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2018年01月09日09:03

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演劇センターFの解散と市原幹也の雲隠れ

市原幹也|ICHIHARA Mikiya 演出家|Director/お詫び
http://ichiharamikiya.wixsite.com/ichihara/news01

演劇センターF
http://tcf-project.net/

> 演劇センターFは、2013年に私の呼びかけによって立ち上がり、2014年を中心に活動していました。
> 現在まで当WEBサイトで当時の活動を詳細にアーカイヴしていましたが、2015年以降、演劇センターFとしては実質的な活動はしていませんでした。
> この度、私の活動休止に伴い、演劇センターFのWEBを閉じることにしました。
> 今まで私たちの活動にご参加いただいた皆様、また遠くから応援していただいた皆様、多くのお力添えをいただいたにもかかわらず、ご期待を裏切ってしまい本当に申し訳ありません。
> 現在、Fメンバーだけでなく、私に関係した個人・団体等の皆さんにも多くのご迷惑をおかけしていることを認識しています。
> 告発者の方の心情に最大限に配慮し、関係者の方々の名誉や信用への被害も鑑みた上で、現在の状況や判明している事実をできる限り開示して対応していく所存です。
> 今まで本当にありがとうございました。
> 市原幹也

 #MeToo での告発に端を発した市原幹也のセクハラ問題に関して、当人が主催していた「演劇センターF」のウェブサイトが、上記の挨拶のみを掲示して閉鎖された。「活動中」とされていた横浜を中心とした地域での取り組みの記事も、残りのメンバー五人のTwitterのリンクも消えている。拠点とされていた「Kogane-X Lab」のHPは今も活動中だが、こちらは会場を借りていただけの関係で、演劇センターFとのリンクもない。一般客が連絡を取るためのQ&Aコーナーやメールアドレスもないのである。

 閉鎖の挨拶文の文字面だけを読むと、一応は謝罪しているように見えはするが、内容は胡散臭いことこの上ない。この程度の謝罪文なら、事態が発覚した直後、三週間前に掲示していてもよかったはずで、その間、市原はいったい何をしていたのかという、先の日記でも書いた疑問が、どうしても頭を擡げてきてしまう。
 横浜市は、事態が発覚した直後に、市原との契約を解除したくらい、対応は素早かった。市に比べて、「演劇センターF」のメンバーはたった五人である。協議をし、結論を出すのに時間を要するとは思えない。たとえすぐに結論は出せなかったとしても、「現在協議中です」程度のアナウンスはできておかしくなかったはずである。むしろしない方がおかしい。

 「現在の状況を開示し対応していく」とも言っているが、市原が今どこで何をしているやら、世間的には「消息不明」「音信不通」の状態であって、これ、実質「一旦、夜逃げ」しているのではないかとすら疑いたくなってしまう。はれのひか。
 他の演劇センターFのメンバーとの連絡は取れているようであるから、それはなさそうだが、市原をそれだけ信用できないのは、彼がしでかした一連のセクハラ・パワハラの被害度の大きさを、本人も、そしてその周辺にいた人物たちも、さほど認識、理解、自覚していないとしか感じられないからである。ともかく、事態を何とか穏便に済ませたい、出来ればほとぼりがさめたら演劇に復帰したい、そうした姑息で卑劣な思惑が垣間見えるのだ。

 「活動休止」という四文字に、ふざけるなと憤った被害者、その関係者は少なくないのではないか。「引退」じゃないの? 「一休み」するだけで、まだ演劇界に関わっていくつもりなのか? そう勘繰られても仕方がない表現だ。
 13年前、「指導」と称して準強制わいせつ罪に問われ、逮捕された演出家の三村創(本名・岩窪多摩緒)は、引退宣言こそ出してはいないが、その後、娑婆に戻って活動を再開した様子はない。告訴自体はされていないものの、市原の行為は三村以上に卑劣なものであって、普通、同じ業界にいられると考える方が異常なのだ。
 https://blogs.yahoo.co.jp/tenjou7/33281869.html

