西欧植民地政策と有色人奴隷
ヒロシマ。ナチのユダヤ人虐殺。
まぎれもなくそれは史上、二大虐殺行為である。
だが、日本人は「過ちは二度とくりかへしません」といった。
原爆に対する日本人の民族的憤激を正当に表現した文学は終戦の詔勅の「五内為ニ裂ク」という一節以外に私は知らない。
-私の中のヒロシマ-- 三島由紀夫
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戦争の真実【欧米の植民地主義】
https://www.youtube.com/watch?v=MOwj5i7jlu8
◆真珠湾攻撃以前から日米は戦争状態だった
米英は1940年にはタイやベトナムから米やゴムを大量に買って、日本に渡らないよういに嫌がらせを行い、5月には英領においては日本および円ブロック向け「ゴム」の全面的禁輸を行っている。
6月には米が手を回して日本とオランダ領インドネシアとの石油の交渉を決裂させた。
7月には米、英、オランダが足並みそろえて日本の資産凍結を行った。
8月には米が対日石油を全面禁輸。もうこれは宣戦布告と同義である。
「フライングタイガーズ」は、日米開戦半年前の一九四一年春、米国防総省の承認のもとに空軍基地から集められた戦闘機パイロット二百五十九人による正規の“エリート空軍部隊”だった。
大戦中の支那義勇軍「フライングタイガーズ」 正規の空軍部隊だった。 米紙が報道1991/07/08, 読売新聞
この爆撃計画そのものは一九七〇年に公開された公文書の中にある。
1941年7月23日、ルーズベルト大統領など米国首脳がフライング・タイガーによる日本本土爆撃計画に署名
7月25日、在米日本資産を凍結
8月1日、米国が対日石油輸出を全面禁止
11月26日、ハルノート提示
12月7日、真珠湾攻撃
真珠湾攻撃(奇襲)よりも4ヶ月以上前にアメリカによって日米戦争は始まっていたのだ。
先の大戦では日本はアメリカからハルノ―トを突き付けられ、最後の最後まで開戦だけは回避しようと再三努力をした。
靖国神社の遊就館に数多くの記録が残っています。
ABCD包囲網により完全に干上がった状態の日本は苦渋の選択だったのです。
ご存知の通り、当時の世界は白人の植民地による支配下社会であり、日本が先頭を切って人種差別を世界に訴え掛けて来ました。
民間人も含め約300万人が大戦で亡くなわれましたが、もしハルノ―トを受け入れていたなら日本は白人に植民地化され、当時のアフリカ・東南アジアなどと同じように男は奴隷、頭の優秀な男は反撃を恐れ殺され、女は強姦後に殺され、子供は将来の復讐を恐れ殺されただろう。それは過去の歴史が物語っています。
そしてそれは、いつ解放されるか分からず、現在も続いていたのかもしれない。(アフリカは400年続いた)
そうなった場合は、300万人どころではなく、3.000万人が亡くなわれたのではないかと言う歴史学者も多くいます。(当時の世界は有色人種が白人により民族浄化されていた。)
当時の白人社会の世界情勢に有色人種の解放、特にアジア諸国の解放を望んで戦った。
現在の価値観で戦争を否定するのではなく、その当時の価値観で物事を判断しなければならない。
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ブラジルは人種的偏見の少ない国だが、それでも黒人の悲願は白人に生れ変ることであり、こういう宿命を抱いた人たちは当然仮装に熱中する。
仮装こそ「何かになりたい」という念願の仮の実現だからである。
-「黒いオルフェ」を見て- 三島由紀夫
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