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2018年10月20日06:56

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本の読み方

本を読んでいると、興味の山もあれば谷もあります。大変面白いと思っていると、やがて、それほどでもない部分が続きます。それが過ぎると、また、盛り上って面白くなってきます。疲れてくると、その谷のところで、中止したくなるものです。

あとは明日にしようなどと思って本を閉じるのですが、それが永久に縁の切れ目になってしまうことが少なくないのです。積み重なった本はそうして出来てしまいます。読むコツは、谷のところで読み、山のところ、あるいは、山へさしかかるところで休止する事です。

この先が面白そうだ、もう少し読み続けたいという気持を持ったところで、あえて切るのです。そうすると、あとで本を開くきっかけがつかみやすいのです。逆に興味のないところで切ると、本の引力は少ないから、本へ帰る事を忘れてしまい永遠の別れになるのです。

面白くない本を読まないのは自然です。面白くてたまらなくなりそうな本なら、放っておいても読まずにはいられなくなるはずです。それを読まずにいるのは相当な禁欲的意思を必要とするでしょう。ところが、石原莞爾関係の本や中原秀臣先生の本のように、面白すぎて、先が読めない気持になることもあります。

途中でやめるのは、面白くなった本と同じだが、こちらはたえず本を意識しています。いつの間にか本の存在を忘れるのとは大違いです。酷く面白そうだとなると、かえって、先を読み続けられないというのは自分の癖なのかもしれません。ロバートキヨサキや田原総一郎先生以来、何度かそういうことがありました。

いまでもこの癖は抜けないらしく、ときどき自他ともに迷惑します。同志が出版したので「読んでくれ」と引き受けて読み始めた本が、予想外に面白い。10ページくらいのところで、これは危ないと思い出す。20ページあたりで、もう読んではいられないような気がします。本を閉じてぼんやりしていると、あれこれ余響が浮かんできます。

それに身をまかせているのはこのうえなく楽しいです。いつの間にか自分の考えを触発されることもあります。これではしかし、書評して欲しい同志の質問には間には合わなくなります。せかされて、「早く、読んでくれよ。」などといわれて、書評ができないで、迷惑をかけてしまうことがあります。

面白そうな本の書評は鬼門です。そうかといって面白くない本の書評も苦しいです。いずれにしても書評には向かない人間だとあきらめて、このごろは長く時間がかかるけど期待しないで待っていてねと最初に言っておきます(笑)
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