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2011年04月28日09:55

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明治22年の地図を重ねると

昨日の日記の明治22年「大日本帝国陸地測量部発行二万分一地形図」の京都地図を拙サイト「京都の歴史重層地図拡大可能版」
http://homepage3.nifty.com/nakagomi/java/heian.html
に重ねたものをアップしてみました。

一番下に地形図(平野部がパールグリーン・河がブルー・丘陵が濃グリーン・緑地帯がグリーン)を置き、
その上に平安期の郊外寺院図(北野廃寺・法金剛院はピンク:六勝寺は白:法住寺・法成寺・香隆寺はベージュ)を置き、
更にその上に現代の主要道路(茶)と鉄道(黒)を重ね、
最後に明治22年の地図を置いてみました。
#平安京条坊図まで重ねるとゴチャゴチャしすぎて(笑)なにもわからなくなった。

ベージュ色の平安時代の寺々は判らなくなっていますがあせあせ(飛び散る汗)それ以外は明瞭。
御土居堀の西側がくっきりと残っていてその西は天神川が蛇行して東は大宮辺りまで何も無いことが読み取れますし、西院村は春日神社より西に家並みがあったこと、西七条村は御前辺りが中心だったこと、京都は七条で都市部は途切れてて居たこと なども判ります。

なにより、六勝寺の白が読み取れるということは岡崎はホントに何も無かったのだと…←だから平安神宮が建てられたり、博覧会がここで開かれたのですが。



以下宣伝
拙サイトでこの図をみると、この図を別個にオンオフできたり、下にグーグルアースの衛星写真を差し込んだり、拡大・縮小・視点の東西南北への移動が可能です。
宣伝以上(笑)
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