戦時中の清涼飲料水と言えばサイダーが一番飲まれていたと思います。
サイダーの歴史は古く1899年頃から横浜で生産されていたらしいのですが、当時は特権階級の日本人しか飲むことはできませんでした。
しかし昭和にはいり、日本中でサイダーは庶民に親しまれるようになりました。
戦時中になると三ツ矢サイダーを大手として軍の酒保にサイダーは山積みになっていました。
軍用機の搭乗員などは
「サイダー瓶は高空では割れるので持ち込みはまかりならん」
といわれていましたが、それ以外ではどこでも軍人さんのお気に入りだったようです。
悲しい話ですがアジアで日本の立てこもった洞窟などには遺骨と一緒に必ずサイダー瓶がでてくるぐらいです。
それはさておき、当時は今のように冷蔵庫はどこにでもあるわけではないので、常温で飲むのがあたりまえであり、いいところ井戸水で冷やすぐらいが関の山だったようです。
敗戦直後、砂糖の供給不足でサイダー製造各社はズルチンやサッカリンなどでお茶を濁しましたがそれでもサイダーは庶民の飲料水でありつづけて、進化をし続けながら今日に続いているのです。
ちなみに銀次郎のお気に入りはゼロストロングサイダーです。
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