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mixiユーザー(id:2145604)

2013年07月18日08:53

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京都の町並みは20世紀になってから拡大【地図変更】

まぁ、表題で全てなのですが…(笑)

添付の画像を広げてみて下さい。
明治22年(1889年).帝國陸地測量部作成の地図の上に同志社女子大.山田教授考証の戦国期上京下京図(いわゆる室町1筋で結ばれた鉄亜鈴型の京―黄色の部分)を重ね下に現在の河川図を置いて田畑部分の緑を強調させたものです。

400年間の差異をみると鉄亜鈴のくびれは無くなって楕円形になっている他はさほど市街地は拡大していません。南には七条停車場(現:京都駅)までは町並は広がっています。でもこれは17世紀にできた東西本願寺の門前町ともとれます。また東にも鴨川まで(一部川端祇園では東山まで)広がっています。

でも北には戦国期の北限が蘆山寺なのに、それから鞍馬口までしか広がっていません。西に至っては広大な農地が御土居の内側でもあり【御土居が明治22年にはくっきりと西側は残っています-今は残滓が点在するだけですが】上京では堀川から大宮だった町並みが千本まで、下京でも西洞院から堀川の町並みが400年で大宮にまでしか至っていません。

京都の町並みが拡大していくのは20世紀のことで桃山.江戸の期間には、上京―下京のくびれが無くなる程度の拡張だったことがみてとれます。町並みが市電外周域にまで至るのは昭和も中頃でしたでしょう。
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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2013年07月18日 09:00
    北側、西側は田圃だったということですね・・・
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2013年07月18日 11:27
    > mixiユーザー 
    》北側、西側は田圃だったということですね・・・
    はい!
    地図の白い箇所は添付画像では判りませんが、日文研のサイトでは拡大可能なので見てみると…
    水田の地図記号の他に【忘れていた】茶畑、桑畑、竹林、草むらなどが現在は住宅が密集する地域に書かれています。考えてみるまでもなく、この当時は壬生菜は中京区壬生で、賀茂茄子は北区賀茂で栽培され山城や丹波では作られていなかった頃でしょう。
    市電が京都市の大枠を規定したのですが《西大路、北大路、東山、九条》そのラインまで家並で埋まったのは1960年代、添付画像地図の西端まで達したのは平成になる寸前だと記憶します。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2013年07月19日 07:30
    添付地図を東西に長いものから南北に長いものに変更して、下に河川図を置き田畑・空き地(庭園)個所の緑を強調させました。

    上記西端と言っているのは常盤―梅津の辺りまで含んだ地図での説明とご理解ください。

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