mixiユーザー(id:18531343)

2015年05月12日00:16

21377 view

2015.4.27.CBCラジオ「若狭啓一のスポ音」桂選手イップス克服秘話 書き起こし

2015.4.27.CBCラジオ「若狭啓一のスポ音」桂選手イップス克服秘話 書き起こし

『no talk no life』 今日のお題は、桂依央利選手<イップス克服秘話>です。

 この前の火曜日、劇的なデビューでしたよね。
4月21日火曜日の中日ヤクルト4回戦。プロ二年目23歳の桂投手が、
プロ初出場、初スタメンで、プロ一号を含む二安打、
守っては先発の大野投手を好リード。
再三首は振られていましたが、好リードというふうにしておきましょうよ。
完投投手に導きました。今日はちょっとバタバタして、負けてしまったんですけど、
桂選手のプロ生活がスタートした、というのがこの火曜日だったんですけど、

 ドラゴンズファンなら、ご存知の方も多いと思うんですが、
彼は大阪商業大学時代には、リーグで首位打者を獲得するほど、
『打てるキャッチャー』『肩も抜群にいい』ということで、
“ポスト谷繁捕手”候補として、ドラフト三位に指名されて入りました。

 ところが、去年、『送球難』簡単に言うと、うまく投げられなくなったのです。
キャッチャーですから、ランナーを刺す、二塁に送球する、と思いますが、
その距離ではなくて、ピッチャーに返すボールが、うまく投げられなくなったんですね。

 いうところの「イップス」です。辞書で調べたりされれば分かると思うんですが、
<精神的なものが原因とされていて、自分の思うような行動ができない運動障害の一つ>
と言われていて、そもそもは、ゴルフなどでうまくパットができない、という
ところから来ているらしいんですね。

 テニスのサーブでうまくいかなくなって苦しむ人もいれば、
野球ではこういった、送球難になって「投げられない」という風になってしまって
苦しむ選手はたくさんいて、聞くところによると、一割二割と言わず、三割くらいは、
そういったものに悩まされている、悩まされていたけれども克服した、
あるいは、悩まされ続けてユニフォームを脱いだ、という選手も
いらっしゃるということなんですね。

 ただ彼は、このなかなか克服できないと言われているイップスを見事克服して、
プロ二年目、この前の4月21日にデビューしたんです。

 どうやって克服したんだと、気になりますよね。

わたくし…この質問はあんまりよくないのかなと…、
しかも、活躍した直後の選手に聞くのもどうかなと思いましたし、
試合に出る前にこの話をするのもどうなのか…彼が出る前に聞くか、出たあとが
良いのかと思ったのですが、出たあとに、聞きました。

 プロとしてデビューしたあとに、申し訳ないけれども、
聞きにくいことだけれども、質問します。と。

若狭アナ「どうやって、イップスを治したんですか。」
桂選手「去年、前田章宏さんと、マンツーマンで練習して、克服したんです。」

 去年は二軍のバッテリーコーチ、現在二軍のブルペンキャッチャーの
前田さんと、僕は、二人三脚で克服したんです。と。

若狭アナ「ほぉ目 なるほどexclamation

 わたくしはすぐ、その翌日にナゴヤ球場に行きまして、前田さんに話を聞きました。

 話を聞くと、桂選手のイップスを克服した裏には、二人の男がいました。

 一人は前田章宏ブルペンキャッチャーです。今は選手じゃないですからね。

前田コーチ「イップスを発症したのは若狭さん、
 実はね、もう、去年のキャンプの時だったんですよ。
 二月一日、北谷キャンプに起用された桂は、初日に谷繁監督とキャッチボールを
 しました。緊張のあまりちょっとフラフラしていて、送球もままならなかった。
 『オイ、大丈夫か』と監督にも、他の選手にも、コーチにも言われた。

 冗談だと思いますよね、でもだんだんそこから送球がおかしくなっていって、
 去年の北谷の第二か、第三クールだったかな、お客さんがけっこういる日曜日の
 シートバッティングの時に、ピッチャーへの送球がおかしくなって、
 それが二球連続続いて、観客がざわついて、もう谷繁監督が交代をさせた。

  そこからどんどんドツボにはまり、二軍に落ちても、読谷に来ても、
 ブルペンでピッチャーに返せない。キャンプが終わっても治らない。
 三月、もっとひどくなっている。
 プロ野球選手として、まだ開幕していません。
 三月の教育リーグの段階で、もう、まともに投げられなくなっていたんです。」と。

