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2018年05月28日19:10

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5/25 ジョルジュ・ブラック展&山田五郎氏アートトーク@パナソニック汐留ミュージアム

テレビ番組「アド街ック天国」「ぶらぶら美術、博物館」でお馴染みの山田五郎氏の記念講演会があると聞き、受付開始の2月26日朝8時に電話で申し込み。定員250名に対し整理番号21番、22番をゲット。講演は2時から3時で美術館の階上のホールで行われるが、整理番号1〜100の人は1時受付開始、以降101〜200番は1時15分、201番は1時半の受付開始となる。

夫とは11時に汐留駅で待ち合わせ、丸亀製麺で早め昼食、それから美術館へ先に鑑賞。12時45分頃に出ると1〜100番の人が並び始めていた。同時間受付の人を整理番号順に並び直させることはしないようなので、私も並ぶ。受付が終わると順次会場に入り、席を取る仕組み。中央2列目を確保。前回さくら☆さんが行った時には受付の手際が悪くて長蛇の列ができ講演が始まっているのにまだ受付をすませられない人がいたと聞いたが、今回は相当ゆとりを持ったようだった。おかげで1時間近く暇を持て余したが、階下に降りて行って再びビデオを見たりして潰した。

さて、この展覧会、副題に「絵画から立体への変容〜メタモルフォーシス」とあるように、よく知られているキュビズムの絵画でなく、最晩年に取り組んだジュエリーや立体に焦点を当てている。
フォトフォト
https://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/18/180428/
キュビスムの創始者ジョルジュ・ブラック(1882-1963)は、20世紀初頭、ピカソとともに、対象物の立体的な全容を平面上に表現するために分割と再構成という手法で革新をもたらした重要な画家です。本展は、そのブラックが最晩年に取り組んだ「メタモルフォーシス」シリーズを日本で初めて本格的に紹介するものです。彼の最終的な目的であったすべての造形物の美化への挑戦の成果、つまり絵画や彫刻から始まり、ジュエリー、陶磁器などの装飾芸術に至る様々な形態の作品が出品されます。殊に、1963年、時のフランス文化大臣のアンドレ・マルローが「ブラック芸術の最高峰」と絶賛したジュエリーの数々においては、崇高なる彫刻ともいえるほどに、貴石や金属の美しさに魅了された画家の美への飽くなき追求が結実しています。
展覧会には、ブラックの最初期の風景画、分析的キュビスムやキュビスムから静物画への過渡期の作品など、画業の変遷をたどる少数の重要な絵画も加わり、ブラックが目指した造形の変容の過程をご覧いただけます。
作品の多くはフランスのサン=ディエ=デ=ヴォージュ市立ジョルジュ・ブラック-メタモルフォーシス美術館より出品されます。

序章
第1章メタモルフォーシス〜平面
第2章メタモルフォーシス〜陶器
第3章メタモルフォーシス〜ジュエリー
第4章メタモルフォーシス〜彫刻
第5章メタモルフォーシス〜室内装飾

序章では3点。ごく初期の印象派のような風景画、1911年の分析的キュビズムの静物、そして1927年のマチエールにこだわった静物画。これで、大雑把にブラックの絵がどんなだかをつかめる。

第1章の平面は、晩年のブラックが体を壊して大きな絵画作品の制作ができなくなった時ジュエリー制作をしようと考えた時の下絵など。
フォト フォト
モチーフはギリシャ神話「変身譚」。知っているのは自分の姿に惚れたナルキッソスが水仙に変わってしまう、などほんのわずかの話。困ったなぁと思ったが、後で五郎氏の講演を聞いて知らなくてもOKだと判明。メタモルフォーシス=変容は、絵画から陶器、ジュエリー、彫刻、タペストリーなどに姿を変えたブラックの作品そのものでもあるそうだ。
同じ鳥や蝶、女神の横顔のモチーフが繰り返し何度も出てくる。

フォト
同じ女性の横顔なのに、あるものは《へカテ》あるものは《キルケ》というふうにタイトル(女神の名前)が変わり、五郎氏曰く「使い回し」。ちなみに、キルケは自分を訪ねてきた男に酒を飲ませて全部豚に変えてしまうという魔女というのは、象徴主義絵画で随分と題材にされているから知っているぞ。

下絵フォト
タペストリーフォト
彫刻フォト
陶器フォト
2羽の鳥もほぼ同じなのに、《青い鳥》だったり《ペリアスとネレウス》だったり。これは五朗氏曰く「後ろのモヤモヤに穴が空いているのが《青い鳥》で、穴がないのが《ペリアスとネレウス》」皆大笑い。

