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2014年12月19日04:03

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宮下眞二 『英語文法批判』 (II)

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 『英語文法批判』は序論、本論より成り、本文は全246頁。ほかに「はしがき」、「目次」、「索引」。以下に簡略な目次を示す。

 序論 イェスペルセンの歴史的課題と言語観
    はじめに――4
1章 イェスペルセンの歴史的課題――7
2章 イェスペルセンの言語観――9
結び――34
本論 英語の文法
1章 固有名詞――36
2章 名詞と形容詞――60
3章 代名詞――80
4章 ever――209
5章 不特定代名詞と ever との複合代名詞――213
6章 冠詞――220

 見られるとほり、名詞(および形容詞)論が5分の1弱、代名詞論が過半を占め、冠詞論が1割ほどといふ配分になつてゐる。すなはち本書で著者が最も意を注いだのは代名詞論だと言ひ得る。

 序論はイェスペルセンの言語論の素描と批判である。デンマーク出身のオットー・イェスペルセン(1860−1943)は、チョムスキーの変形生成文法、その前の構造言語学の隆盛(流行)に先立ち、19世紀後半から20世紀にかけて活躍した大英語学者である。主著は『文法の原理』(The Philosophy of Grammar, 1924年)と『近代英語文法』(A Modern English Grammar, 1919−1949年)。前者の邦訳は先に半田一郎訳が岩波書店から単行本で出版され、のち安藤貞雄訳が岩波文庫から刊行されてゐる。

 なぜイェスペルセンか。はしがきで著者は言ふ。「私は元々英語学史の再検討の一環として,イェスペルセンの文法論の検討に取掛つたのでした。しかし彼のやうな真の学者の文法論の批判は,その大きさと深さの故に,本質論段階での批判で済せることは出来ません。それは必ず英文法のすべての現象に渉る検討を要求します。それで私は初めの意図を超えて,英文法論を各論にまで渉つて作り上げて,イェスペルセン文法と対決しなければならなくなりました。」(はしがき)

 つまり修士論文のころから続けてきた近世の英語学の歴史的検討が一段落し、19世紀に科学文法を首唱したスウィート以後の理論の検討に着手したところ、巨匠イェスペルセンの大きな業績が立ちはだかつたといふことだらう。

 宮下のイェスペルセンへの評価は高い。彼いはく、極端な形式主義で意味を顧みないアメリカ構造言語学、その構造言語学の変形に過ぎない変形生成文法に対し、「イェスペルセンは,通説を鵜呑みにせず,対象と取組んで自ら言語の本質論を作上げ,それに基いて文法論を展開した創造的な学者であつた。」

 ただ序論で展開される変形文法や構造言語学への批判、またイェスペルセンへの評価などは、本書で初めて著者の説に接した読者にはわかりにくい点が多いと思はれる。宮下が時枝−三浦の言語過程説を、当然の前提のごとく駆使してゐるからである。

 たとへば、「言語の内容(意味)」の定義である。宮下は言ふ。

 「言語の内容とは言語が担つてゐる対象――認識――表現といふ客観的関係である。ある表現 -s (引用者注。たとへば名詞複数形の語尾-s)が他の表現 -s (引用者注。たとへば動詞の三人称単数現在の-s)と形式が同じでも,それに結付いてゐる作者の認識とその対象は異るのである。」(25頁)

 対象――認識――表現といふ過程は、音楽、絵画などを含めて、人間のあらゆる表現に共通の過程であると、三浦が主張したものである。三浦は「言語論」を、言語のみを対象とするものではなく、「表現論」一般の中に位置づけて展開しようとした。表現一般の性格を考へた上で、それではその中の言語表現の独自性は何かと検討を進めたわけである。

