アスニーで以前展示していた京都明細大絵図で興味深い部分を見つけた。
出身高校の東あたりなのだが、聞きなれない村名が記されていた。
『谷村』
いったい、現在のどこなのだろうか?この名前は伝わっていなかったのか?
疑問に思えまず現在の地図を広げてみた。
yahoo地図だが「谷」なる地名は見当たらない。
では古地図は…?
1945年の米軍作成図にはTOKIWAしかないが
昭和13年
昭和6年
大正11年
明治22年
の地図には常盤谷と記載されていて明治の地図にはルビがないが他は「トキハ」との読みがある。
どうやら常盤村と谷村が合わさり「常盤谷」と記され「トキハ」と呼ばれたらしい。
wikipedia-右京区の町名より
》旧葛野郡太秦村は、昭和6年京都市に編入され、右京区の一部となった。太秦村には太秦、安井、中野、常盤谷、嵯峨野の5つの大字があった。このうち、(中略)、大字常盤谷は「常盤」を冠称する19町《
とあるので京都市への編入時点かその後に「常盤谷」→「常盤」となり江戸期享保には見られる「谷」の名は地名から消えたらしい。
では現在のどの辺りだろう?
双ヶ丘三の岡の西、御室川の西南、黒橋-常盤地蔵への道の北、蚕ノ社の北と絵図からは読み取れる。現在の町名の常盤仲之町、常盤一ノ井町、常盤古御所町あたりだろうか?
京都明細大絵図ではピンクは寺社、黄色は町村、白は堂上と例示されていたので名称から「古御所町」なんて極めて怪しいが確証はない
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