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2014年12月19日04:47

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宮下眞二 『英語文法批判』 (XI) 7

7(終りに)

 英語学会では黙殺された宮下の理論だが、筆者の管見の範囲内で、二人の英語学者が宮下、およびその理論に言及してゐる。

 ひとりは東京家政大学の小川明といふ人で、1990年(平成2年)の「東京家政大学研究紀要 第30集(1)」に、「宮下眞二小論 ― ある英語学研究者の軌跡」といふ文章を載せてゐる。(平成元年9月27日受理)と注記されたこの論文の序文で、小川はまづかう書く。

  「英語学の研究者である宮下眞二は,その名を知って以来,絶えず私の内部に刺のように突きささって,気にかかる存在であった.どうしてそうなのか.この疑問を解くことは,一介の英語学の研究者である私にとって,これからどのように研究の進路を切り開いていくかという切実な問題に対する解答の手掛りを与えてくれるように思われる,それゆえこの小論において,やや私自身の個人的な経験に照らしあわせて,宮下眞二という英語学研究者のことを考えてみたいと思う.」

 さらに宮下の名前を知つたきつかけ、宮下の経歴を記した後、かう述べる。

   「東北大学の英語学科はたくさんのすぐれた変形文法研究者を生み出してきた.その中で彼は異質の存在である.徹底的に変形文法に対して批判的であるのである.彼は『英語はどう研究されてきたのか』のはしがきで「内容は,副題[現代言語学の批判から英語学史の再検討へ]に端的に示してあるように,チョムスキーの変形文法を中心とする現代の欧米の言語学に根本的な疑問を抱き,それを批判して,更にその歴史的背景を成す英語学史の再検討を試みたものであります」と書いている.さらに彼の『英語文法批判』のはしがきの中の「お察しの通り,私は現在支配的な構造言語学や変形文法に疑問を懐いて,英語学に志した者です」という記述と,学部の時にすでに英語学に関心を持ったことから判断すると,すでに大学院に入る前に確固たる自分の言語観を持ってしまっていたことがわかる.大学院では孤立していたのではなかろうか.」

   「大方の英語学の研究者は,普通このような道を辿らない.私の狭い経験によれば,学部で英米文学か英語学のうちから自分の適性に合わせて英語学を選びとり,卒論を書き,大学院に進むことになる.私自身は構造言語学の退潮期から変形文法の台頭期にかかって,学生生活を送ったが,どちらの理論についても,基本的には同様の習得の仕方をした.入門書および基本的文献を読み,講義を受け基本的な事項を学び,その理論の中で生じる問題について自分で解決をして行くというプロセスを辿った.もちろん構造言語学や変形文法以外の言語理論も多少は学ぶが,大低はその時期において主流的な理論を主として学ぶことになる.」

 小川は東京教育大、同大学院で学び、山口大学で教へたのち、東京家政大に移つた人らしい。東京教育大は戦前の東京高等師範―東京文理科大学から続いた日本の英語学(と言つては狭すぎるかもしれない。むしろ「英学」と言ふ方がふさはしい)の一つの中心である。宮下の指導教官だつた安井稔も同大学の出身である。

 肝心の宮下の理論について小川は書く。

   「私にとって彼の言語過程説に基づく理論はわかりにくい.何故か.私自身は構造言語学および変形文法を背景として自分の言語観らしきものを形成してきた.このような環境で育ってきたものにとって,最初,彼の理論は,文字通り異質のものであって,まったく比較を絶するものであった.

   その異質さ,わかりにくさにもかかわらず,私は宮下に徐々に引きつけられた。何故なのか.ひとつは,その徹底した批判力に感心した.また現在圧倒的に優勢な変形文法に対するまったくの孤軍奮闘ぶりに感心した.しかしこのことは研究上本質的なことではない.彼の理論そのものが誤りであれば,それらのことは単に研究の姿勢上のモラルとして他山の石とすればそれで済むのであるから(と言っても私にとってこの批判力と奮闘ぶりはとても有益であった).一番重要なことは,彼が奮闘し確立させようとしている理論そのものなのである.私はその中にある真理を感じた.私は今もって彼の理論に全面的に納得させられるものではないが,ある真実を感じる.それに引きつけられたのだと思う。それは,私が自分のよりどころとしてきた生成変形文法に対して少々の不安,疑問をもちはじめたことに呼応している.はたしてこの理論の根本的な考え方は正しいのであるかという疑問が絶えず頭の中に浮び,もう一度根底的に検討してみたいと思うのである.その挺子として使えないかと思うのである.」

 また宮下に影響を与へた三浦つとむなどにふれたのち、最後にかう結んでゐる。

   「以上,宮下眞二という英語学者について,その生涯,どのように自分の理論を形成してきたのか,その周囲の彼に影響を与えてきた人達について,いわば外的な事情について述べてきた.彼の理論そのものはこれから生涯かけて検討をしていかなければならない.いずれ稿を改めて論じてみたいと思う.」

 見られる通り、日本における正統的な英語学の習得者であるにもかかはらず、筆者は宮下に対し相当に好意的である。ただ残念なのは、この文章が書かれて以来四半世紀が経過したが、「いずれ稿を改めて論じてみたい」といふその論考が見出せないことである。


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