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mixiユーザー(id:2145604)

2010年08月31日12:36

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京都市防災マップの御土居掘袖と高明西宮

先日より京都市の各戸に配布されている京都市防災マップ

pdfは
http://www.city.kyoto.lg.jp/shobo/page/0000086399.html
でダウンロードできますが
これの中京区の水害地図に御土居堀や平安京図を重ねてみました。

おもしろい!
西ノ京の袖だけが紙屋川と宇多川間の丘陵部に接しないように出っ張っています。堀を伴っていた為に丘陵部までは袖が延長出来なかったことが見て取れます。

平安京図を重ねると益々おもしろい!
西洞院に川が流れていたことはクッキリと出ていますし、御前通りもおぼろげながら低地で川の跡が辿れます。広範囲の低地−沼か池の跡は神泉苑(平安時代の)の南4町や朱雀院には見られず、左京職や勧学院あたりと現四条御前あたりにみられます。
この四条御前の池跡が気になり調べてみました。江戸時代や明治の地図では一面の田畑でなにも記載がありません。平安京復元図では西宮となっていたので調べると…どうやら源高明の屋敷らしいです。
と、見直すと森幸安の『中古京師内外地図』では高明親王と記載されていました。流石!森幸安
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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2010年08月31日 13:55
    西洞院川の流路はさすがご炯眼です。

    http://eva.genji.cc/m-ukyou-4.htm こちらにうまくまとめられていますが、西大路四条から御前あたりは 源高明由来の西宮と、淳和天皇由来の西院がならびたっていた(最盛期にはずれがあるかもしれませんが)わけですよね。それが平安中期以降は低湿地ということで、ほろびていった、そのあとが中世後期の小泉城になっていったりする。(http://www.geocities.jp/y_ujoh/kojousi.koizumi.htm

    わたしは、その間の変遷がどうだったのか、もう少し詳しくわかればおもしろいなあとおもうのですが。

    そうそう、四条御前は、京都市リハビリテーションセンターや労働会館ができるときに大規模な発掘があったとおもいますので、そちらをあたるとなにかでてくるかもしれません。

    (長々と失礼しました^^;)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2010年08月31日 18:14
    〉toki-hoさん
    おぉ!小池笑芭さんのサイトですね。複数のマイミクさんのマイミクさんに当たる方ですが、いささか敷居が高く(笑)殆ど掲示板発言はしていませんあせあせ(飛び散る汗)
    >笑芭さん、もしこれを読んでたらごめんなさいネ m(_ _)m

    四条御前の発掘資料は当たってみたのですが考古資料館の現説資料にも、日文研の発掘報告にも見当たりませんでした(^^;
    キーワードは「平安京右京四条一坊」

    そういえばこの辺りを四条川が東から西へ流れていたそうです。
    http://kyoriver.web.fc2.com/report/river/sijyougawa/sijyougawa01.html
    いつ頃からの河川なのかは良く判りません。 

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