前田コーチと、どういうことをやったのかと言うと、

前田コーチ「四月の下旬に<イップス克服プロジェクト>がスタートしたんです。」

ちょうど去年の今頃だったそうです。

前田コーチ「彼、ものすごく苦しんでいたんです。桂選手。」

 全体練習が終わった後に、夜七時から、マンツーマンで、ナゴヤ球場の
室内練習場のブルペンに行くそうなんです。誰もいません。

前田コーチはマウンドにいるんです。桂選手はキャッチャーボックスにいるんです。
前田さんが投げる、桂選手が受け取る、それを前田さんに投げ返す。
その時に、左バッターボックス、右バッターボックスに、ネットを置いていた
そうなんです。狭い空間の中でピッチャーに投げ返す。これを繰り返した。

 ときどき、キャッチャーボックスと右バッターボックス、左バッターボックスって、
もう目と鼻の先にありますが、そのネットに当たるくらい送球難だったんですが、
狭い空間で投げ続けることによって、正しいステップ、正しい手の動きを
体に染みつかせていって、だんだん良くなった。

 毎日300球、それを繰り返した。期間でいうと、一ヶ月半。
だから試合に全然出ていませんよ。練習をやり、試合は見ているだけ、(※注)
全体練習が終わった後に、夜七時にマンツーマンの練習が始まるんです。

 一ヶ月半経って、場所が変わりました。ナゴヤ球場の室内練習場のブルペンの横に、
バッティング練習をするスペースがあるんですが、その間に通路があるんです。
ネットとネットに囲まれた幅一メートルの通路があるんです。
今度はその場所で、より狭い空間で始めたんです。

 皆さんは立ち入ることができないので、その場所を今、ブログにアップしています。
どれだけ狭い空間かは見て下さい。

 しかも、柱もあって、桂選手が前田さんに投げ返すボールが柱に当たって
前田さんにボールが当たる、硬球ですから痛いですよ。一応防具もつけている
そうなんですが、顔に当たる、腕に当たる、腰に当たる。それを繰り返していって、
また一ヶ月半、つまり、七月の下旬にやっと治ったんです。

 前田さんは、『体にボールが当たって痛くないですか』と尋ねると、

前田「そりゃ痛いですよ。でも、彼の心の痛みから比べれば、屁でもないですよ。
 実は僕もイップス経験者なんです。」

前田さんは中京大中京高校の一年の時と、プロに入って二年目の時に
送球難になって苦しんだ過去がある。

『だから桂の気持ちは痛いほどよくわかる。
 でもこれって結局、自分で乗り越えないといけないんです。
 ただ僕は、付き添っていただけです。

前田さんはイップスになった過去があるだけでなく、コーチになった時に、
誓ったことがあるそうです。

『僕は一軍の経験も少ないので、技術はそんなに教えられないけれと、
 選手の悩みにはとことん付き合えるコーチになろう』

と思ったそうです。それで、毎日狭い空間での300球のキャッチボールをやって、
七月下旬に完治して、やっと試合に出られるようになったんですね。

「僕が付き添ったから克服できたんじゃなくて、あいつは不器用ですけど、
 自分で決めたことはとことんやり抜く奴です。
 治ったのは、あいつの、その強い信念ですよ。
 それが一番の要因だと思います。」

 さっき、イップス克服秘話の影には、二人いるって言いましたよね。
もう一人は…、時計の針を、七月下旬から三ヶ月巻き戻しましょう。

 四月の下旬、<イップス克服プロジェクト>がスタートしたとき、
四者会談が行われました。。ナゴヤ球場に四人の男が集まったんです。
前田コーチ、桂選手、佐伯二軍監督、もう一人、落合ゼネラルマネージャー。

 実は『ネットを置け、狭い空間で投げろ、それがイップスを克服する術(すべ)だ』
というふうにアドバイスしたのは落合GMなんです。

 これは、病気を治す患者さんに似ていて、
大事なことは、治す術を知っている敏腕ドクターと、
患者さんに寄り添う人、家族や看護師。
一番大事なのは、本人が『治そう』とする思い。
この三つが重なってはじめて難病は克服されるということなんです。

 だから、桂捕手はすごい、付き添った前田さんもすごい。
ただ、治す術を知っている名医、落合ゼネラルマネージャーもすごい。

という話でした。

 やっぱり課題を克服すると一口に言っても難しいことなんですが、
いろいろな人の支えがあって、それを乗り越えようという強い意志があって、
初めて乗り越えられるんだなぁと思いました。



