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2016年08月27日06:34

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正しさと歪み

高畑淳子に「息子の性癖」質問、ネットで批判噴出
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=4161531


俺は逆に、マスコミによる暴力的な質問責め自体はむしろ正解だと感じた。

なぜって、「犯罪者の親が誠意を示す」ということを真面目に考えた場合、権利を保護された生ぬるい状況じゃなくて、蹂躙に等しいくらい、過酷に追い詰められた状況じゃないと示しようが無いと思うから。

「ひどい質問」を散々に浴びせられて、その一つ一つに切々と応えていく様をテレビで見てたけど、事件後高畑さんは「贖罪の手段」をずっと欲しているように感じられて、それは「許されて楽になりたい」的な安易な願望じゃなくて、心から切実に罪と向き合って、謝罪の方法を渇望している姿というか、であるならばこそ、生ぬるい、配慮の行き届いた「無難な質問」なんかじゃなく、言葉の暴力に類するものに晒される必要があったんじゃないかって。

徹底的な暴力に晒されて、それでも全く揺るがずただただ誠実であればこそ「贖罪の意思が本物である事」を初めて証明できるんだ。

その意味で、あの場であえてクソみたいな質問をぶつけまくるマスコミ達に対して「珍しくまともな仕事をするじゃないか」って気持ちになった。

ただ、ああいった会見に対してある種否定的な感情を抱いたのも事実。

あれは「加害者家族に贖罪の場を与える」という意味で、これ以上ないほど適切な形だったとは思う。

ただあれだけ名の通った人物が、あれだけ誠実に会見に応える姿を示したら、世間の反応は当然彼女に同情的になる。

ともすれば被害者女性への同情以上に、「加害者の家族」である高畑さんへの同情の方が目立つくらいだ。

少なくともネット上では「波に乗ってる俳優がレイプするなんて、いったいどれほどの美人なんだ!?」なんつって被害者の実名や顔を特定しようとする最低最悪に不謹慎な輩が溢れかえっていて、被害者に同情を示すような意見は決して多く見られない。

対してあの会見後、高畑さんに対する同情的な意見は非常に多く目にする。

冷静に考えてみるとブラックジョークが効きすぎた酷いコントラストだ。

そして高畑さんがどれほど誠実な女性であるのかはもうほとんど誰もが知る所だし、このタイミングでああいう会見を行えば、世間は圧倒的に高畑さん同情ムードになる事は、分かる人には解りきってた事だと思うんだ。

そこまで考えた上で、その上で被害者女性の事を第一に思うなら。

会見自体を拒否、もしくは一言だけ「すみませんでした」とだけ言って消える、それ以後一切の取材を拒絶、そのほうが被害者にとってはありがたい対応だったんじゃないかって。

だって被害者女性にとってすれば、自分をレイプした犯人の母親が四六時中テレビ画面に映って、謝罪会見の様子が延々リピート再生されてるんだ。

まるで「この物語の本当のヒロインは、高畑淳子である」とばかりに。

そしてそれを見た世間はどんどん「被害に遭った自分ではなく、犯人の親」のほうに同情していく。

被害者目線でみれば、それは異様な光景だと思う。

突然息子があんな事件を起こして、現状ですら憔悴しきってる高畑さんにとって本当に酷なことだとは思うけど、真に被害女性の事を考えて、本当の意味での贖罪を望むなら、彼女がするべきことは「世間に対し誠実な態度を示す事」ではなく、むしろ「世間の憎悪を一身に浴びるような不誠実な態度」をあえてするべきだったんじゃないかと思う。

そのほうが被害女性やそのご家族にとって、この現状よりは幾分気紛れになったろうと思う。


今回の事で一番ぞっとしたのも、それに関連する部分。

これまで起こった多くの事件で、「世間」は加害者の家族に対して過剰なほど批判的で冷酷な態度を示してきた。

秋葉原連続殺傷事件の加藤被告を覚えてる人は多いと思う。

彼の弟が2年くらい前に自殺したんだ。

加藤被告の弟も、「凶悪殺人犯の家族」として事件後世間から散々な扱いを受けて、マスコミに常に追い回されて、一家離散みたいになって、そんな中必死で人生を立てなおそうと頑張って、だけど最後は心折れて自殺した。

「結局、凶悪殺人犯の血縁である自分が生きてていい場所なんて、この世界にはなかったんだ」と言い残して。

この加藤被告の弟には、恋人がいた。

彼女は彼が「連続殺人犯の弟であること」を知った上で付き合ってた。

家族ぐるみの付き合いで、彼女の両親も「我々は、あなたが犯罪者の弟だからといって差別はしないわ。あなたはあなただし、あなたは本当に誠実で優しい子だもの。我々はあなたを信頼してるし、迎え入れる」ってさ。

最初は、そう接してた。

だけど彼女との恋愛が真剣なものになって、結婚を考える段になったら。

「やっぱり娘との結婚を許可してやることは出来ない。君の事は我々も大好きだし信頼してる。けど世間が「犯罪者の親族」をどれほど冷徹に扱うか、我々もずっと君のそばで見てきた。だからこそ解ってしまう。私達の大切な娘が、君と結婚すれば世間からどういう扱いを受けるようになるのか。君と結婚すれば私達の娘も「犯罪者の家族」になってしまうんだ。すまない、我々にはそれを許す覚悟がどうしても持てない。自分の娘が世間の晒し者になって過酷な道を歩む姿を、黙って見守る勇気がないんだ。こんな結論しかだせない惰弱な我々をどうか許して欲しい」

