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2018年03月24日01:38

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わが家の花物語 レンギョウ、ユキヤナギ、そして亡母のこと

 「はなぞむかしのかににほいける」などといい、人は変わるが花は変わらず咲き続けるなどといったりするが、私のように古びてくると、私は変わらないが花の方が変わることもある。

 今年は亡父譲りの紅梅が咲かなかった。樹そのものが枯れたか死んだかしたのかと思ったが、ちゃんと若葉は出てきた。どういうことなのだろう。結果は来年を待ちたい。

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 サクランボのなる樹が枯れてしまったので、泣く泣く伐ったのも去年だった。残した若枝がどうなるか固唾を呑んでみていたが、先般、まことに頼りなげだが、2〜30輪の花をつけた。この桜は毎年開花が早く、三月の第一週ぐらいに花をつけて今頃はもう散ってしまっている。
 しかし、残ったこの若枝が成長し続けたら、以前のようにたわわなサクランボが収穫できるようになる可能性があることがみえてきたので、期待は大きい。

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 いま、ほとんど同時に花をつけ、満開になったのがレンギョウとユキヤナギである。
 レンギョウは例年とあまり変わらないが、ユキヤナギは例年より多くの花をつけた。いつもはこれほど花をつけないので、これはこの土地が山土のがらがらのモノで埋め立てられているせいだと諦めていたが、今年はいままでになく多くの花をつけ、樹そのもののボリューム感が増したように思われる。
 これは、すぐ隣のクワの大木をやはり去年伐ったので、クワが摂取していた養分がユキヤナギの方に及んだのかもしれない。

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 冒頭に書いたように、「ひとはいざこころもしれずふるさとは」であるが、花もまた歳々に変化する。
 私はどこまでそれを見届けることができるだろうか。

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 ここまで書いて、亡母が、「ひさかたのひかりのどけきはるのひにしずこころなくはなのちるらむ」がお気に入りで、正月の歌留多とりでも、この札だけは他の者にとらせなかったのを思い出した。母の通名は静子であったが、戸籍上は「しず」だったからだ。
 ついでながら、昔は女性の名前はひらがなもしくはカタカナで二文字が多かったが、いまと違って、「子」をつけるのがモダンであるとみなされ、通名にはこれを付けて用いた例が多かった。たとえば、「つね」は「常子」に、「せつ」は「節子」に、「マツ」は「松子」にといった具合だ

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 それはともかく、高等小学校出の母が、どこまでこの歌を理解していたのかは分からないが、この歌意を理解していたひとにもまして、この歌を愛してやまなかったのは事実だ。
 だから正月の歌留多とりの折、その札をとることができたにもかかわらず、あえて手を伸ばさなかったのは、親不孝な息子のせめてのも償いであった。









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