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2016年06月03日08:04

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『ダーリンは70歳 高須帝国の逆襲』について。これは「絶版」などではない。「存在の否定」であり、明かな「ファシズム」である。

■西原理恵子さんと高須克弥さんの共著、小学館が回収決定
(朝日新聞デジタル - 06月01日 14:19)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?medふia_id=168&from=diary&id=4021412

■絶版になった高須院長の本が感動的と話題「もったいなさすぎる」
(しらべぇ - 05月31日 17:11)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=202&from=diary&id=4019824

 妻がパパっと買ってくれてたおかげで、本は手元にある。
 ニュース記事によれば、小学館は今回の絶版、回収について、「編集上の不備があった」と説明しているということであるが、小学館のホームページを閲覧してみても、そのようなコメントは一切ない。当該の『ダーリンは70歳 高須帝国の逆襲』はサイト内を検索してもヒットしない。絶版になっても、その旨、記載されるのが通常であるが、この書籍については存在そのものが抹消されているのである。この点だけでも、小学館の対応は異常としか言いようがない。

 「存在抹消」の理由が「編集上の不備」等ではないことは、高須院長のブログの発言からも明らかである。こちらの記事も何らかの理由で「抹消」されないとも限らないから、全文を引用しておく。

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http://ameblo.jp/drtakasu/entry-12165685353.html

2016-05-30 19:47:15
「高須帝国の逆襲」をいま絶版にした
テーマ:ブログ

西尾の高須病院で会議中の僕の所へ
午後3時半ころ
小学館の西原理恵子専属の編集者、八巻さんから緊急電話

「院長、えらいことになりました。西原理恵子さんとの共著『高須帝国の逆襲』に不適切な表現があり、小学館で問題になっています。ご報告に行きます」

名古屋の高須グループ本部で報告を受けること決定
即刻、名鉄西尾線で名古屋の高須グループ本部にに移動

6時、小学館の偉い人と八巻さんがやってきた。

小学館の偉い人「『高須帝国の逆襲』に記載された表現に不適切な部分があり、回収することに決定しました。書き直しをお願いいたします」

「高須帝国の逆襲」は僕の自信作なんだよむかっ(怒り)ちっ(怒った顔)むかっ(怒り)

書き直しは断固拒否するexclamation 

出版の自由は日本国憲法で保証された日本国民の権利なんだ
書いたのは僕だ
吐いた唾を飲むことはしない

絶版にしてもらうことに決定

小学館はすぐに市場からの回収に入る

blogを見た諸君に告げる
「高須帝国の逆襲」はまもなく市場から消滅する
回収される前に書店で買いなさい

海洋堂フィギュアの応募券は有効です

Amazonで予約した皆さん
Amazonからはもう送ってきません
ごめんなさい

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 回収の理由は「表現に不適切な部分があり」であって、これを「編集上の不備」と言い換えるのは、明らかな虚偽報告である。たとえ、本当に「表現に不適切」な部分があったとしても、それをそうではないように誤魔化す理由は存在しない。しかもその「不備」について、何がどう不備なのか、詳細は言えないというのだから、いったん出版したものをなぜ回収しなければならなかったのか、小学館は説明責任も放棄している。自主規制なら自主規制で、その「自主」という責任の所在が明らかにならなければ、客観的な根拠となり得ないことは誰の目にもはっきりしていることだ。つまりこれは小学館による「表現の弾圧」に過ぎず、自主規制ですらないのである。
 なのに小学館は、絶版の理由を「作者の意向を尊重して」と、いかにも自分たちに責任はないように見せかけようとしているのだ。この卑劣さは何なのだ。「書き直しをさせられるくらいなら絶版」と高須院長が激怒されたのも当然だろう。我々読者だって、作者が了承しないまま、勝手に改竄されたものを読まされたとしたら、いい気持がするわけがない。
 こんな原著者はおろか、読者をもないがしろにし、舐めた対応を取った小学館に理があるわけがない。高須、西原両氏は、損害賠償で小学館を提訴し、刑事責任を追及しても構わないと思う。

