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mixiユーザー(id:2145604)

2012年05月24日11:24

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太秦南東部

太秦と言うと帷子ノ辻から蚕ノ社への嵐電沿線を思い浮かべがちだが…
山ノ内の西、流れの(マダあせあせ(飛び散る汗))ある西高瀬川辺りも太秦。

今朝は、京都市考古資料館で頂いた京都歴史散策マップの3『太秦・双ヶ丘』を懐に太秦南東部を探訪。

地下鉄太秦天神川を降り、謎な名前の交差点「三条御池」を西へ、デイケアセンターの前を南に西高瀬川を越えると目指す史跡天塚古墳
フォト
残念ながら、グラフィックが無かった!某コンテンツには使えない泣き顔

無駄足だったかと、別経路で地下鉄駅への帰路中に児童公園の前を通りかかるとナニやらプレートが…手(チョキ) 大正から昭和初期に航海用の船舶が海に関係なさそうな太秦に展示されていたとのこと。知らなかった。フォト

三条天神川へ出てきたついでに、猿田彦神社−庚申堂に参る。地図で見ると平安京のスグ外。謂れ由緒の駒札でも…と探したが、何も無かったあせあせ(飛び散る汗)
フォト


#1枚目の写メ、どうせ某コンテンツには使えないなら、遠景か周りの景色も入れたものを撮るべきだったあせあせ(飛び散る汗)
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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2012年05月24日 12:02
    天塚古墳、前方後円墳にしては横穴式石室ってのは確かに珍しい。後期の古墳ですね。秦氏のものだとすると、比較的新しい時代の入植でしょうか。この時代の山城ってのはまだあまり開拓されてない時代ですからね。

    市街地の古墳なので状態があまりよろしくないのはやむを得ないか。看板自体も古く、あまり手入れされてないっぽいですね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2012年05月24日 14:40
    〉Calciさん
    》看板自体も古く、あまり手入れされてないっぽいですね。

    入口あたりは朱塗りの塀と小さな鳥居があり、どうやら古墳全体が天塚山稲荷という神社の境内らしいのですが…
    社務所も無人の様子でしたし、雀蜂の姿も見えたので周囲は詳しくは見ていません。

    周辺は現在は完全な住宅街ですが、昭和の末期近くまで田畑の多い農村と市街地の境界地帯だったと記憶します。


    嵯峨・太秦の秦氏古墳は「あっ」という間の市街化に呑まれ、更地になり住宅・道路・マンションとなった例が多く、天塚古墳には『よくぞ残ってくれた!』との感慨の方が深いです。

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