 視聴者からのお便りです。
「今日の話、落合GMの力、すごいですね。鳥肌が立ちました。」
「復活の後ろには、しっかりとした支えがあったんですね。」

 前田コーチ。現在はブルペンキャッチャーですが、これは、コーチとして、
ものすごい功績だと思うんです。いろいろな選手を教え育てて活躍させるのも
そうなんですが、選手の悩みに付き合って、とことん練習に付き合って、
一歩ずつ一歩ずつ歩みを進める選手に付き合うのって、なかなかできないこと
だと思うんですよね。

 ただ、前田さん曰く、『同じ痛みを僕は知っているから』ということでした。

 動画サイトに、桂選手のイップスだけを特集する心ない動画…というと言葉が
過ぎますが、そういったものがアップされているのも、前田さんは知っていました。
これって、怒りじゃなくて、どんどん自分が情けなくなってくるそうなんです。

前田コーチ『でも、這い上がるには自分しかない。
 桂捕手の良いところは、送球が逸れたら、『すいません』と言うんですけど、
『今の僕、ちょっと腕が顔から離れていましたか』
『今の、指にかかっていませんよね』というふうに、
立ち止まったり、後ろを向くんじゃなくて、どんなにボールが暴れても
前に前に行こうとしていた。
不器用だけど、とにかく毎日前田さんに300球投げるというのを、
やり抜いたので、僕はすごいと思うし、絶対治ると思った。』そうです。

 落合GMはつきっきりで見守ったりはしませんが、治し方は知っているという、
これまたプロ中のプロだなと思いました。


※ぽよぽよ注:若狭アナは、前田コーチへのインタビューについ、
 この言葉を付け加えたのでしょうが、
 桂さんは4月からずっと、スタメンマスクで試合に出ています。
 『試合に出させて治していく』という方針だったと聞いています。
 だからこそ、心ない動画が作られたのです。

 4月5日、6、11、16、19、22、24、25日にスタメン、26日は途中出場、
  ここで武山さんがトレードで加入し、調整のため少し出番は減りますが、
 5月10日、14、16、17日にスタメン、23日は途中出場、
  24、25、27、31日もスタメン、この31日に伊藤準規さんに
  怪我をさせてしまいますが、
 6月4日、10、13もスタメン、ここで雅人さんがファームに来たので
  出番は減りますが、27日は途中出場、28、29日はスタメン、
 7月6日、8日、8月8日、16日にスタメン、19日は途中出場、

 8月21日はスタメン、23日は途中出場、24日はスタメン、
 26日は途中出場、29、31日はスタメン。
 9月6日はスタメン、7日、9日は途中出場、12、14、17日はスタメン、
 19、22日は途中出場、9月24日に一軍登録されました。
 
 『試合にたくさん出ながら治す』これも、落合さんの方針だったのでしょうか。

 桂さんからピッチャーへの送球がどんなに逸れてもいいように、
 セカンド&ショートが一球ずつバックアップに入って、全員で支えたと聞きました。

  試合を見ていた、私の友人は、こう教えてくれました。
 『試合前のブルペンでも、投手陣は、自分達も結果を出さないとダメな立場なのに、
 桂捕手が返球出来なくても、嫌な顔をしないで受けていましたし、

 投手の後へスーっと何気なく行き、カバーしてた鈴木くんや仲間達がいたこと、

 そして返球する度に謝ってた桂選手、
 『いいよいいよ』と言ってた投手達
 それを観ていた観客のせせら笑う姿。

 自分は、居たたまれなくなりましたが
 桂選手本人は、そんな中で一生懸命やっていた姿が目に焼き付いてます。』


 全体としてはとってもいいインタビューですが、
最後にこれは、どうしても付け加えさせて下さい。桂捕手は、たくさんの試合に出て、
コーチだけでなく、チーム全員に支えられて復活したのだと思います手(グー)


2015.4.21.ドラゴンズヒーローインタビュー&監督談話書き起こし
 <桂選手 初スタメン、初打席ホームラン、初ヒーローインタビューの日>
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1941270880&owner_id=18531343

2013.10.27 CBCサンデードラゴンズ 鈴木投手、又吉投手、桂捕手出演 書き起こし
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1915240110&owner_id=18531343
26 18

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する