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2018年03月14日02:08

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ダメの免罪符

「もうだめだ」

「ダメだから、もういいや」



なってしまいがちな時がある。

最初からとばしすぎたとき、細かく細かくやりすぎたとき、

途方もなく長い時間やエネルギーをかけたとき、

先がみえなくて、

というか

「自分の思い描いていたゴールに絶対にたどりつけなさそうにない」と思ったとき、

もうだめだ。。。

やってもむだだ。。。



なってしまう瞬間がある。

そして、

やっぱやめよう



すべてほうりだしてしまいそうになる

別に放り出してもいいのだけれど

やっぱり後で後悔する。

後悔がなければ、放り出してもいいと思う。

やり始めた時点で、

思い描けたゴールができたからこそ始めたのだから

やりたいこと、

やりたかったこと

だから、

諦めるに諦めきれないのだ。

だから、

後悔する。

のだけれども、

自分自身に『ダメの免罪符』を

だしてしまいそうになる。

「だめだったんだから、

仕方ない」

結果は、途中経過というか中間発表に過ぎないのに

途中結果で、

全体結果と判断してしまいそうになる。

あたかもそれが(最終)結果であるような気がするのだ。

そして、

『ダメの免罪符』発布で

「自分はがんばった。よくやった。がんばったけど、だめだった」

とお決まり文句で納得させて、

後で

「なんであのときに諦めちゃったのだろう。

なんで途中で投げ出してしまったのだろう」

と、

後悔というパターン。

「なんで?」の答えは、

「ダメの免罪符」発布による、

「だらけ(怠)」だ。

ダメだと言えば、もうそれ以上なにもしなくてもいいとなる。

というか

努力(挑戦)せずともよし

という

免罪符になる。

しかし、これが罪になる。

というか、

新たな大罪になる。

自分の望みを叶えなかった罪だ。

たとえ望みが思い通りにでなかったとしても、

途中放棄を勝手にしてしまったというということになる。

最初から、ダメなのがわかっていてやって放棄するのとは違い

できると思って始めるのだから、

というか、

できるからこそ始めているのに、

それを途中で

気持ちが向かなくなった

だるくなった

ので、

ダメの一言で放棄されるのだから

たまったものではない。

それが、自分で言っておいて自分でやらないのだから

逃げようがないから

たいへんになる。

自分に対しての 信頼を失くす。

自分自身に約束をしておいて、
自分自身で怠惰になって、
自分自身で辞めてしまうのだから

やっかいなのだ。

自分よ、

頼むで。

でも、

自分だって

「やりたくなぁ〜い」

ときはあるのもわかる。

自分を責めるわけにもいかず、

だからと言って容認するわけにもいかず、

気持ちはわかるが、

ここで投げ出されては

困るのだ。。。

自信がない。

自信なんか、

なくて当然。

あっても、

やらないんだし、

なくてもやらないんだし。

てか、

自信とか、

ある意味どうでもいい?

