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2018年01月18日20:51

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旅行記@年の瀬の熊野遠征《11》補陀落山寺

山上の熊野那智大社から約2時間半かけて熊野古道をひた歩き、麓の補陀落山寺(ふだらくさんじ)までやって来た。
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当寺は、熊野那智大社や熊野古道と共に、「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一部として、世界遺産にも登録される古刹である。

このお寺には、以前からかなり興味を持っていた。
何の本で読んだのかは忘れてしまったが、当寺で平安時代から江戸時代にかけて行われていた宗教儀式《補陀洛渡海》について知り、強く惹きつけられたのだ。

「補陀落」は、サンスクリット語「ポータラカ」の音写。
その意味するところは、「観音菩薩の降臨する霊場」あるいは「観音菩薩が降り立つとされる伝説の山」らしい。
中世日本では、この「補陀落」が、遥か南洋上に存在すると信じられた。
その伝説の霊場を目指し、行者が《渡海船》と呼ばれる小型の木造船に乗り込んで、そのまま沖に出、朽ちたり大波によって沈むまで漂流を続ける。。
これが「補陀落渡海」と呼ばれる《捨身行》である(;´Д`)

「補陀落渡海」の記録は、わかっているものだけでも、那珂湊や足摺岬や室戸岬などを含め、全国で40例ほどが確認されているらしいのだが、そのうちの25件は、ここ補陀落山寺から出発した例であるという。
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当寺には、↑補陀落渡海に関する説明看板と一緒に、かつての渡海船を原寸大で再現した木造船も展示してあった。。
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船上に造られた屋形には扉が無い。
屋形に人が入ると、出入口に板が嵌め込まれて外から釘が打たれ、固定される。その屋形の四方に4つの鳥居が建っているが、これは「発心門」「修行門」「菩薩門」「涅槃門」の死出の四門を表していると云う。。
現代人のわしなんかからしたら、ちょっと信じがたい《信仰の形態》だと思う(;´Д`)

あと、当寺の御本尊・千手観音立像は、平安時代の一木造の像で、国の重文にも指定されている《イケ仏》らしいのだが、、残念ながら、年に三度(1月27日、5月17日、7月10日)だけ開扉される秘仏で、今回は御尊顔を拝することは叶わなかった。
というわけで、またいつか、訪ねてみたい場所である。

つづく。
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