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2012年09月20日11:16

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妙心寺から仁和寺へ至る道

京都の古刹・臨済宗妙心寺派の総本山−妙心寺の北門の前に立ち、世界遺産の1つ仁和寺への道を尋ねられたら…どう答えるだろう?

おそらくは「この道をみちなりに斜め西へ進み嵐電妙心寺の駅を越え数百m程で五叉路にでます。そこが仁和寺の南東角であと200m程西に二王門があり入口です」が現在なら正答だろう。

でも18世紀半ばの森幸安の地図には、そのような道は描かれておらず妙心寺北門の前の道を直線的に双ヶ丘の麓まで進み北に折れると二王門となる道しか書かれていない。
フォト

おや?と思い明治22年(1889年)の測量を大日本帝國陸地測量部が作成した地図を眺めると同じくL字型の道しか書かれていない。
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_2334.html
フォト

だが、同じく大日本帝國陸地測量部の大正11年(1922年)の地図には斜めの道がかかれている。
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_2349.html
フォト

どうやら、この33年間に斜めの道は作られたのらしい。
日文研の所蔵地図データベースでその間の地図を漁ってみる。

約50枚の地図がヒットしたが、この頃の京都市上京の西端は紙屋川(下京は大宮)。京都市郊外は今の市バス路線図と同じく圧縮されてお座なりなものが多く、しかも仁和寺まで書かれているのは少数あせあせ(飛び散る汗)
公式な測量地図はこの間にもあるのだが、日文研の所蔵リストにはない!
しからば「地形図の楽しみ」
http://www.geocities.jp/nomonomo2008/
で探ってみると明治42年(1909年)測量、大正元年の5万分の1地図
http://www.geocities.jp/nomonomomaps20000/Kyoto/KyotoNorth/KyotoNorth.jpg
があった。ここには斜めの道がかかれている。
フォト
−20年間に道路作成期間は短縮−

その間の地図を日文研で再検索してみると…
「明治京都」−明治30年頃ヵ(1897年)には斜めの道が描かれ
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_25.html
フォト
「最新實測京都新地圖」−明治41年(1908年)には記入されていない。
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_2245.html
(東が上の地図)
フォト

どうやら明治30年代に作られ知れ渡ったのが明治40代(大正)
この期間にナニがあったかを当たってみると…
京都電灯の北野線−現京福電鉄北野線(嵐電)が開業したのは1925年
上記の地図のどれにも軌道マークは書かれていない。

ただ、御室小学校−学校の歴史
http://www.edu.city.kyoto.jp/hp//omuro-s/sub2.htm
によると
『1898(明治31)年 現在の場所に移転。その後,御室尋常小学校と改称。』
とあり、1909年の地図には「文」マークが書かれているが、この移転が契機となっての道路敷設かどうかは確証はない。


ところで、アスニーの平安京模型には、この斜めの道が造られているのですウインクあせあせ(飛び散る汗)
撮影禁止だから某所からのコピペ
http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/2005to/ninnaji_en70.jpg
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