 さらに、先般のお詫び文にあった、「重ねて、誠に恥ずかしいことながら、まだ告発に及んでおらぬ方々の中にも、私から精神的苦痛を被った方がおられる可能性を、私は否定できません。現在私は自分で心当たりを確認し、自分の能力のおける限りもれなくお詫びできますよう、連絡先を設けるなどの方法を探してゆくつもりです。」とあった連絡の方法、これが未だに開示されていない。本当に連絡を取る気があるのかどうか、疑わしい状況が続いているのである。
 市原自身は私の日記を読んでいないかもしれないが、私が彼の被害者の関係者であることは、少なくとも演劇センターFのメンバーの一人、野村政之は知っている。マイミクののんさんが、メールで野村当人に教えている。

 となれば、「もれなくお詫び」する意志が彼らにあるのであれば、まずは私に連絡を取って、事実確認をしようとするだろう。野村が当事者でないというのであれば、彼が市原に教えて、私の言う「被害者」が誰であるかを知りたいと思うはずだ。公に被害者の名前を出さないという条件で合意が取れれば、私も被害者当人と相談する準備はしていた。
 なのに、現在に至るまで、市原側は何の動きも見せてはいない。それどころか、私の日記を読んだ野村は、謝罪するどころか、逆にこちらを非難してかかってきた。しかもその内容はほとんど言い掛かりである。

けんちん・F氏の作り話
https://note.mu/nomuramss/n/n37d71df645c1

> 「野村氏は、市原に電話で「死ぬな」と言ったとか書いているが、はっきり言って芝居がかっていてかえって白ける。電話でどのような会話をしたのかを「公的な報告」として記すのなら、本来は今後の対応をどうしていくかについて書くべきで、こんなプライベートな心情吐露を垂れ流してはいけない。まるで、泣きを誘って、市原の方が被害者的な立場に見えるように、話を粉飾しているようにすら見える。
> 野村氏もここですっかり忘れてしまっているよ、被害者は女の子たちなんだって! 「死にたい」と思った女の子たちが、今も「沈黙」するしかない被害者たちが、いったいどれだけいるのか、それを認識していたら、たとえ本当にそのような会話をしたのだとしても、申し訳なくて公表なんかできないって。
> 野村氏もまた、人間として最低な部類に属するのである。」
> 唖然とする内容です。「電話」「電話」「会話」・・
> 私は、告発があって以降一度も、電話で、あるいは対面で、市原氏と声を交わしたことはありません。
> 私のブログでの記述はこうです。
> 「19日に謝罪文が公開され、翌日、市原くんから、被害者の方への謝罪と、私に対して詫びるメッセージが届きました。どう返したらいいか正直わかりませんでしたが、とにかく被害者の方のことを思うと、私自身、許せるものではない。一方でSNS上は罵声の大騒ぎになっている。「友人として、これからの誠意ある行動を期待する」という言い方で「死ぬな」という念を送るしかありませんでした。」
> どこにも、電話で話した、とは書いていない。
> この時点で「死ぬな」という言葉さえ伝えていません。
> しかるべき捜査機関に調べてもらっても同じ結論になります。
> 完全に、けんちん・F氏の作り話です。
> ・・「話を粉飾」してるのはどっちだよ!

 確かに、「電話で」とは書いていない。「死ぬな」も「念を送」っただけで、そういう言葉を伝えているわけではない。
 けれども私は、野村のブログのリンクを貼った上で、上記の記述を書いているのである。粉飾する意志があるのなら、そんなことはするはずがない。常識的に考えれば、野村が「メッセージが届きました」と書いているのを「電話で会話したのだろう」と捉えたのだと分かるはずである。おそらく実際はメールか何かだったのだろうと推測するが、はっきり言って、そんな連絡の手段なんか、どうでもいいのね。
 そして、「死ぬな」という直接の言葉を伝えていないという点も、私が問題としているのは、そういう心情を市原に対して持っていることをわざわざ文章化していることが、被害者の心情を全く理解していないではないかということなのであって、これまた「作り話」という批判は全く当たらない。
 肝心の、私がなぜ野村を「最低」と呼んだのか、その理由についての反論は、一切できてはいないのである。
 重ねて言う。被害者の心情を本気で慮っているのなら、市原に「死ぬな」という念を送ったなんて記述は書けないんじゃないですか? 

