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2018年09月24日02:18

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樹木希林さんと荘子

先に樹木希林さんが亡くなった時につぶやいたことをもうちょっと説明したい。

貼り付けた画像は、亡くなった後に朝日新聞の記者さんが書いた記事による。
https://withnews.jp/article/f0180831000qq000000000000000G00110101qq000017759A

樹木さんは「生きづらさを抱える人たちに向けてメッセージを頂けませんか」という依頼に答えて、このファックスを送った。

「こんな姿になったっておもしろいじゃない」と書く。一切の美化を省いた自画像を載せて。

『荘子』大宗師篇に次のようなエピソードがある。

かつて子祀・子輿・子犁・子来という四人の親友がいた。

子輿が病気になった。子祀が見舞いに行くと、子輿は言った。「大したものだよ、あの造物者(世界を作っているもの)は、おれをこのように曲がりくねらせようとしている。こぶで背は曲がり背骨が浮き出て、内臓は上に寄せられ、顎がへそに隠れ、肩が頭のてっぺんより高く、まげの先は天を指しているといった具合さ。」そして井戸に自分の姿を映してみて言った。「造物者は更におれをこんなにひん曲げようとしてる。」

子祀は聞いた。「あんたは嫌なのかい」。子輿「いや、嫌なものか。このまま次第に変わっていって、おれの左腕を鶏に変えるならば、おれは鶏となって夜明けを告げてやろう。だんだん変化が進み、おれの右腕を弾き玉に変えるならば、おれはフクロウでも撃って焼き鳥にしてくってやる。おれの尻を車輪とし、おれの心を馬にでもするならば、おれはそれに乗ろう。馬車がいらなくなってちょうどいい。この世に生まれたっていうのは、たまたまその時に当たっただけ、この世から去って行くのもめぐりあわせだ。時にまかせめぐりあわせに委ねれば、そこに哀しみも喜びも入る余地はないよ。これが昔のひとのいう「県解」(束縛からの解放)であって、自分で自分を解き放てないもんは、世の物ごとに絡め取られているからさ。だいたい人の世の物ごとが天に勝てるわけがない、だからおれが嫌がるわけがあるもんかよ。」

樹木さんがこれを知っていたかどうかはわからない。しかしまるでそれを体現するような生き方だったと思う。

この境地を言うのは簡単だが、そう生きるのは簡単ではない。

私事でいえば、先日手の甲にしこりができて、怖くなって整形外科に飛び込んだ。診察してもらったところ、ガングリオンという無害なものとのことで、一安心した。その間、心配で他のことに手がつかなかった。あるいは最近頭の方が薄くなってきている。こちらは恐怖ではないが、気にならないといえば嘘になる。

このように体に無害な変化であっても、気になって時にはものごとが手に着かなくなったり、心がふさがれたりする。ましてや樹木さんのように、目が見えなくなったり、がんになったり、杖をつかないと歩けなくなったりしたときに、「こんな姿になったって、おもしろいじゃない」と言えるだろうか。

それを勇気のなせるわざと称えるのは簡単だ。実際、尊敬すべき強さだと思う。
だが果たして勇気だけでなせる生き方であろうか。

それで僕はもしかしたら「役者」という仕事が、そういう境地に至るきっかけを与えたのではないかと推測した。

役者はそれぞれの舞台のたびに、違う「生」を生きる。そして舞台が終われば、その「生」は有無を言わさず潰える。次に別の役をやるときは全く新しい「生」が与えられる。その時これまでどんな役をやっていたかなどは関係ない、あるいは本来どういう人間かすら関係がない。
それを繰り返す中で、そもそも「本来どんな人間か」の「本来」とは何なのか。演じていない自分は本当の自分なのか、演じていない「生」は本当の「生」なのか。そう考えたとき、自意識の相対化が可能になるのではないかと思ったのだ。

難しげな言葉で書いてきたが安易な想像だ。それでも僕にとって重要だったのは、樹木さんがそうであったかではなく、荘子がそうであったかもしれない、ということだった。

樹木さんは、自殺願望へと容易に行き着く人たちへ注意深くそれを思いとどまるようにメッセージを書いている。それでも「死はいけないことだ」と断言はしない。そう、わからないことは断言できない。その上で、分からないことは先人の言うことに従おうとする。これは孔子や親鸞と同じ態度である。そして実は『荘子』も近い距離にあると思った。
『荘子』は、生・死の相対化をする。しかし決してそれは死の推奨ではない。

『荘子』は生も死も、聖人も大悪人も、虫けらも人間も、全て無価値とする。全て無価値となった世界で、突然、無価値は絶対的な価値を持つ。生も死も、聖人も大悪人も、虫けらも人間も、全て絶対的な価値を持つことになる。それが『荘子』の世界だと僕は思う。

今の僕は弱くて、そんな世界に身を置くことは耐えられない。もしかすると樹木さんは、そんなユートピアの可能性に触れられた人だったのかもしれないと思った。すごいなあ。
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