とても、辛い決断だったと思う。

だけど娘の幸せを切実に考える親として、そういう決断に至ってしまった心境というのは痛いほど理解できる。

だから加藤被告の弟も「結婚の却下」を受け入れるしかなかった。

そして、死んだ。

凶悪殺人犯の家族である自分が幸せになれる道などどこにも存在しなかったのだ、と書き残して。

彼を殺したのは「加藤被告」ではなく、彼を最後の場面で受け入れてあげられなかった恋人の両親でもなく、「世間」だ。

加藤被告の起こした犯罪がトリガーになりはしたけど、結局「兄の罪」の一部分を弟にもおっかぶせてしまう世間が彼の人生を再起不能になるまで徹底的に破壊して、殺した。

世間はずっと「犯罪者の家族」に居場所を与えなかった。

世間は彼の名前を特定しようとし、顔を特定しようとし、どこまでも追跡して取材を試み、有る事無い事でっちあげて書き晒し、あらゆる場所から「凶悪殺人犯の弟」である彼を排除しようとした。

「凶悪殺人犯の家族なんて全員揃って死ねばいい」

そんな論調さえあった。

それがどうだ。

今回の高畑さんへの同情っぷり。

世論が如何にインスタントかつステレオタイプな感性で物事に響いて揺れ動くのか。

あれほど苛烈に「加害者の家族」を責め立て、追い詰め、あげく殺したのに、テレビの前でちょっとお涙頂戴劇を演じてやれば簡単になびいて「加害者の家族」にこれほどの同情を寄せる。

被害者側の感情も平気で無視して、加害者家族への同情ばかりをこぞって口にする。

加藤被告の弟に同情を示した人間が一体どれだけいただろう。
きっと「世間」を構成するあなた達は言うんだ。
「そりゃ、事情を知ってたら自分だって幾らかは同情したよ。だけど、ね」

言い訳はいらないんだ。彼は死んだ。自殺した。「世間」は彼を徹底的に追い詰めて殺した。それが結果であり絶対に手放す事ができない「あなた方世間の答え」なんだ。

今回の件で「世間」がいかに虚ろで危うい存在であるかを再確認させられた。

ヒトラー統治下のドイツ、天皇万歳の頃の日本兵、その異常さの本質は「つまり今俺が目にしてるこの虚ろな大衆の姿」そのものなのだと。

歴史的な一場面と、なにも変わらないんだ。

この世間のどうしようもないほどの危うさは。

現代の日本にヒトラーが現れたら、この国は簡単にナチス化するだろう。
個人レベルでそれを否定することは出来ても「世間」はご覧のとおりとても簡単に堕ちるし、世間が堕ちれば戦争は簡単に起こせる。

戦争を生き延びた文豪がこんなことを言ってた。

「あなたがた庶民は「国に騙されてたんだ。戦争なんか本当はしたくなかった」という。だけどこの段に至って「騙されてたんだ」なんて平気で言える人たちは、また同じ状況になれば同じように騙されるだろう。更に言うなら、今この瞬間だって「別の何か」に騙されてるだけなんだ。あなた方は一生騙されながら生き続けていくんだ。なぜなら「騙される自分の虚ろさ」と永遠に向き合わず、それをいつだって他人のせいにして生きてるから」

虚ろな人たち。

戦争を起こした虚ろな人たち。
それに加担した虚ろな人たち。
皆が右を叩けば、自分で深く考える事すらせず一緒になって全力で右を叩く虚ろな人たち。
だけどひとたび右に同情する論調が湧き起これば、簡単に空気に飲み込まれて右に同情する虚ろな人たち。

そこには自分がない。
与えられる情報だけが全てで、自分の中に確固たる世界観がない。

そういう虚ろな人たちを責めたり叱ったりする気は毛頭ない。

手足を持たず生まれてくる人がいるように、
彼らは「自分」を持たずに生まれてきてしまっただけなんだ。

哀れみこそすれ、怒る理由なんて無い。

あるのはただただ、恐怖だ。

この国の虚ろさがこれほど巨大で御し難いという現実に恐怖するのみ。

そしてこれはただ端的な事実として。

「犯罪者の家族」を散々撲殺しまくってきた「世間」には、高畑さんに同情する資格は残念だけどないよ。

自覚は無いと思うけど、その感情はただ「与えられただけ」の虚構なんだ。
何も救わないし誰も癒やされないし、ただあなたが「可哀想な立場の人」に軽く同情したつもりになって自己愛を満たすためだけの卑しい感情。

そんな卑しさも含めて人間だから、あなたを責めるつもりもない。

そしてその虚ろな卑しさが戦争を起こすし、略奪の原理を維持し続けるというだけの事。


ここまで散々偉ぶって書いておいて、一番ぞっとするのは、


かくいう俺自身もまたそんな「虚ろで危うい世間」を構成する、ひとりの「虚ろな人間」であるという驚愕の事実。


その自覚が、こういった「虚ろさへのささやかな抵抗」を促すわけなのです。
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