 そこで三浦が得た言語の特徴の一つは、「言語規範」の存在と、その規範の媒介により形成される表現といふものであつた。言語規範とは何か。たとへば、目前にある、表面が赤や緑色で、かじると酸つぱくて甘い味がする果実を言語で表現したい時には、日本語では「りんご」と言ひ、英語では ‘(an) apple (または2個以上なら apples)’ と言ふことになつてゐる。日本語の共同体においては、「りんご」と言へば誰でも通じるやうな、共通の認識が形づくられてゐるとみなされる。この時、「り・ん・ご」といふ音の連なりは単なる音声ではない。言つてみれば日本語話者の頭の中に共通にできあがつた(りんご)なる概念(りんごといふ果実に共通の性質を抽象した認識)の一般性に対応した、「音韻」といふ、一般的な、いはば抽象化された「音声のひな形」である。我々が思考する際に用ゐるとされる「言語」とは、実は、直接には触知できない超感覚的な存在である概念を感覚的に把握するために、たとへば(りんご)といふ概念に「りんご」といふ聴覚表象(もしも文字を思ひうかべるのならば映像表象)が結びついたものである。そして、目前にある具体的な果実(対象)を日本語で表現したい時には、目前にある果実についての具体的認識を抱いた話者が、「り」「ん」「ご」といふ音韻を、この順序で並べて発話しなければならないといふ規則が形成されており、これに従つて具体的音声(発する個々人により千差万別である)として表現しなければ意思の疎通が不可能だといふ意味で、日本語の共同体に属する成員を拘束する「規範」が形成されてゐる。言語はこの「規範」が一々の語だけではなく、それらを組み合せる順序(統語法)や、発話の際の音調(アクセントやイントネーション)まで含め、こと細かく体系的に決められてゐて、これらを媒介しなければ、意思疎通といふ目的が達せられないといふ意味で、高度に体系化された特殊な記号表現なのである。「媒介」といふのが肝要な点である。言語規範の場合に限らず、「直接(性)」と「媒介(性)」は三浦言語学の、また三浦の説いた弁証法の、カギとなる概念のひとつである。

 そして三浦が到達した「意味」の定義とは、まづ「対象」があり(これは現実に存在するものでも、話者が想像の中で見たり聞いたりしたもの−フィクション−でも構はない)、対象に対して発話者が抱いた「認識」があり、この認識を「直接の原型」として、対象の「一般的側面(概念)」に対応する「言語規範」を媒介することにより形成される「言語表現」に至るまでの「過程的構造」を貫く「客観的な関係」に他ならない。宮下が当然のごとく書いてゐる「対象――認識――表現」といふのは、このやうに練り上げられた、いはばテクニカルタームなのである。ついでに言ふと、本段落でカギかつこをつけた単語はことごとくテクニカルタームである。

 最低限この程度のことを理解してゐないと、宮下の以下のやうな文章を一読して把握することは、困難だと思はれる。

  「言語は,言語規範を媒介とする表現であり,表現として本質的な対象――認識――表現の関係が言語規範に依つて媒介される・二重に立体的な・過程的構造を持つてゐる。絵画等と言語とを比べると,言語に特有なのはこの言語規範に依る媒介である。それで言語の特徴である言語規範を言語の本質と取違へると,言語規範こそ真の言語であるといふ言語規範本質説が生れる。ソシュールのラング説がそれであり,ラング説は19世紀の歴史的比較言語学を実は後盾として,現代の欧米の通説となつたのである」(17−18頁、強調は引用者)

 ここで「ソシュールのラング説」についての宮下の理解が正しいかどうかは、ひとまづ関係ない。言つてみれば宮下は、今日大学の教壇で教へられる(あるいは30年前に教へられてゐた)「構造言語学」の常識を批判してゐるからである。

 さらに宮下は、イェスペルセンを創造的学者として高く評価しながらも、認識論上の弱点を指摘する。

 「イェスペルセンは文法現象の背後にある人間の表現理解の活動に注目した。それ故に言語の本質である対象――認識――表現の過程的構造を重視したが,二次的なしかし言語の特徴である言語規範に依る媒介を正しく位置付けることが出来なかつた。それで彼は最初はソシュールのラング説を批判したが,結局は受け入れざるを得なかつたのである。もとより構造言語学が言語の過程的構造を明かにした訳ではない。彼らは言語を対象から切離し,言語規範から出発して言語の「構造」を論じてゐるのである。」(18頁)

 以上がいはば「本質論段階での批判」である。ちなみにイェスペルセンの先輩のスウィートについて、宮下は言ふ。

  「スウィートが言語を観念の表現と捉へたのは直観的だが正しい。スウィートの言語観の方が構造言語学はもちろんのこと,イェスペルセンの言語観よりも,素朴だが正しいのである。しかし言語の謎は直観的経験的な言語観を武器にして立向つたのでは到底歯が立たない。スウィートも内容主義を貫くことが出来なかつた。」(16頁)

 20世紀の変形文法や構造言語学よりも、イェスペルセンの方が、さらに19世紀のスウィートの方が「素朴だが正しい」。いや、それどころか、(本書には直接言及されないが)17世紀のフランスの「ポール・ロワイヤル文法」や、ジョン・ロックの言語論(『人間知性論』)の方が本質的に正しく、画期的な見方を提出してゐる。(注1)これが近世の英語学史を検討した著者の結論であつた。本書はいはば、この一見逆説とも思へる結論を、独自の認識論―表現論により補強することで「内容主義」として貫徹させたものだといふこともできる。

 (注1)これについては、本論6章における小生の以下の文章を参照。「三浦がたびたび引用するエンゲルスの言葉にあるやうに『最初の素朴な見方は、概して後の時代の形而上学的な見方に比べより正しい』といふことである」。


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