 この対応だけで、小学館の非は明らかなので、『高須帝国の逆襲』の内容を問う必要はないのだが(小学館は公的には何が問題なのかを指摘していないし、漏れ聞く話でも「編集」の不備であって、内容自体には何も文句は付けていないのだから問題にしようもない)、あえて本文批評をしてみよう。
 とは言え、本文のどこに「表現に不適切」な部分があったのかは「憶測」でしかない。しかし、実際に本書を読んだネットユーザーの多くが指摘している「その部分」を含む一章を、まるまる引用してみる。ご一読いただければお分かりになると思うが、一部の引用だけでは、これが本当に「不適切」なのかどうか、判断は付かないと考えられるからである。
 本当は本書を全て引用したいくらいだが、そこまでキーボードを叩くほどの体力はないのでご容赦(苦笑)。

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◆あらゆるものが正反対

 僕とサイバラは、育った環境から思想からあらゆるものが正反対。
 異種格闘技みたいなもので、対極なんですよ、すべてが。
 「まー、見たことない面白い昆虫がいる。ツンツン」
 彼女にとって僕は、たぶんそんな感じ。
 あるいは違う星から来たエイリアンみたいな。
 よく「価値観が同じ人間が理想」と言うけれど、僕らは何から何までまるで違う。
 サイバラは、最初っから「わしはどん底から這い上がってきた」というところがある。
 高知県の浦戸という小さな漁師町で生まれて、貧しさの中ですさんだ暮らしをしている人たちをいっぱい見て育った。狼に育てられた人間の少女みたいなのはたぶんそのせいだ。
 いっぽう、高須家は三河の一色町にある旧家で、江戸時代から続く医者の家系。
 徳川家康が命からがらで伊賀越えをした際に、手助けをして直々に佩刀(はいとう)を許されたという由緒正しき家柄である。昔はいい暮らしをしていたけれど、日本が戦争で負けて、農地解放で土地も全部奪われてからは、あれよあれよと零落して、すっごい貧乏になった。そういう一番ひどい状態の時に、僕は生まれている。
 パステルナークの『ドクトル・ジバコ』(原文ママ。正しくは『ドクトル・ジバゴ』)をご存じだろうか。白系ロシア人で医者の主人公が、革命によって落ちぶれて行くあの小説を読むと「僕と似てるな」と思わずにいられない。確か、彼は、最後に愛する女性を追いかけていくのではなかったか。
 そもそも高須家の人間って、白系ロシア人みたいなところがある。貧乏してても、自分たちは貴族だったという誇りみたいなものを持っている。祖母も、母も医者だった。僕は、女系家族の高須家に百年ぶりに生まれた長男だったから、それはそれは大切に育てられたんです。
 ばあちゃんの口癖は「お前は、そこらへんの漁師や百姓とは違う」。
 幼い僕に、昔の栄耀栄華をよく語った。
 こう言ってはなんだけれど、サイバラには栄耀栄華はないからね。
 さしずめ、僕とサイバラは、白系ロシア人と農奴みたいなものか。

 昔は「士・農・工・商・穢多(えた):非人(ひにん)」という身分制度があって「お前のひいおじいさんは、とても情け深い人で、”穢多も同じ人間じゃ。差別してはいかん”と言うて、穢多の子供たちに餅を投げてやった。子供たちがそれを拾って食べると、”穢多の子は可愛いのう”と目を細めていた。」と、ばあちゃんは言う。この話をすると、サイバラは「なんてひどいことをするんだ。ものすごい差別じゃん!」って怒るんだけど。
 僕が「学校で権十にいじめられた」って泣きついた時も、ばあちゃんは言った。
 「権十のジジイはうちの小作で、年貢を納める時は裸足で来たんじゃ。草履を履いて、ここまで入って来られるような身分じゃない」
 なるほど、ばあちゃんの教えを鵜呑みにした僕が、そっくりそのまま言ったらいかんことを言うから、来る日も来る日もポッコボコにされた。
 愚民どもめ、今に覚えていろ。
 何を言ってもよくて、何を言ったらいけないのか。僕には人の心の機微がよくわからない。おかしな話だが、殴られて初めて「これは言ったらダメなんだ」と知った。いつまでも殴られるのは嫌だから、僕は、痛みを元手にして自分なりのトリセツをつくっていった。
 それでも頑として「あんな愚民どもとつきあったらいかん。バカがうつる」っていうのが、ばあちゃんの考えだった。パステルナークじゃないけど、誇り高いばあちゃんは、由緒ある高須家を没落させた革命を憎んでいたんだろうな。
 「バカとつきあってると、バカにひっぱられる。いいか。自分が正しいと思ったことをやれる人間になれ」
 遊びたくても愚民の子どもたちとはしゃべらせてくれないから、僕はNHKラジオを聴いてるしかない。そうすると自動的に標準語がペラペラになって、ますます言葉が通じなくなった。
 「君たち愚民どもの言うことはよくわからない」
 そういうことを言うから、また殴られる。その繰り返し。その時の傷が、今も体のあちこちに残っている。僕のつくったトリセツは、僕の体に刻まれている。

