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2013年09月04日12:36

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平安京以前の河川と遷都後(平安前期)の河川

【平安京域の地形分類図】
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の河川跡に青色を付けて下に同大・山田教授の『「前期平安京」の推定復元図』
http://nwudir.lib.nara-wu.ac.jp/dspace/handle/10935/2739
『平安京の条坊制』掲載の地図を下に置いてみた。
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ところが扇状地段丘を残した為に判り辛い印象なので河川跡のみを残してやや西に延長してみた。
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山田川と西の川が宇多川の西にでてきたが、それらを合流した原御室川【勝手に命名しました(笑)】は葛野大路高辻から西大路駅への河川につらなっている【ようにも見えるあせあせ(飛び散る汗)
その原御室川は神泉苑から流れ出た河川と梨木神社から斜行する河川と繋がっている。だが二条駅から発し西院駅に流れた河川も、朱雀院から西大路五条への河川も、原御室川の氾濫原で消えている。時代がもっと古いのだろうか?

気になり平安京遷都前の河川推定図を探してみた。
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http://www.dpri.kyoto-u.ac.jp/nenpo/no47/nenpo47b.html 「防災研究所 年報47号 2004」
「京都の水辺の歴史的変遷と都市防災に関する研究」
http://www.dpri.kyoto-u.ac.jp/nenpo/no47/47b0/a47b0t01.pdfにあった画像Fig1

これの方が後の堀川・西堀川(天神川)と一条辺りで繋がり納得しやすい。【御室川がどーであったかは別として(笑)】しかしFig2
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を見てみると多大な疑問が出てきた。
「カッパの会:京の川の変遷:平安時代」
http://kappa-kyoto.net/henseh/heian01.html
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に掲載の図と大同小異だが、佐井川・御前川・大宮川・西洞院川が突然現れている。時代が変わってと言う意味ではなく「水源を一条大路にして」との意でだ。

だいたい平安京内の河川は一条大路から九条大路まで貫いていたのだろうか?そうなら水源は別々に取るか、天神川(右京)か賀茂川(左京)から引き一条大路を東西に流し大路小路で分枝させるしかない。宇多川が一条を西に進み木辻一条で南下するのはその残滓―と言いたいが、冒頭の地図では元から木辻あたりを南下しているあせあせ(飛び散る汗) しかも天神川にしろ賀茂川にしろ流量は雨天時以外は少なく、各大路に流すだけの量があったのだろうか?

扇状地の末端には自噴泉が多いとされている。高野川・賀茂川・紙屋川・御室川の複合扇状地である京都盆地には自噴池が多い。もちろん平安京域内でも御所の池や二条城の堀などを含め豪邸の池は自噴しいにしえは側溝に現在は下水に流していると聞く。平安京の側溝は一条あたりは空掘りで各貴族屋敷の池の水を流し込み徐々に流量を増やした…
―という平安京妄想説を立ててみた(笑)
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