 野村がやっていることは、言葉尻を捉えた論点ずらしにすぎない。もちろん、極めて繊細な問題であるから「正確な引用」を心がけるべきだ、というご意見であれば、耳を傾けるが、前述した通り、元日記のリンクは貼っているのだから、不正確で誹謗中傷だとまで言われるものではないことは誰の目にも明らかだ。
 むしろ、私を詐話師のように仕立て上げようとする野村の行為の方が卑劣極まりないものであって、ああ、やっぱりこいつも市原と同じ穴の貉だったのだなと感じざるを得ない。

 普通、こんなめちゃくちゃな言い掛かり、屁理屈に納得する人間はいないわけで、野村もバカでないのなら、自分の文章を読み返してみれば、自分の粉飾、ウソに気付いてもおかしくないはずである。やはり、「死ぬな」という、自分に酔ったナルシシズムを指摘された羞恥と憤慨、これで理性を失い、常軌を逸した言動に走ってしまったのだろう。
 しかし、これも重ねて言う。それは、被害者の心情を一切、考慮しない発言だ。それを本人が自覚できない以上、野村政之が最低の人間であるという「事実」を指摘することを撤回することは絶対にない。

 でも、もし野村がただのバカではなくて、私への批判が言い掛かりに過ぎないということも理解した上で、故意にやっているとしたらどうだろうか。
 「こんな屁理屈に納得する人間はいない」と書いたが、実際には、野村の発言を支持するメッセージなども散見する。気でも狂っているのかと疑いたくなるが、それらは明らかに野村へのお追従である。そこで気が付くのが「馬鹿」の故事だ。
 秦の二代皇帝の時代、宦官の趙高が皇帝の前に「鹿」を引いてきて、「これは馬です」と言ったところ、臣下たちの多くが、その発言に同意したというものである。「鹿じゃん?」と言った者は、全て殺されてしまっている。趙高は、わざとデタラメを述べることで、それに追随する者と、そうでない者とを見分けて、敵味方を判別したのだ。
 野村のあからさまな難癖も、それを難癖と知ってなお、追従する者としない者とを判別しようとする行為ではなかったか。

 市原の件では、野村もまた、事情を知りつつ、看過したのではないかと疑われている。
 本人がいくら「知らなかった」と言い張ろうが、「演劇センターF」としての対応が遅れたなどの不手際(この事実はさすがに野村も認めている)があった以上、その発言を簡単に信じるわけにはいかない。市原の行状は、時間的にも空間的にも広範囲に渡っている。表に出てきていないだけで、「直接の加害者」は市原以外にも複数いるのだ(被害者が望まないから告発できねえけどさ、くそっ)。
 それらも含めれば、本当に? 知らなかったの? という疑問をどうしても拭うことができない。そして、先述した通り、「被害者の関係者」である私に、何一つ問い合わせがなかったことも、この疑いを弥増す結果になっている。

 野村は、私に対してではなく、のんさんに対して何度も「懐柔」を試みている。
 ところがのんさんはそれに一切乗らない。鹿を馬とは呼べない旨を、何度も繰り返している。

市原幹也氏のセクハラについて:“演劇センターF”の不誠実な対応
https://blogs.yahoo.co.jp/naginon/65953618.html
市原幹也氏のセクハラについて:“演劇センターF”の不誠実な対応(続)
https://blogs.yahoo.co.jp/naginon

 これらの批判に対して、野村が取った対応は、批判の一つ一つに答えるものではなかった。

> 「フェイクニュースを平気でリツイート、自身のブログで広めておいて、「私の勝手だ」と開き直る。そんな方の記述を、多くの方が信用するとは思えません。
> 少し落ち着いて、冷静にご自分を省みて、間違いを改めていただければ、私の方はwelcomeです。薙野氏のほうからやりとりを拒むということですが、私はいくらでも待ちます。
> 構えを改めてから、市原氏のこの問題への対処、および演劇界におけるセクハラ・パワハラの再発防止について意見していただきたいと思います。

