さて、先日の日記で言っていた『中古京師内外地図』だが、拡大して眺めてみると面白いものを見つけた!
平安京右京一条三坊十六町を見ると「野宮斎院」と書かれている事に注目して欲しい。最初はこの地図は一条大路の北に数本の街路が書かれていることを忘れて「わぁ!西京高校の齋宮(平安京右京三条二坊十六町)が載っている!!」と驚いたのだが…
よくよく見ると北辺二坊に4町規模の寺院−常住寺が「一名野寺天台院/京師七大寺ノ其一也/野寺地蔵/今小堂処ト云」と紹介されている。野寺こと北野廃寺は南端が一条大路に接していたことが発掘調査で判っており幸安の考証より北へ2町ズレていたことが判る。
と、すると幸安が採った資料では「西京高校北グラウンドの齋宮跡」が右京のドコか北のほうにあったとだけ記されていて野寺と同じく場所がズレたのかとの妄想がでてきた(^^;
でもモチロン偶然なのだが場所が西京高校ならぬ花園高校と平成では同じように高校が建ってる場所だというのは面白い。
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