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2017年12月16日11:18

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見上げられた例・旧友たちへのメールから

(身障の俳人)花田春兆氏は複数の著書に「体が動かないのに、俳句作って偉い」と「神様みたいに扱われる事が多い」と書いてあります。それゆえ、周囲の人たちと「深い溝」ができたと。ご縁が遠かった理由も明らかにそれですね。
  その他、星野富弘氏や乙武氏の世間の視線からもそのようなものが見られると僕は見ています。
  でも、以上の三例とは違い、ハンセン氏病絡みだった事に僕のその教派での出来事の特殊性があると。その教派の何年も前にも、僕は「S園行って偉い」と多くの新人ボランティアから思われ、その付き合いがそれでできなくなった事もあった。その繰り返しがその教派であったと言おうか。新人ボランティアですが、福祉の事は何も知らないわけだから、いきなりS園行っても、「善業をする」くらいにしか思えず、そこに行っていた僕を見て、神様のように偉いと思い、見上げるしかできなかった。そんな事もありました。当時の僕は判らないなりにも、新人ボランティアたちに深い壁を感じていたわけです。ものすごく寂しかったと。恐らくは、新人ボランティアたちもそうでしょう。自分が善業を積むためにそのような所に行くのならば、単に自分の為であり、他人や社会とのつながりなんて見えないわけだから。結果的に何もできないわけです。そのような人たちは卒業前に福祉関係から止めて、後は保守的な発想になっています。社会への問題意識などなく。実際、複数のS園ボランティアから80年代に「社会、社会と言われても、社会とは何か、判らない。自分中心の生き方しか私はできない。福祉関係は遠い世界だ」という年賀状やお手紙を頂いています。判る気もします。新人にとってはS園は難しかった。僕と遊ぶだけで新人育成になったわけですが。S園関係に何か僕は悔いを残しましたが、S園の事ではなく、新人ボランティアの問題でした。その方が大事ですね。新人は伸ばさないといけません。
  もう一言。天皇・皇族はその横綱。宮様の中で、アル中になった人もいましたが、それも判る気がします。国民から見上げられてばかりいたら、酒に救いを求めるようにもなりますよ。見上げる事も大罪だと思います。

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