 「けんちんの批判は作り話とは言えない」という批判に対して、具体的に反論するどころかそれを無視して、「作り話」であることを既定の事実としてしまっている。そしてそれを受け入れないのなら…という、二者択一を要求しているのだ。この点で、野村がマトモな議論をする意志がないことが分かる。反論したくてもできないのだろう。のんさんへの劣等感から来る逆恨みなのか、既に自分が議論の応酬では「負け」であることを認識してしまったから、それで卑劣な手段を取ることを考えたのだろう。これはかなり狡猾である。野村を趙高に例えている根拠もここにある。「いくらでも待ちます」って、「このままならずっと『敵』だよ」と恫喝しているも同然じゃないか。
 本題は、私と野村とのどっちかを選択するって問題じゃないでしょうが。私だってのんさんだって、「被害者のことを考えた対応を取れよ」と言ってるんであって、そこから話をズラしてるんじゃないよ。事件発覚以来、お前たちの具体的な対応が何も表に現れていないことを問題にしているんだ。
 知りたかったら、なぜ直接自分に問い合わせないのか、ということも野村は主張しているが、これまた指摘されている問題が何なのかが見えていない発言だ。横浜市は早急に市原を切るという対応を取ったのに、「演劇センターF」にそうした対応が取れていない現状を批判しているのであって、あんたらの、裏ではいろいろ対応していたんだなんて、後付けの言い訳が聞きたいわけじゃないの! 「風化させてない」とか、それはあんたらの動きであって、世間じゃもう市原の件とか、続報が全然なくて分かんなくなってる状況だったんだよ! 「風化」という言葉の意味も分からないのか、これまた意図的に論点をズラしているのか、そのどっちかなのだろう。

 そして、被害者に対して誠実な対応も取ってないことは、こちらへの問い合わせが全くなかったことでバレてるの! 
 今回の市原のサイト閉鎖の告知文でも、今後どうした対応を取っていくのか、詳細が見えない。具体性のカケラもないあの文章を読んで、誰が本気で反省していると受け取るだろうか。なのに、野村は、自分がウソをつかれたあ、という被害妄想を連呼するばかりである。
 自分が、自分が、自分が、だ。だから被害者はお前じゃないのに被害妄想を撒き散らしてるんじゃないよ!

 そして、SNSで批判が拡大することを批判者のせいにする当たり、自分たちも「加害者の関係者」だという自覚がない、表現を易しくしたとしても、自覚に欠けると言わざるを得ない。
 これは「脛に傷を持っている」連中に共通して見られる特徴で、同じく福岡でかつて女性演劇制作者へのパワハラ発言を繰り返したFPAPの高崎大志も、今回のセクハラ告発に関して、「人民裁判に加担したくない」と逃げを打った。演劇センターFの「仲間」の藤原ちからは「魔女狩り」とまで表現していたが、どちらも例えがおかしい。わざと誇張した表現で、さも批判者が加害者であるかのように粉飾しようとする意図がある。
 本来、普通の裁判にかけることができない状況にあるから、SNSなどで批判されているのである。だから、通常の裁判無視で被告を裁く人民裁判ではないし、普通の人間を魔女に仕立てた魔女裁判とも全く違う。市原のセクハラ、パワハラは事実じゃないか。

 結局、彼らは被害者のことなどは二の次で、自分に被害が及ぶことを回避したいだけなのだ。今後も演劇活動を続けたいから自己保身に走っているだけだと疑われても仕方がない。
 はっきり言う。お前らが演劇を冒涜してるんだよ。
 演劇を続けたかったけれど、市原たちのせいで辞めざるを得なかった被害者がいるのに、何をノウノウと演劇人でございなんて顔がしてられてるんだよ。

 野村は、「恣意的に曲解して、作り話を重ねて、一体何をしたいのか。”被害者の味方”ぶっていれば何を言っても良いと?」とも書いているが、繰り返しているように、私は「市原の被害者の関係者」だ。本人のプライバシーに関することだから、どういう関係かまでは公には書けないが、彼女に心からの親愛の情をもって接している人間であることは断言しておく。
 距離的に遠方にいたために、市原の加害行為について、長らく知り得ず、今回の件に絡んで被害者本人から説明を受けて、例えではなく、本当に嗚咽し、悔し泣きをした身だ(事情を説明するためにこう書いているけれど、これは野村のようなナルシシズムじゃないよ)。
 それはちゃんと明記した上で、一連の日記を書いているのだから、「読み飛ばしていた」なんて言い訳は許さんぞ。

 「被害者の味方ぶる」? ふざけるな、それが被害者の心情を鑑みた発言だと言えるか! 恣意的に曲解しているのはお前の方じゃないか!