確かに、意味を考えずに質感の違いを純粋に楽しんだら面白い。特にジュエリーはすごく豪華で、しかもちょっとアール・デコ風でもあったりして、3羽の鳥のブローチなどはイミテーションでもいいから欲しいと思った。
フォト フォト
アール・デコと感じたのはあながちハズレではなく、第1次大戦でブラックは頭に大怪我をして帰還したのだけれど、その頃1920年代〜30年代にフランスでブームだったのが、古代ギリシヤとアール・デコだったので、十分に影響を受けたとのこと。
フォト フォト
ジュエリー以外でも、リトグラフに金箔を厚盛りしたものや、やはり金張り(磨いたものとつや消しのもの)と石を組み合わせた大きな彫刻も圧倒の存在感。
フォト
生前望んで叶わなかったが、2007年に関係者の熱意で実現したドーム工房でのガラス彫刻作品は色も素晴らしかった。タピスリー、モザイク、ステンド・グラスの室内装飾もこれらモチーフがぴったりで、実際に部屋のインテリアとして悪くない。

感想は、知識浅くこの程度、五郎氏の講演を聞いた後だったらもうちょっといいことが書けたかも、お恥ずかしい限り(汗)
講演のテーマは予想に反して「メタモルフォーシスとは?」ではなく、「そもそもブラックってどんな画家?」だった。そういえばブラックのことはよく知らなかった…

ブラックとピカソはよく混同される。五郎氏の実家にあったブラックの作品を氏自身も5年間ピカソの絵だと思い込んでいたという(実家が持っていたこともすごいが)。混同されるのは当然で、お互い敢えてサインを入れないそっくりの絵も多く、キュビズムへの実験はまさに共同制作であったという認識らしい。ピカソはブラックのことを「ザイルで結ばれた登山パーティ」というほど。もっとも親密だった時期は1912年〜1913年だったが、キュビズムのリード役は実のところピカソでなくブラックであり、1908年発表のブラックの作品からキュビズムという語が生まれたという。そうだったのか〜ピカソの方が華やかで時代を先取り、ブラックはその次という思い込みがあったかも。
面白いのは、ピカソの作品はスペイン人らしくガツガツして攻めるタイプ、それに比してブラックはフランス人らしく洒落気と職人気質が程よく調和してさりげないという五郎氏の評、さすがうまいことを言うなぁ。

さて、五郎氏の美術史講釈はわかりやすくて面白い:
人は「自然をどのように絵にするか」を命題として、光を見た印象派が生まれた。モネが提唱した筆触分割である。画期的であった。のちに「色彩の三原色を分解して再構成する」スーラやシニャックが登場し、それはあまりにも人工的であるとモネが反発して、印象派は分裂。その後「色彩でなく、形を○△□に分解して再構築する」新しい絵画が生まれた。その象徴的事件として、しばらく埋もれていたセザンヌの回顧展が行われた(五郎氏曰く、セザンヌは元来絵が下手なため○△□で再構築するしかなかったww)。これは「自然を絵にしようとする」のではなく「自然を真似るのをやめ」「絵画は絵画独自の表現を追求するもの」という新しい発想で、ブラックが始めたことであった。少し前に始まったフォーヴィズムと並んで20世紀の2大流派である。キュビズムは、最初はいわゆる「分析的キュビズム」で、次第に「総合的キュビズム」へと移行。マチエールの追求から、それがやがてコラージュへと発展。そして、コラージュは、レディメイドのものを使用して作品と(デュシャンの便器作品)し、深層心理が表面化する可能性を秘めていることから、のちのシュールレアリスムに発展する。

ブラック芸術の最も大きなヒントは父親が塗装業であったことにある。ペンキ屋さんではあるが壁に絵を描くこともできた日曜画家でもあった。
ブラックが分析的キュビズムの発展の中でステンシルを使って文字を入れたのも塗装業ゆえの発想だという。また、マチエールにすごく拘って、油絵の具の中に埃や砂(本当に植木鉢の中の土をパレットに混ぜ込んでいる映像があった)を入れて描いたり、フレスコ画を描いたりもしている。彼の目指すところは「手触りのある芸術」「物質としての絵を作ること」であって、それは生活と密着した壁を塗る父親の業種が由来しているものでもあり、晩年ジュエリー職人との出会いで実現したジュエリー作品こそは身近に置いて触れる芸術であったわけだ。なるほど、腑に落ちた。

山田五郎氏は、テレビで見るとチョイ悪おやじ風だが、実際は温厚そうな大学教授風であった。でも話し出すと「〜なんですヨォ」の口癖連発で、「ぶらぶら美術・博物館」での五郎さんそのまま。パナソニックの講演は8回目だそうで、圧倒的に熟女風女性が多かった。知識欲が満足させられる内容で人気なのもわかるなぁ。面白かった。展示自体はさほど興味がなかったが、エアポケットとなっていたキュビズムの世界に触れられて収穫大。また聴きに行きたい。

展覧会は6月24日まで。


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