てか、

自信も

ない「からこそ」

やらないと、

そんなもん、

サンタさんが、

「いい子にしてたから、はいプレゼント♫」

とか、

もってきれくれるわけないやん。

てか、未だかつて、もってきてもらったことない。

どんなにいい子にしていても

自信を、なにもせずにもらったことはないから、

自信がないなら、

ない「からこそ」

やってほしいよ、自分自身。

と、

いくらでも、

だめだから

やらない理由はでてくるのだ。

そういうとき、

「自分は100%『だめ』でなりたっているのではないか」と思ってしまう。

なにをやってもダメな気がしてくる。

一生懸命やったのもわかるのだ。

がんばったのもわかるのだ。

それでも

いま

だめに感じているのだ。

ゆるしてあげたい。

「そうだよね がんばったのに いま報われてないって やめたくなるよね わかるよ」

わかるのだぁ

その辛さ 

てか

虚しさ

すごくよくわかる。

これが初めてではない

何回も

通った道だから、

よくわかる。

ってか、

知り尽くしてる気がしてる。

わかるよ わかる 本当によくわかる 自分の気持ち。

でも、あえて言おう

わかるからこそ

おしつけがましくて、たとえ自分自身に対してでも、もうしわけないが

しのんでほしい。

ここが岐路なのだ。

ダメを選ぶのか、

ダメだからこそ

やるのか。

ダメを選んだら、

ふんぞりかえってなにもしないだけだ。

いや、

することがある

あれやこれやと

なんでダメだったのかの

理由を探し出してきて

自分自身に対して、ダメだったからできなかった理由を正当化し始める。

それだったら

どうやったらできるのだろう

どうやったらちょっとだけでもできるだろう

と考えてほしいとおもう。

どうやったら

どうやったら

どうやったら

ダメの二文字に逃げ込むことで

楽に感じるのだけれども

余計 楽でなくなってくる。

どうやったら



4文字多くエネルギーを使っても

こっちのが

後で楽なのだ。

楽がしたい。

なら

楽なのが好きだ。

なら、

どうやったら

このダメを

楽にかえれるのか考えたほうがいい。


ぬぬぬぬぬ。。。

「たすけて〜 おたすけま〜ん」

ってか、

てかですよ、

だめ「だからこそ」

やるんじゃん。

ダメ、ダメ、ダメ言ってたって

そのダメが、

よくなるわけじゃない。

ダメって言えば、

ゆるされるのなら、

ダメ、だめ

言ってなさい。

んで、ゆるされたことある?!

ない。。。

ないです。。。

ですよねぇ。

んじゃ、

だめだからこそ

やってかないと

できた♫

には、

かわらないよね?!

あい。。。。

そうなのだぁ〜

だめでゆるされるのならぁ〜

だめで

できるのならぁ〜

だめで

望んだ結果がだせるのならぁ〜

だめだ、だめだと

言い続ければいいだけの話だぁ〜。

しかぁ〜し

そう言って

だめじゃない結果がでたことはない。。。

てか、

結果をみるまえに

辞めているのだから

後悔しかのこらなかったぁ〜。

はぅ

だめ「だからこそ」

やろう

やります

挑戦することだけでいい

結果ではなくて、

挑戦てか、

だめだからこそ

ここまでこれたんだ

ここまでこれたのは

いろんなことや結果がだめだったからだ

だから

やろうとなった

だれよりもだめだったおかげで

ここまでこれた

だめだったおかげで

幅広く、ダイナミックに

いろいろと経験させていただけた

だめじゃなかったら

いまごろ

常夏の島で

ぼーっとしていただろう

それはそれで楽しいけれども

なにより挑戦好き

微生物から宇宙まで

ど幅ひろな好奇心

だめだからこそ

みることのない世界をみせてもらえるのだ

ここが好機と

切り替えて

展開もしていった

だめだったからこそそれもできたことだ

初めからうまくいってたら

初めからできていたら

好機もなにもわからず

そのままただ突き進んでいただけだろう

それが

だめのおかげで

好機と捉えて展開していくということも覚えさせていただけた

だめにはだめのよさ

だめじゃなさがある

だめだったおかげで

それにも気づけたし

気づくだけでなくて

身にもつけさせていただいてきた

だめが自分を成長させてきてくれた



捉えれば

自分なんか もう成長なんかばんばんしている 

そうだ そうだ

だめじゃなかったら

ここまでこれなかった

だめだったからこそ ここまでこれたんだ

たくさんのだめだめのおかげだ

だめだったおかげで

妬まれずに、かわいがられてもしてきたし

他の皆様に

「あんたよりはまし」

と自信もご提供させてもらってきた。

「あなたって、ほんとだめよね〜」

「おまえって、ほんとだめだなぁ〜」



呆れて、しかし、みんな嬉しそうに言ってくれた。

だめのおかげで みんなをリラックスさせてもきたのかもしれない。

どうがんばっても

だめなときはだめだ

だからこそ

じぶんで ダメの免罪符をださないことだ

それは ただの怠惰で だめの良さは全くない。

怠惰がだめというわけでもなくて

怠惰もいいのだ

怠惰には怠惰の良さもある。

ただ、すっきり さっぱり 

免罪符なんか出してる時間があれば

だめを愛おしめ

というか

だめに愛情をいっぱいもってチュチュするなり

だめのよさをかんがえるなり

だめだって、すきでダメをやってるわけではないのだから

そこを理解してあげよう
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コメント

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