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2016年08月17日23:58

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「ラーメンショップ高梨」のご主人、6 月に亡くなられていた。

「30 歳以上でセーラー服を着て来店した人は、ラーメンが
1 杯タダ」という企画のお店。

私がセーラー服を着て、初めて電車に乗って出かけたのは、
この企画に乗っかってのことだった。一番手になれた。
2011年6月11日(土)。翌週には二番手と三番手が来訪している。

そのときすでにご主人は 70 歳近いご高齢であった。
https://goo.gl/photos/maiK99f77RpDkJKp8

2013年4月7日(日)、かなまら祭りの帰りがけに立ち寄った。
4 回目。結局、このときが最後になった。
岩切等氏に撮っていただいた。
https://goo.gl/photos/W6scsSWGGgYPohwn8

お店は 2015年4月27日をもって閉店していた。
たまたまそれに気がついたのは 6 月になってからだった。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshi123_4100/70371368.html

今年の 7 月になって、とあるメディアから、私に
インタビューしたい旨、申し入れがあった。
ラーメン屋を再訪するという企画を立て、先方で
調べたところ、お店が再開しているという情報を得ている。

私はそれを聞いて、初めて知った。元あったところから、
徒歩 7 〜 8 分のところに移転している。

いつ再開したのか不明だが、行った人のレポートが、
2015年10月から 2016年5月にかけて、「食べログ」に
上がっている。

最後のレポートでは、チャーシューを入れ忘れるなど、
ちょっとヤバい感じ。それが実は亡くなる 1 ヶ月前だったわけだ。

メディアの動画番組制作担当者は、ショップを訪問して取材したいと
申し入れるために何度もお店に電話しているが、誰も出ないという。

で、営業しているのかどうかを聞こうと、お店の向かい側にある
銭湯に電話してみたところ、亡くなられたと知ったとのこと。
それをメールで伝えてきて、私はついさっき知った。

最初に行った時点でそうとうのご高齢だったので、先々、長く
続けられるお店ではないだろうとは思っていた。けど、
再開したという情報を得るのが遅くて、移転後の店舗に
一度も行けなかったのは、かなり心残り。

一度閉店したお店をまた開けたのは、ご主人が昔のお客さんに
また会いたくなったからなんじゃないかなーなんて想像。

店のガラスドアに妙なコピーを書いた紙をべたべた貼ったりと、
ご近所でも名物のようにみられていたご主人で、よくテレビに
出たり、雑誌に載ったりしていた。

それも立派な活躍だけど。ご主人が残した最大の遺産は私
なんではないかと。

大きな業績をあげて、人類に多大な貢献をした上で世を去る
ことができれば、文句なく輝かしい人生を送ったと言えるけど、
そういうことを成し遂げられる人は、ごくごくわずかだけ。

たいていの人は、ぱっとしたこともなく生涯を送り、
しばらくすれば人々から忘れ去られ、何世代分か時を経れば、
存在の痕跡も残らない。

けど、その人が誰かになんらかの影響を与えて、生き方を
根底から変えてしまうようなことがあれば、今度はその人が
また別の人に影響を与え、その影響は、間接的に連鎖して
受け継がれていくんじゃないかと。

生きた証とは、誰にどれだけの影響を与えたかなんじゃ
ないかと。

そういうわけなんで、影響の連鎖を途切れさせないために、
私も人に、人生を曲げるくらいの影響を与えて世を去ることが
できたらなぁ、などと思うのであった。

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