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2014年12月04日13:59

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「黎明」より 第13章 大師 (1)

魂が充分に進化して、普遍意識がその魂の表現する媒体を通して自覚に至ると、その魂の表現は地球圏の一切のカルマや自然法則の支配から自由に成って、もはや地球圏での表現体を採る必要はなく、それぞれの意識状態に対応したヒエラルキー(階層)の普遍意識として、宇宙のより高い表現領域で為されている、大いなる生命の創造活動に加わって往きます。この意識の段階に成ると、地上で認識されるようなひとりの現象我(パーソナリティ)というものは存在せず、一個の原子から宇宙全体までが自分自身で在るような、生命としての本来の状態のみが実在しています。
その一方で表現の世界では、個的な魂の表現が完全に消滅するというわけではなく、ちょうど一個の楽器がオーケストラの中でもまだ存在しているように、表現様式そのものは残っていますが、それを通して表現されるものは、個的意識を表現する媒体が単純に外界の様々な波動領域に反応して、物質感覚、感情、想念等を造り出している場合と、大いなる生命の普遍的な意識からくるものに因って動かされている場合とでは、全く異なった意味を持つことになります。こうしたより高いレヴェルに在る、大いなる意識の完全な表現体と成った意識の個的表現すなわち魂が、後に続く人達の進化を手助けしたり、地球全体への様々な奉仕をする目的で、人間の姿を採って地上もしくは幽界に化身する場合があり、このような、普遍意識が分離の生じている波動領域に人間やその他の姿を採って表現を行うときに、その人を大師と呼びます。

ヒンズー教の「アヴァター」、仏教の「如来」、キリスト教の「神の息子キリスト」、ユダヤ教の「メシア(救世主)」はそれぞれの宗教における大師の呼称に当り、ネイティブ・アメリカンの「ホワイト・イーグル」もこれに近いものですが、厳密な意味では、各宗教の中でこのように呼ばれている個々の魂には、その目的と役割に応じた表現上の違いがあります。なお、ハイラカン・ババジ大師に拠れば、普遍意識が個別化の生じる波動領域で人間その他の個的表現形態を採るのは、今回の宇宙が始まって以来、既に八万四千回に及んだと言われます。

大師にとっては、肉体や幽体は自らが創造した意識の産物に過ぎませんから、これらの表現体を数世紀にわたって維持し続けることも、肉体を地上に残したまま生命を引き揚げることも、そしてまた肉体を残さずに、一切をエネルギーとして自らの本源に還すことも自由自在に行うことができます。大師はその時の地上での仕事の目的に合せて、普遍意識のレヴェルの表現媒体である光子体のヴァイブレーションを下げて、マーヤ・ルーパ(幻の形)と呼ばれる、物に触れたり肉眼で見たりすることが可能な、物質レヴェルの
表現媒体を創り出す場合と、適当な両親を選んで、通常の出産という形を採る場合の二通りがあります。ナザレのイエスは、初めは大工ヨゼフとその妻マリアとの間に赤ん坊として産れ(処女懐胎は、後世の人達の造り話に過ぎません)、十字架に架かって肉体を離れた後に、甦って弟子達の前に現われた際には、前者の方法を用いました。
なお、普通に両親から産れた場合でも、普遍意識がその肉体を通して自覚に至ると、当初の肉体の状態と意識の発達程度に応じて異なるある程度の期間で、肉体を構成する物質原子としての波動表現(フェルミオン)のヴァイブレーションを上げて、光子体としての波動表現(ボソン)に変えることが自由にできるように成りますから、肉体の持つ様々な制約に影響されることなく、大師としての地上での仕事を行うことができるように成ります。
大師は完成された人間であり、その表現には一切の無駄がありません。スワミ・ブラフマナンダ・サラスワティ大師は、一ヶ月に十五分位しか喋らなかったといわれますが、大師は普段の生活では沈黙を守ることが多く、口を開くときには、必ず全体的な視野における必然性が存在しています。
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