもできるだろう」と人々は不満を述べたところ、コロンブスは「人がやったのを見た後でなら誰でもそういうのです。難しいのは最初にそれをやることです。」と言ったのでした。

 この逸話はコロンブスの聡明さと柔軟さを示す逸話として有名になりましたが、今日では、これも後世の人々の創作なのではないかと云われるようになりました。というのは、これと全く同じようなことをやった偉人が前時代に存在したことが明らかになったからです。
 その偉人というのはイタリアの建築家フィリッポ・ブルネレスキです。
 ブルネレスキが、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の設計に立候補したとき、彼は設計図を見せずに立候補したため、当然、他の建築家たちが憤慨しました。するとブルネレスキは卵のくだりをやって見せた後で、「最初にやるのが難しいのです。私が設計図を見せたらあなた達は真似をするのでしょう?」と言ったと云われています。

 こんなふうに、コロンブスは、今日では偉人というにはあまりにもトホホな人なんですが、ただ、現在の沈滞した閉塞感の漲る日本には必要なタイプの人なのかもしれないなと思うことはあります。  
 何しろ、まだ地球が丸いという認識が一般的ではなかった時代に、ポルトガルやスペインのあるイベリア半島から西に大海に乗り出すことには決死的勇気が必要だったはずです。そうしたチャレンジングな人は今日でもいるのかもしれませんが、彼らが失敗した場合に、今の日本の社会はあまりにも冷たすぎるように感じます。で、その様子を見ると人々はますます萎縮してしまう。悪循環ですね。
 政治家の失言や、昨今話題の日大の反則行為などは論外ですが、チャレンジングな失敗にはもっと寛容になる必要があると感じる今日この頃です。
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