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2017年07月28日11:35

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【平安京妄想説】四神相応は後付け

まずは2つのグーグルマップを見て頂こう。
https://www.google.co.jp/maps/@34.331113,109.0166385,12z


https://www.google.co.jp/maps/@34.6658377,112.4227435,12z

現在中国の陝西省西安市と河南省洛陽市の地図である。一見して解るように西安では北に渭河(渭水)が東へと流れ、洛陽では洛河(洛水)が南を東へと流れている。
また恭仁京の復元図をみても
http://www.kyoto-be.ne.jp/bunkazai/kunikyu.html
木津川は恭仁京跡の南を西に流れている。

これは全ていわゆる四神相応の「東に河川がある」には当てはまらない。西安は平安京のみならず藤原京から始まる日本古代宮城のモデルとなった都市-長安の現在の名称であるし、洛陽は現在の京都の雅称として京都-平安京のもう一つのモデルでもある。というか、随から唐の首都と副都であり殷周の頃よりこの2つの都市以外は地方都市に過ぎなかった。

つまりは、平安京ができる僅か半世紀前【桓武天皇は既に生まれていた】の宮城-恭仁京ですら考慮されなかった長安・洛陽両都市でも対応していない、四神相応・山川道澤説に従って平安京なり長岡京の地が選定されたというのは無理が多い。

四神相応山川道澤説は11世紀の『作庭記』に記載があるしいう。しかし『作庭記』は【庭に関する】風水の文書で都市計画に関する書ではない。しかも平安遷都後かなりの時間経過の後に成立している。平安貴族による自画自賛的なものが山川道澤説ではなかろうか?もちろん高松塚古墳にあるように四神は飛鳥時代から信仰されていたし、平城遷都詔は「平城の地は四禽図に叶ひ」とあるが四禽図が山川道澤であるとは書かれていない。

ちなみに山川道澤説による白虎の山陰道は国司の官位からみても主要幹線とは読み取れないし足利健亮説によると山陰道は平安時代は羅城門を南に行った地点から発していた。
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