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2017年10月18日09:05

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現実の問題として考える。

■<犬猫の殺処分問題>年間5万匹以上が犠牲!涙する保護センター職員が実態を告白
(週刊女性PRIME - 10月17日 21:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=235&from=diary&id=4817110

人間の勝手な都合で処分されるのだから、その都合についてはしっかりと検討しなくてはならない。
そして殺処分に関しては持ち込めばいいと言うシステムなのかどうかよくわからないが、高額な費用や、手続きも課したらどうだろうか。

そしてもちろん、野犬化するような廃棄や、個人での殺処分には重罪も課して良いと思う。


でも、人間社会のなかで、人間によって生きていかなくてはならない生き物になった以上は、人間の都合に左右されてしまう命であることは変わらない。

人間の都合で左右されてしまうからこそ、考える力のある人間が考えて決定したり、処分したり、新しい里親を探したり、介護犬として育てて使ったり、警察犬として訓練して使ったり、災害などにその嗅覚を利用したりして良いのだと思う。

ここに妙な感情を余計に入れてしまうのは私はなんだか違うことだと思う。

例えば牛とか豚が可哀想で食べられない、と言う感情に近い、偏りを感じてしまう。

だいたいにおいて、可愛がっていら猫や小型犬などは、そもそもが人間の勝手によって交配がされている。
本来ならいる筈のない愛玩犬で、その分、命も短くなったりする。

最近は長生きするようになったが、本来より体重が軽く、猫と同じくらいの大きさの犬は体重がかなり軽い。

そしてあの畑正憲氏でさえ、飼っている犬達は、そんなに長く生きない、と言うことを言って居た。それを見て、あんな動物殺し、と言う言い方をする人もいるけれど、本来の寿命より長く生きることが幸せなのか、本来の寿命の中で精一杯、生きることが幸せなのかは、わからない。

でも人間ならば、7〜80年の間に、いろんな知識を持ったり、働いて成功したり、失敗して学んだり、そして子孫を残したり、と、色々なことがあって、その寿命を全うしたい。と、私は思う。
のんびりとなんのストレスもなく、大きな負担の精神的ストレスもなく、あちこちの痛みに耐え、100歳まで生きるのとどちらがいいだろうなぁ。


ま、こういうことも、私は飼い主の生き方や知識で変わるのだろうと思うし、それでいいのだと思っている。


この医師は可哀想だが、そして多くの獣医の若いうちに、これをやることが多く、ノイローゼになって辞めた医師もいると聞く。それほど過酷なのだ。
だから私はこういう殺処分は飼い主に医師監修の間にやらせればいいと思う。


私ならそうしなくちゃならないのなら、一時の感情で飼ったり、処分したり出来ない。考えただけで出来ない。


ガス室のスイッチを入れる、苦しんで亡くなる様を見る、注射器のシリンダーを押して薬剤を注入する、などを本人に体感させればいい。

その為の器具などは人間なら作れるだろう。


そうすべきだ。



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