 ばあちゃんにとって一番憎むべき敵は「貧民の味方をするアカ」だった。特に女のアカなんて最悪で、サイバラって、まさにそれでしょ。じゃあ、子どもの頃のサイバラが一番嫌いだったのは誰かって言ったら「小太りで色白のピアノがある医者の家のガキ」。まさに僕ですよ、それ。
 根本的なイデオロギーが違うのに、生物学的に仲良くしているという不思議。
 万一、戦争が起こったら、サイバラは子どもたちを連れて、家族で戦争のない国に亡命すると公言している。僕にしたら、そんなヤツは真っ先に血祭りにあげなければならない「国賊」である。有事の際には、僕は「サイバラを守って戦ってやろう」と思っているのに「バッカじゃないの!」と彼女は笑う。
 正反対だから反発しあってばかりかと言えば、そんなことは決してない。むしろ磁石のS極とN極のように、正反対だからこそ惹かれあうということもあるのではないか。

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 小学館上層部が血相を変えたのは、被差別部落の人たちに関する賎称語が含まれている部分だろう(引用しなかった後段では、戦後の売春婦たちに対する「パンパン」という呼称も使われていて、これも彼らの琴線に引っかかった可能性もある)。
 しかし、文脈から判断して、高須院長に、被差別階級の人たちに対する「現在の視点における」差別の意図があったと判断するのは微妙である。高須院長は、「かつては」そうした差別意識があったことは認めているが、そのことに対する「謝罪」はしていないので、今でも被差別階級とされている人たちに対して、差別意識を持ち続けている可能性はある。
 しかし、院長の「おばあさん」が語る「ひいおじいさん」の話を、西原さんが「ものすごい差別じゃん!」と怒っていたと引用することで、自身のことを相対化することを高須院長は行なっている。自身を正当化するつもりなら、ここで西原さんに対して蔑みの一言があってもおかしくはないが、そこまでの自己主張することを高須院長はあえて避けている。
 それに、これはあくまで「過去の事実」の記述である。被差別階級の人たちも含めた、戦前の小作人たちを侮蔑していた「おばあさん」の影響を受けて、自身も彼らに対して差別的な態度を取っていたことは、否定のしようがない院長の原体験なのだ。実際に戦前は多くの日本人が被差別部落の人たちに対して同様の態度を取っていたのであって、その事実を語らせないというのであれば、それは日本人の恥部を「隠蔽」しようという行為にしかならない。
 しかも章全体は、高須院長と西原さんとの「育ち」の違い、その違いによって生じた思考や思想信条の差、しかしそれでも二人が愛し合えるという意図で書かれた文章であって、それを語るためには、自身が差別的な少年であったという「過去の事実」について触れない訳にはいかないのだ。
 小学館がそうした文脈まで判断した上で、「回収」を申し出たとは思えない。端的にこれは「言葉狩り」の結果であり、「寝た子を起こすな」ということなかれ主義であり、小学館が「逆差別」を行ったのだろうと想像せざるを得ないのである。

 昔から私も言ってることだけどね、被差別階級の人たちに対しての賎称語を使っちゃいけないってヒステリックに叫んでる人たちがいるけどね、それは「差別の歴史」を語ることすら封じてしまうことになるんだからね。それは「過去を隠蔽してなかったことにする」のと同様の行為なんだよ。
 「傷つく人がいるから」ってリクツで、「傷ついた人がいた過去を消す」ことをしてしまう矛盾、そのことについてもうちょっと頭を使って考えた方がいいよ。

 繰り返すが、今回の絶版について、小学館は何の公的な説明もしていない。
 つまり、『高須帝国の逆襲』は、いつのまにか勝手に回収されてしまったのである。
 小学館も西原さんと縁を切りたくはないだろうが、ことこの『高須帝国の逆襲』については、他の出版社に原稿を持ち込んで、再出版してほしいと思う。
 「勝手に絶版にした」小学館に、それにとやかく文句を付ける権利はあるまい。 
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