 後付けの言い訳と、表面的で内実を伴わない謝罪モドキに終始し、なおかつこの業界に居座っていようとする市原たちが、反省することなどはないのだろう。私がこうして告発を続けているのも、彼らに反省を促すためではない。今後被害者が出ないようにするための「警鐘」を鳴らすためだ。
 野村は、セクハラやパワハラを許さないシステム作りを目指すと言うが、これまた具体案を示しているわけでもない空疎な発言で、信用はできない。
 何より、これだけ信用されない立場に自分たちが置かれているという自覚が持てない連中なのだ。本気で改革に乗り出すとは到底思えない。

 そして、野村が「馬鹿」な行為を取ってくれたおかげで、小劇場界に、彼らに同調するクズどもがわんさといることも判明した。おそらくはこれからもシロアリのように演劇界に巣食い、蝕み、増え続けることだろう。
 前回の日記では「一万人の市原幹也」と題したが、これはもちろん比喩で(これまた野村へのおべんちゃらで「一万人もおるかい」と文字通りに捉えたバカもいた)、どれくらいいるものかは見当もつかない。
 けれども、まともな演劇人も決して少なくはないと信じたい。こういう事件が起きてしまうと、どの劇団も色眼鏡で見てしまいたくなるが(そのあたりは角界の暴力体質と同じ)、まともな劇団もあったればこそ、演劇という文化が、この国で、まだまだ廃れずに存在している何よりの証拠であろうと思うのである。

 私が意図することは、これからさらに被害者が拡大することを阻止したい、それだけだ。
 もしもこれから先、演劇に志したい、あるいは、今まさに演劇に関わっていて、市原の被害者と同様な苦しみを抱えている人、またあるいは、その周辺にいながら、どういう対応を取ればいいのか悩んでいる人がいたとしたら、本当に信頼できる人を「自分の眼で見て」探しなさい、そのための判断材料はちゃんとあるよと示していきたい。
 「誰の発言を信用するか」ではなく、その「材料」を見極めなさい、ということである。判断はもちろん「みなさん」に任されている。

 市原たちが、これから「私」に対して、どんな対応を取って来るかについても、腰を据えてかからなければならないと思っている。こちらに野村への謝罪の意思がないことは示した。
 市原や野村が反省なんてしないことも分かっている。改めて、被害者の氏名や加害状況を問い合わせてくることもないだろう。来ても、もう教える気はさらさらないが。
 となると、卑劣漢の常套手段として、逆にこちらを名誉棄損で訴えてくる、という可能性が考えられる。自分が加害者、あるいはその関係者であることも棚に上げて(というか、その事実を糊塗するために)、ウソをつかれた、憶測でモノを言われたとの主張を繰り返してくるだろう。
 しかし、ウソなどついてはいないことは説明してきた通りだ。「憶測」でモノを言わざるを得なかったのも、いつまで経っても彼らが市原に対する処分などの正式発表をしなかったからであって、まずは市原たち「演劇センターF」のメンバー全員に責任があることである。
 事件を起こせば、説明責任を問われることは当たり前のことなんだよ? しかも市原が「演劇界に居座ろうとしている」という憶測は、彼が先行きをきちんと説明していない点で客観的な根拠があることで、外れているとは思えない。野村が責任を感じていないと判断しているのも同様であるし、そしてそれが即、名誉棄損に該当するとも言えない。野村への「最低の人間」という評価も、これだけの条件が揃えば、的外れとも言いすぎとも言えないと、確信をもって言い切れる。
 訴えられれば、それらのことを堂々と主張するつもりだ。かかってこい、戦う心構えはできているぞ。

 それならばいっそのこと、こちらから訴えたらどうかというご意見もきっとあることだろう。しかし、やはり加害行為が密室の中の出来事であり、時間も経っていて立証が難しいために、伊藤詩織さんの件同様、不起訴になる公算が高いのだ。悔しいが、対応が遅すぎた。今となっては、被害者本人も公表されることを望んではいない。本当に残念だが、私らの場合も、泣き寝入りをせざるを得ないケースなのだ。
 だからなおのこと、未だに欺瞞的な態度を取り続ける市原やその取り巻きたち、野村政之をはじめとする元演劇センターFのメンバーたち、おそらくは市原たちの行状を知りつつ、事態を看過ししていたクズども(そのことを反省している人は除く)が許せない。
 彼らの発言に、今後も注目していきたいと思う。告発はこれで終わりではない。

 まあ、彼らのブログやらTwitterやらを、ずっと監視しているわけじゃないんだけれども(そこまでヒマではないので)、野村のウソ記事の件も、何人かの方から親切に教えて頂けたので、また彼らが変な行動に出たら、どなたかが教えてくれるでしょう。その前に内容証明が届くかな(苦笑)。
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